龍神の契り

牡蠣

### 第一章: 龍との遭遇

夜空を見上げると、涼やかな風が山々を駆け抜


け、木々の葉がさやさやと音を立てていた。山


深くに佇む「神泉の社(かみいずみのやし


ろ)」では、巫女である美羽(みう)が一心に


祈りを捧げていた。彼女の名は、美羽。美しい


羽のように軽やかでしなやかな姿からその名が


つけられたとされるが、彼女は幼少の頃から神


聖な泉を守る役目を担ってきた。



美羽の家系は代々、龍神に仕える家柄で、彼女


自身もその宿命を背負っていた。毎日のように


聖なる泉で祈り、浄化の儀式を執り行うのが日


課だった。しかし、この日、何かが違ってい


た。泉の水面が揺れ、不穏な気配が漂う。空に


は暗雲が立ち込め、次第に風が激しくなる。


「これは…一体…?」


美羽は周囲を見渡し、祈りを止めた瞬間、空に


雷鳴が轟いた。突然、彼女の前に巨大な影が現


れる。美羽は驚き、後ずさりした。その影はま


るで空を覆うほどの大きさを持つ龍の姿だっ


た。体を覆う銀色の鱗は月の光を反射し、凛と


した威厳を放っている。その目は燃えるような


赤で、美羽を一瞬で魅了するような力強さがあ


った。


「お前が、この地を守る巫女か?」


低く響く声が美羽の耳に届く。彼女は恐れとと


もに、龍の姿に驚きを隠せなかった。しかし、


その声にはどこか懐かしさと、悲しみを帯びた


ものが感じられた。


「…誰、ですか?」


美羽は勇気を振り絞って問いかける。龍はしば


し沈黙した後、静かに語り始めた。


「私の名は蒼牙(そうが)。かつては人間だっ


たが、戦乱の末にこの姿へと変えられてしまっ


た。巫女よ、お前に頼みがある。私を救ってく


れ。真の愛が見つからなければ、私は永遠にこ


の姿のままだ。」


美羽はその言葉に驚き、息を飲んだ。彼女の心


は揺れ動く。目の前にいるのは、ただの龍では


なく、かつては人間だったという悲劇の存在だ


ったのだ。しかも、その救済が自分に託されて


いるという。


「どうして私が…」


美羽は呟くように問いかけた。蒼牙は彼女の問


いに対して、真摯な目で答える。


「お前が、この地を守る巫女だからだ。そし


て、私を人間に戻せるのは、神々に選ばれたお


前だけだ。」


その言葉を聞いても、美羽の心の中にはまだ葛


藤があった。巫女としての役割と責任、そして


目の前の龍である蒼牙の孤独に対する同情が入


り混じっていた。


「…私はただの巫女です。人間に戻すなんて、私


には…」


美羽の言葉に蒼牙は静かに首を振る。


「お前にはその力がある。だが、それには一つ


の条件がある。私を救うためには、お前が真実


の愛を私に捧げる必要がある。偽りではなく、


本物の愛だ。」


その言葉に美羽はさらに動揺した。愛。巫女で


ある自分が、龍神に愛を捧げるなどということ


は考えたこともなかった。しかし、蒼牙の目に


はただの欲望や希望ではなく、深い悲しみと孤


独が宿っていた。


「本物の愛…」美羽は心の中でその言葉を反芻


した。これまでの人生、巫女としての務めに追


われ、自分自身の感情や愛について深く考える


ことはなかった。だが、目の前の蒼牙を見てい


ると、彼の言葉が嘘ではないと直感的に感じ


た。


「私はどうすればいいのでしょう…」


美羽の言葉に、蒼牙はゆっくりと頭を下げ、彼


女に対して丁寧に語りかけた。


「私と共にこの地を旅してほしい。お前が私に


対して本当の感情を持つようになった時、私は


人間に戻るだろう。」


その提案に美羽は困惑しつつも、どこか心が動


かされた。蒼牙の求めるものはただの救いでは


なく、真の絆だった。彼女は思い悩むものの、


やがて決意を固めた。


「わかりました。お供します。ですが、私があな


たを愛するかどうか…それは私にもわかりませ


ん。」


蒼牙は微笑んだように見えた。その瞬間、空に


再び静寂が訪れ、風が柔らかく吹き抜けた。


「それでいい。お前と共に歩むことで、何かが


変わると信じている。」


こうして、二人の奇妙な旅が始まった。美羽は


まだ迷いを抱えていたが、彼女の心の中で何か


が少しずつ変わっていくのを感じていた。蒼牙


との旅を通じて、彼女は自分自身の心の奥底に


ある感情に気づき始めるのだった。


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