雛罌粟とトルコ石
f
色盲
わたしの世界は色で溢れていた。
聴覚、嗅覚、味覚、触覚。本来なら別の刺激を受ける器官で、わたしは色を感じていた。耳に流れこむ音、鼻をかすめる香り、舌を溶かす味、肌を撫でるかたち、すべてに色が付いていた。それらは目に映るもはるかに鮮やかな色を映し出した。
こういう五感の混線のことを共感覚というのだと、大きくなってから知った。こういう人はそれなりにいて、色と刺激が組み合わされるため、通常より記憶力が良いなどという話もあるが、わたしにとっては当たり前のことだったので本当かは分からない。わたしが共感覚にはっきりと気づいたのはそれなりに大きくなってからだが、ほかの人はこんな風ではないということは薄々知っていた。
十三歳の頃、《触覚》に変化が訪れた。
それは群青色の雨が降る六月で、あたりにはたくさんの紫陽花が咲いていた。わたしは何にでも触れることが好きだったので、学校へ行く道すがら、傘から手を出して紫陽花の花びら──というか、
その日、わたしは気落ちしながら家に帰っていたのだが、雨が止んだので傘を折りたたみ、油性マジックのようなピンクや黄色や水色の水滴が落ちる音を聞いていた。水を含んだ空気の透き通った翡翠色の香りと湿った土の黒くざらついた匂いがした。
わたしはばしゃんと鶯色の音を立てて水たまりを踏んだ。靴の中に水が染みこむのを感じ、なんとなく違和感を覚えた。
この感触は何色だろう……?
……この感触には色がない。
わたしは立ち止まり、すぐそばに生えている、まんまるの水滴をいくつもくっつけた紫陽花に目をとめた。
わたしはそれに触れた。
はじめはよく分からなかった……濡れているせいかもしれない、とぼんやりと思った。それから、ひんやりと冷めた、萼に走る溝の一つひとつも感じられるようになった。
しかし、いくら撫でても、それはありきたりな紫陽花の色をしていた。
わたしは紫陽花から手を離し、ぐしゅぐしゅになった靴で歩き始めた。空には虹が出ていたが、別に綺麗だとも思わなかった。虹には音もなければ匂いもなく、味も感触もなかった。
その時から、わたしは《触覚》が鈍くなってしまった。何かに触れた時に、ふわふわしているとか硬いとか、暑いとか冷たいとかいう認識が一瞬遅れるようになった。
わたしの中で《触覚》は消え、さまざまな色の代わりにあやふやな疼きが残った。
十八歳の夏休み、《味覚》が消えた。
夏休み、わたしは課題に勤しみながらレモネードを飲んでいた……いつもなら、レモネードは青い影のある薄い緑色と、ぱちぱちと弾ける銀色をしている。
わたしは前の日に誰かに言われたことを思い返していた。クマゼミがべっこう色のまだらの音を立て、近くの公園の雑草を刈ったペンキのような白と青の匂いがしていた。
わたしはカッターナイフで鉛筆を削った。錐のように細く、細く。まわりの塗料の割れる臙脂色、木の裂ける明るい水色、黒鉛の削れる松葉色の音、黒鉛と木と塗料の混ざった乳白色の匂い。
鉛筆を削り終え、わたしは白いスケッチブックを眺め、ため息をついた。
わたしはレモネードを口に含んだ。それはただの鈍い液体になってしまった。
それからはなにを食べても、記憶の中の食べ物のように遠い味がした。わたしは好き嫌いが多かったのだが、なんでも食べられるようになった。確かに味の違いはあったが……味しかしなかった。
《嗅覚》がいつ消えたのか、はっきりとは分からない。そういえばなんの色もなくなったな、と気づいたのは大学を卒業する頃だった。
二十八歳の時、《聴覚》がなくなった。
聴覚は、他のどの感覚にも増して色の刺激が強かったように思う。うるさい場所は苦手だった。あらゆる色が洪水のように押し寄せ、乱反射し、とても疲れてしまうのだ。その代わり、美しい音楽にはヴェールのような、何層にもわたるさまざまな色があった。
その日、わたしはベッドの上に横たわっていた。時刻は早朝。わたしはぱちぱちと瞬きをした。視界がどこかおかしかった。
わたしは夜明け前の鉛色の部屋の中をぼんやりと眺めていた。目に見える通りの鉛色だった。外からは鳥の鳴き声と、郵便配達人のバイクの音が聞こえた。その音は奇妙だった……まるで耳の中に水が入っているような……。
わたしは気づいた。
なにも聴こえない!
