第39話 アンソロジーを狙え、テーマ発表!

 俺たちが演説した効果があり、放課後、簿記部に三人の生徒が訪れた。

 そのうちの二人は二年の女子で、あとの一人は一年生男子。

 三人とも、とりあえず仮入部ということで、今日から俺たちと一緒に勉強することになった。


「山城亜紀です。戦力になれるかどうか分かりませんが、私なりに精いっぱい頑張りたいと思います」


「千堂保奈美です。来年の夏、全国大会に出場することを目指して、練習に励みます」 


「宅間義人です。僕は簿記の資格を取りたくて入部しました。全国大会のことは、正直考えていません」


 山城さんと千堂さんが前向きな発言をする中、宅間君は大会には興味がないようだ。

 まあ、人それぞれ考えがあるから、俺がとやかく言うことではないけど、嘘でも『全国大会に向けて頑張ります』と言ってほしかった。


「大会の予選までまだ十ヶ月近くあるから、今から練習すれば、お前らも十分戦力になれる。これから資格の勉強と大会の勉強を並行して行うから、そのつもりでいてくれ」


 先生がそう言うと、三人とも深く頷いていた。




 10月5日の正午、俺はドキドキしながら、ヨムカクのページを開いた。


【みなさん、こんにちは。早速ですが、『第二回アンソロジーを狙え』のテーマを発表します。初回のテーマは『新入社員』です。参加される方はあさっての正午までに作品を公開してください。】


(新入社員か。学生の俺に、新入社員の気持ちは分からないから、今回は少し苦労しそうだな)


 そんなことを考えていると、突然あるアイデアを思いつき、俺は早速書き始めた。


【会社の同僚に、みんなから『なかのさん』と呼ばれている中年女性がいる。

 入社したての俺は、ある件で「なかのさん、ちょっとこの事について、聞きたいことがあるんですけど」と、彼女に声を掛けた。


「…………」


 しかし、なかのさんは聞こえなかったのか、まったく反応してくれなかった。

 俺は今度はやや声を張って、「なかのさん!」と呼んでみたが、またも彼女は返事をしてくれず、パソコンのキーボードを淡々と打ち続けるだけだった。

 どうしようかと途方に暮れていると、それを見かねた男性社員が「だめだよ、鈴木君。彼女の名字は『なかの』じゃないんだから、いくら『なかのさん』と呼んでも、返事はしてくれないよ」と、奇妙なことを言った。


「えっ、名字が『なかの』じゃないって、どういうことですか? だって、みんな彼女のことを『なかのさん』と呼んでるじゃないですか」


「ああ、それはだね。『なかのさん』というのは、彼女のニックネームなんだよ。だから君みたいな新入社員がいきなりニックネームで呼ぶと、彼女もいい気はしないんじゃないかな」


「ニックネーム? じゃあ、本名はなんて言うんですか?」


「加藤だよ」


「そうですか。じゃあ今度から『加藤さん』と声を掛ければいいんですね。でも名字が加藤なのに、彼女はなぜそんなニックネームになったんですか?」


「それはだね……まあ、俺が言うより、直接彼女と話してみれば分かるよ」


 男性社員はそう言うと、まるで逃げるように俺から離れていった。



 その後、俺は男性社員に教えられた通り、「加藤さん、ちょっといいですか?」と声を掛けてみた。

 すると、彼女は「鈴の木君、私に何か用?」と、今度は俺の声に反応してくれた。

 俺は『鈴の木』と言われたことに戸惑いながらも、「さっきはすみませんでした。

僕はてっきり、加藤さんの名字が『なかの』だと思い込んでいました」と、謝罪した。


「ああ、そのことなら、別に気にしなくていいわよ。無視した私も悪いんだからさ。ただ、入社したばかりの新人に、いきなりニックネームで呼ばれて、カチンときたのは事実だけどね。はははのはっ!」


 そう言って加藤さんは豪快に笑い飛ばしたけど、目の奥はまったく笑っていなかった。

 無論、それ自体も怖かったが、俺はそのことよりも、『はははのはっ!』という彼女の独特な笑い方に恐怖を覚えた。



 それから一週間が経過し、そろそろ仕事にも慣れてきた頃、同僚たちと居酒屋で飲み会が行われることになった。

 初めての飲み会で、どの席に座ろうか迷っていると、「鈴の木君、こっち空いてるわよ」と、加藤さんが声を掛けてくれた。

 俺はみんなの前で『鈴の木』と呼ばれ、少し嫌な気分になったけど、無論顔には出さず、黙って彼女の隣の席に座った。



 やがて飲み会が中盤に差し掛かってくると、加藤さんが「鈴の木君って、よく見ると、かわのいい顔してるわね。肌もピチのピチだし、ほんと羨ましいわ」と、訳の分からないことを言い出した。


 俺は「ありがとうございます」と、一応返したものの、心の中で(かわのいい? ピチのピチ? 何言ってんだ、このおばさん)と毒づいていた。


「ねえ、鈴の木君。私のこと、どう思う? こう見えて私、まだ独の身なのよ。だから、鈴の木君と恋の愛関係になっても、ちっとも不思議じゃないのよ」


「…………」


 気持ちの悪いことを言ってくる加藤さんに何も返せないでいると、彼女は更に畳み掛けてきた。


「ねえ、鈴の木君。今からちょっと二人で抜け出さない? 近くに行きのつけのバーがあるから、そこに行こうよ」


 今まで話していて、俺は加藤さんがなぜみんなから『なかのさん』と呼ばれているのか、ようやく気付いた。

 彼女は会話をしている時に、まったく関係のないところで『の』を入れたがるのだ。つまり、会話の中に『の』、なかに『の』。なかのさんだー!


 その後、バーで更にエスカレートした加藤さんは、『の』を一音置きに入れて喋り始め、最早何を言ってるのかさっぱり分からなかった。】


(うん。俺なりに新入社員の悲哀を書き切ることができた。後はこれがどう判断されるかだな)


 俺はタイトルを『なかのさん』とし、期待に胸を弾ませながら公開ボタンを押した。


 





 







 



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