雨の日は頭が痛い

寝袋男

雨音の間をすり抜けてインターホンが真也の耳に届く。相変わらず嫌に大きいその音は、頭痛に犯されるこめかみを刺し、つい顔をしかめる。

モニターを見ると彼女、井上麻紀が映し出されている。


「ごめんね、ビショビショだ。傘を忘れちゃってさ、たまたま近くだしなと思って…。タイミング悪かった?」

真也はタオルを手渡しながら答える。

「いや、全然大丈夫だよ。どの傘でも借りて行ってよ」

傘立てにはビニール傘が5本窮屈そうに突っ込まれている。麻紀は濡れていない傘を一本手に取るが、再びそれをもとの傘立てに戻した。

「その前に少し上がって行っても良い?」

一瞬の間を置いて、

「良いよ、珈琲でも淹れようか」

と真也はにこやかに答え、リビングへの廊下を進む。麻紀は視線を落とし、土間についた足跡を見る。足跡というだけでわくわくするのは、ミステリー脳過ぎるだろうか。そう思いながら麻紀は自分の靴を脱いで端に避け、無造作に置かれた真也のスニーカーも几帳面に揃えてから真也の後を追った。


甘い香りと珈琲の芳醇な香りが混じる。

「新しいアロマオイル?」

麻紀はアロマストーンに鼻を近づける。

「いや、芳香剤かな。気に入らなかったらごめん。安かったから」

サイドボードに置かれた芳香剤が麻紀の目に留まる。その芳香剤には見覚えがあった。

真也はテーブルについた水滴を拭いてから、マグカップを2つ置いて自分も席についた。

「珍しいね、ホットコーヒーなんて」

「最近凝っててさ」

「真也くん冷たいものばっかりだしね。身体には良いんじゃないかな」


激しさを増す雨の音、淡々と時を勧める秒針の音、2人が珈琲を啜る音。それだけが世界の「音」であるかの様に、場を支配していた。しかし支配者交代の時が来る。

麻紀は珈琲を飲み終えてカップを正面からずらすと、真也をまっすぐに見据えた。


「さて、それで、”その子”は何処に隠れているの?」


真也はカップを正面に置いて微笑んだ。

「なんのこと?」

真也はあくまで表情を崩さない。

「惚けないでほしいな。この部屋には女性がいる。そんなに広い部屋じゃないから、すぐに探せるけど、私は生憎立ち上がって喚く様なめんどくさい女ムーブはしたくないんだよね。だから論理立てて詰めてしまうけど」

「恐いなぁ。そんなに睨まないでよ。この部屋に女の子は君しかいないよ」

「よろしい。では始めましょうか」

麻紀は指先を合わせて目をくるりと回した。彼女が思考を巡らせる時の動作だ。彼女が身近な事件を解決する時に見せるそのしぐさが、真也は好きだった。


「私は少し前から真也くんの不貞を疑っていたのだけれど」

「男に不貞って言葉はなんだか妙だね」

麻紀は無視して続ける。

「そのタイミングはいつなのかなって思ってた。私と会う頻度は高い。夜は通話をして眠る。だけどそう、君は雨の日はいつも頭が痛くなると言って、私と会わなかった」

「そうだっけ?まぁたしかに偏頭痛持ちだけど。今だって痛いし」

真也がこめかみをさする。

「そして来てみたら案の定、気になるポイントがあった。一つ目は傘。さっき傘立てには5本のビニール傘があった。一人暮らしにしては多いし、一本は濡れていた」

「さっき少し外に出たばかりだから」

「ダウト。スニーカーは濡れていなかった」

真也の笑顔も幾分堅くなってきている様子だった。

真也は空になったカップを癖で持ち上げ、またテーブルに戻した。


「それと、スニーカーは濡れていなかったけど、土間は私が来る前から濡れていたよ。そこに残った靴の跡は、どう見てもスニーカーより小さいものだった。真也くんだってあんまり足は大きくないから、女性のものだと思う」

「それは少し侮辱的だなぁ。それに、もしそうだとして、靴がないなら、この部屋にいるっていう説はおかしくないか

「忘れないでほしいのは濡れた傘。真也くんが外に出ていないなら、誰かが持ってきたことになる。でも持って帰らなかった。そんなことあるかな?この雨だよ?置いていくわけない。」

窓の外を見ると、更に雨足は強まっている。真也は心の中で舌打ちした。無論自分の甘さにだ。


「お次は香りね。実は部屋にあるあの芳香剤は、私の実家も使っていたから匂いは知っているの。部屋に残っていた匂いは、あの芳香剤ではない。珈琲で誤魔化せると思ったの?その子の香水か何かでしょう?」

「喉が渇いたな…もう一杯淹れようか?」

「あと少しだし、その後涙でも飲んだら?」

麻紀の鮮やかな切り口に、真也は状況に似合わぬ笑みを浮かべてしまった。正直ぞくぞくしていた。

「まだ余裕があるね。最後はテーブル。真也くんがカップを置く前、テーブルを拭いた時に、円形の跡が2つあったの。あれってきっとその直前に置いていたグラスの水滴だと思うんだけど。二人分の」

暫くの沈黙が続いた。

再び麻紀が沈黙を破り、支配者の座につく。

「これだけ挙げれば充分だと思うけど、認めないならガサ入れしなきゃいけないなぁ。往生際が悪い男はモテないぞ?」

「モテないから浮気なんてありえないね」

麻紀は肩をすくめると立ち上がり、玄関に向かうと鍵を閉め、ビニール傘を引っ掴むと玄関近くの部屋から隈なく調べ始めた。

脱衣所、風呂場、トイレ、ベッドの下、クローゼット。

残るは奥のドア一つ。

「ここでやめておいてくれれば」

「問答無用。問答はさっき終えたはず」

真也を押し除け、麻紀はドアを開けた。

「出て来なさい!え…なにこれ」

「だから言ったのに」


ーその時の話を聴かせてくれるかな?


僕の「はじめて」は小学生の時だった。

その日も雨が降っていて、その頃から頭が痛かった。

ガンガンと内側から来る鈍痛に耐えているというのは、外から見て分かりづらかったのかもしれないね。

妹は「遊んで遊んで」と僕にまとわりついてきた。

普段だったら遊んであげるんだけどさ。

僕は身体の奥から来る力を抑えきれなくて、妹を突き飛ばしたんだ。

妹はそのまま階段から転げ落ちた。

びっくりして、恐ろしくも感じたけど、同時に頭痛が消えている事にも気付いたんだ。


暗い小部屋には、異臭と甘い香りが漂い、麻紀はえずきそうになった。

その部屋は特殊な吸音素材が壁に使われている、小さな防音室の様だった。

そこに「彼女」はいた。手首と足首をロープで拘束され、猿轡を嚙まされている。散々泣き尽くしたと思われる顔、その頬に流れる化粧混じりの黒い涙。彼女は麻紀に気付くと、再び活力を取り戻したように呻き声をあげた。

「だからやめておいて欲しかったのに。君の事は本当に好きだった」

真也は残念そうにこめかみをさする。麻紀は持っていた傘を振りぬこうとしたが、部屋が狭く壁に引っかかってしまう。その隙をついて真也は麻紀を突き飛ばす。倒れていた彼女に脚を取られて麻紀は床へと倒れ込んだ。

「君を頭痛薬にする気はなかったのに」

そう言って真也はドアを閉めた。

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