わたしは目を閉じた。
わたしは音を整理するのが困難になった。いま聞こえているのがなにか意味のある音なのか騒音なのか、美しい音なのか不協和音なのか、よく分からなかった。聞こえてはいるが、風に流される綿毛のように掴むことができなかった。
*********
わたしは絵を描くのが好きだった。いろんな色を使って、わたしが感じる素晴らしい色たちを描くのだ。
十三歳の頃、友だちがわたしの絵をひどく酷評した。なんでも色の使い方がおかしいのだと言う。
わたしは確かに見える通りに描いているだけだと主張した。すると友だちはあんた目がおかしいんじゃないのと言った。
確かにわたしは視覚から受け取る色よりほかの刺激を優先していた。そちらの方が美しかったし、わたしにとっては自然に思われたからだ。
友だちとの言い合いの後、わたしは先生に愚痴をこぼした。こちらの方がずっときれいなのに。
先生は言った。アレンジを加えるのは良いことだけれど、まずは目に見えるものをきちんと描写するのも大事かもしれないね。君の絵は……ときどき、なにが描かれているのか分かりづらいから。個性的なのは良いことだけれど。
わたしはがっかりした。周りの人びとには、わたしの絵はわたしが感じるようには見えないらしい。どれほど忠実に描いてもわたしが感じるように美しくはならないのだ。
でも、もっと上手くなったら変わるかもしれない、とその時は思った。
十八歳の頃、わたしは美大入試のために画塾に通っていた。そこでも十三歳の頃と似たようなことを言われた。イメージで描くな、見えるものを描け。
画塾の先生はわたしの色の表現を評価してくれたが、まずはありのままの現実をとらえる訓練をしろ、と言った。アレンジは基礎ができてからだ。
わたしは見えるものではなく、見えるであろうものを描く決意をした。しばらくの間だけ……そのつもりだった。いつかは自分が描きたいものを描けるのだ、それが評価されるのだと信じていた。
大学生活は飛ぶように過ぎていった。作品を描き、講評を受け、また作品を描き、講評を受ける。そうしていくうちに、なにを描いているのか、なにを見ているのか、なにを感じているのか分からなくなっていった。
二十八歳の時に、自殺未遂をした。
結果的に、わたしは生き延びた。
わたしは働きながら、細々と絵を続けていた。わたしが美しいと思うものは、どうも世間では評価されないようだった。どうすれば評価されるのか、どんな絵が評価されるかは分かっていたが、わたしにはそれができなかった。ただわたしには流行を凌駕するほどの才能がないのだと思った。
わたしは苦しかったが、描くことしか知らなかった。
評価される絵を描くには、わたしは……わたしの色は死ななければならなかった。
わたしは色を失った。
わたしの視界に色は存在していたが、わたしの中の確かな感覚は失われてしまった。世界は灰色でも真っ白でも透明でもない、言いようのない無だった。濃淡や強弱は存在したが、あらゆる感覚が、耳障りでおぼろげな大味の痺れ、夢現の淀みのようになっていた。
わたしは絵を続けた。わたしはわたしには見えないものを描きはじめた。
皮肉にもその作品は好意的に評価された。
わたしはぼんやりした像と誤った色彩を描き続けた。しだいに買い手も増え、評価は高まり、わたしの画家としての地位は確立された。
わたしは完成した自分の作品を一切見なかった。あの絵たちはわたしの敗北を表しているように思われたためだ。
かつて、わたしの世界は素晴らしい色で溢れていた。誰もその色を見なかったが、わたしにとっては何よりも美しいものだった。
それを捨てたのはわたしだ。
わたしは評価されたいと願い、その望みは叶ったが、それはわたしの色を犠牲にする価値があったのだろうか。
わたしはこれからずっと色のない世界を描き続けることに耐えられるのだろうか。耐えられなくなったところで、色が戻ってくることもない。
わたしはたまに、かつての自分が描いた絵を見る。今では、人びとがわたしの作品について言っていた「分かりづらい」という意味が分かるようになった……。
なぜここにこの色を使うのか、どうしてそんな表現方法を取るのか。すべてに理由があったが、今のわたしには分からなくなってしまった。
わたしは自ら、誰にも見えない色を持つことより色盲になることを選んだ。この虚しさもいつかは薄れていくのかもしれない。
虚しさに耐えられなければ、筆を折り目を潰してしまうほかないだろう……。
( How should I use it for your closer contact? )
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