第20話「亡国の姫君と最低賃金」

 カランコロン。


「いらっしゃいませ~」


 ドアベルの音色と共に入ってきたのは、黒のゴシックロリータのドレスをお姫様のように着飾ったうら若き淑女。そして、タキシードを身につけたいかにもな執事風の60代くらいの老紳士が、エスコート役として続いて入店してきた。服装がそう見せるのか、或いは本人の素質なのか。その姿はと形容するにふさわしい雰囲気であった。


 接客のためにアオイが近づいていく。しかし、それを待たずして淑女の口が開いた。


「頭が高いぞ! 妾を何者と心得る!?」


「えっ……!? えっ……!?」


 あまりにも唐突な先制パンチをくらい、すっかりテンパるアオイ。そんなアオイのことなどお構いなしに、淑女は続けざまに二の太刀を放つ。


「我は聖マルティナ皇国の第三皇女セシリアなるぞ! 下民どもよ、頭が高いと言っておる!」


「執事のアウグストと申します。以後お見知りおきを」


「えっと……ごめんなさい……?」


 まるで状況を飲み込めぬまま、訳も分からず頭を下げるアオイ。


「まあよい。そこのメイド。早く席へ案内なさい」


「私メイドじゃないんですけど……。わかりました、こちらへどうぞ……」


「うむ、くるしゅうない」


 一応否定するアオイであったが、自称第三皇女は意にも止めない様子だ。完全に自己の世界に入ったお姫様は、案内されるがままに、おおよそ雰囲気とは似つかないであろうボロボロのボックス席へと腰を下ろした。


 ***


「ねぇ、ノア? 聖マルティナ皇国って確か……」


 入口から離れていたために見つからずに済み、難を逃れたカリンとノア。


 二人はそのまま見つからずに済むように、裏に隠れてヒソヒソと話をしていた。


「うん。500年以上前にとっくに滅んでる」


「じゃあ、彼女ってまさか……」


「うん。そのまさか」


 カリンとノアの意見が一致し、ほぼ同時にそれを口にした。


「「……ただの痛い人」」


 ***


「お客様、ご注文は~……」


でよいぞ。メイド」


「私は何もよくないのですが……あはは」


 パニックで頭が回らないのか、アオイがまだ目の前の人物がただの『痛い人』であることに気づく気配はない。


「妾はな、我が屋敷で働くメイドのスカウトに来たのだ。お前はなかなかに筋がよさそうだ。どうだ? こんなカーテンの焼けた店じゃなくて、我が屋敷へ来ないか?」


 お冷のグラスの縁をつまんでティーカップのように持ちながら、自称皇女は一方的に話を進める。ものすごく持ち辛そうで、プルプルと指先とグラスが震えている。


「ふぇ!? 私はこのお店が好きなので……ちなみにお給料は……?」


 ***


「いや!? ちょっと揺らいでんじゃないわよ!?」


「あーあ、カリンがカーテン焼いたせいでアオイが引き抜かれちゃう」


「うるさいわね!? 絶対関係ないわよ!? だいたいアンタお金になんか困ってないでしょ!?」


 ***


「そうね? 時給10,000円はくだらないんじゃないかしら?」


「ホントですか!?」


 こころなしか、アオイの目が輝いているように見えた。


「お嬢様……。うちは最低賃金以上は出ませんぞ……」


 自称皇女がハードルを上げまくったせいか、執事のアウグストは苦虫を噛み潰したような表情でこう答えた。


「いやいや、お世話になったこの店を裏切る訳にはいきません。さっ、ご注文をどうぞ」


 給料の件は無かったことにするかのように、アオイは白々しく接客モードへと切り替えた。


「あら、それは残念ね」


 執事の声は聞こえていたのか否か。自称皇女は平静を保ちながら優雅にお冷グラスを傾ける。


 想定されていない使われ方のせいで、その手のグラスは相変わらずプルプルと高速振動していた……。


 ***


「アオイのやつ……。こんど『ぷりっち』ショーの写真ばら撒いてやろうかしら……」


「気持ちはわからんでもないけど……。落ち着きなよ、カリン……」

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