壱原 一

 

自室の壁の一方に、腰高窓が備わっています。腰高窓の正面に、大きな机を据えています。


窓は2枚引き違いの、一般的な形態です。隣家に面しており、彼我の間隔が狭く、プライバシー保護の視点から凹凸硝子になっています。


お陰で室内がぼかされるのでレースのカーテンは設けず、夜に光が漏れないようカーテンだけ吊るしています。


良くある2枚両開きではなく、1枚片開きのカーテンです。サイズの合う既製品がなく、セミオーダーから選んだ結果、分厚く重い生地でできた、このカーテンになりました。


1枚片開きなので、開けたり閉めたりしたい時は、窓の片側から対岸まで生地を寄せねばなりません。


このとき窓の前に据えている大きな机が動線の邪魔になります。


机の片側へ寄って、鼻先が触れんばかりに壁にへばり付きます。


脇腹や片腕をぐうっと伸ばし、届く限り任意の方向へ生地を寄せたり引いたりします。


机の手前を迂回して対岸へ回り、移動させた生地を受け取って、晴れて開閉が完了です。


まあ面倒臭いものです。


昼間日除けにしたり、夜間すでに閉めたりした後で、換気の為にカーテンを閉めたまま窓を開け閉めしたい時などことさら億劫です。


そこでカーテンを閉めたまま窓を開け閉めしたい時は、横着して窓とカーテンの隙間に腕を突っ込んでいます。


鼻先が触れるほど壁にへばり付き、隣家に面した腰高窓と分厚く重い生地の合間へ腕を入れ、経験則から窓枠や鍵を探って見ずに開け閉めしています。


今夜は日中の気温が高かったので、寝る前に部屋の熱を逃がそうと、カーテンで覆われた窓を少し開けて換気していました。


そろそろ寝るかと眺めていたスマホを充電器に繋ぎ、窓を閉めて施錠するべく壁にへばり付いて立ち、凹凸硝子とひんやりした生地の間へ、普段通り腕を突っ込みました。


涼しい夜気が行き来する僅かな空間を縫って、体得された距離感から窓枠を探り当てて閉め、鍵を掛けます。


気持ちは一足先にベッドへ潜り込んでいて、体も早く追い付こうと踵を返しつつ引いた腕が、唐突な拘束を受けて軽くつんのめりました。


窓とカーテンの間で、誰かに掴まれていました。


前腕に人差し指を這わせ、手首を掌で覆い、もぞもぞ握り直しながら外れないように力を籠め、指先を食い込ませてきました。


今まさに窓を閉め施錠したと反芻するまでの刹那、不審者に入られたと確信するほど、冷えた中にほんのり温かく、乾湿と硬軟が相俟った、具体的で鮮明な触感と握り方でした。


まるで不快害虫にたかられたが如く、がむしゃらに腕を引き振りたくったのも、致し方ない事と思います。


尻餅をつく勢いで腕を引っ張り後退ると共に、ずっしり固い泥濘に嵌まった物が無理に引き抜ける感じがして、手首に絡み付く拘束がそのままくっついてきました。


もし実際に人の手に掴まれていたなら、例えばその人の腕が肩から抜けて、こちらの手首を掴んだままぶら下がっているような感触です。


こちらの手首を覆う掌の奥、手首や腕の先の方で、引き抜ける振動や弾け千切れる跳躍、ぶら下がってわんわんと揺れる重心の移動が伝わって、意図せず顔中の筋肉が渋く渋く引き絞られ、鳥肌と怖気が深々と全身を駆け巡りました。


力の限り腕を振り、ごしごし擦る目前で、閉めた窓を覆うカーテンがこんもりと浮き上がって沈むのを信じ難い気持ちで見詰めました。


机の上のデスクライトや、ノートパソコンやスマートフォンが、行軍に道を譲る人垣の如く、じりじりとずれて動いて、程なくがしゃんとデスクライトが落ち、キャスター付きのチェアが押されて滑り、少し離れた所までずるずる徐行しました。


次に何が起きるのか、凝然と待ち構えました。


つい、何か起こる予感に陥りましたが、徐々に鼓動が落ち着いてくると、至って当たり前のことながら、何も起こりませんでした。


分厚く重い生地に吹きだまった涼しい夜気の対流や、生地その物が絶妙に触れたり擦れたりした具合が、思いがけず人の手の握力を想像させたのでしょう。


分厚く重い生地ですから、腕を振りたくって引いた反動で煽られて捲れ、何なら狼狽のあまり自覚なく自身の腕や脚が当たって、机上の色々な物を動かしたに違いありません。


たっぷり1分ほど、物音ひとつない自室で考え抜いた末、そのように結論付けて、寝ることにしました。


電気を消し、ベッドに入りましたが、暗く静かな室内で、まだ少し目が冴えています。


落ちたり動いたりした物を、戻してから寝れば良かった。


閉め切った分厚いカーテンと、腰高窓の隙間から、隣家の明かりが漏れてきます。


その薄明かりに照らされて、今にも動きそうな気がします。



終.

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壱原 一 @Hajime1HARA

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