鳥葬

 『鴉にでも食われて死んじまえ』






 嫌な夢を見たこと以外、何も覚えていない。






 自主トレのメニューを立て直した。今の自分に足りないのは体力だと、こないだ倒れたことで発覚したから、体力育成を中心にメニューを立て直した。試合は体力勝負だ、少なくて困ることはあってもあって困ることなんてない。実力が拮抗しているときなんて大体我慢比べの試合で、1時間以上ぶっ続けで戦うことなんてザラだから、ちゃんとつけておかなくちゃ。

 食べる量も増やした。女子の成長期は早いと言うけど、まだ成長期は終わってないはずだから、取れるだけ栄養を取ってフィジカルを強くしよう。筋力を増やして身長も伸ばして、そしたらパワーも増強できて強いショットが打てるようになる。中学生の女子なんて体格に恵まれてる子以外パワーショットに弱いんだから、だからフィジカルを伸ばせば戦績も伸びるはず。私の今までの強みはコントロールだった、今度はそれにパワーも加えたい。

 自分だけじゃなくて、他選手の分析もすることにした。自分の動きや相手の動きをデータ化して、しっかり分析したらどんな相手でも上手く立ち回れるはず。自分ができることできないこと、相手ができることできないことをきちんと研究して戦っていこう。これからは理論型のテニスだって取り入れていかなきゃ。頭ごなしに戦ってるだけじゃ勝ち上がっていけない。

 少し経ったら冬の大会がある。今のままじゃチームに迷惑がかかってしまうし、ちゃんと勝てるようにならなきゃ。大丈夫、今まで勝ててたんだ。今からはそれよりも練習して、勉強していくんだから、もっと勝てるようになる。

 今度こそ優勝する。チームの皆もそれを望んでるし、私もそうしたいから。あのときみたいに何もできないんじゃなくて、何でもできて、それで勝つ。

 大丈夫、もう切り替えた。テニスを始めたときみたいにやってけばいいんだ。

 大丈夫。

 大丈夫なんだ。




 「――――――――?」




◇◆◇



 空は薄曇りで、靴の中のつま先がジンと震えた。吸い込む空気は肺を冷やして、は、と息を漏らすと白い水蒸気になって消えていく。ウィンドブレーカー上下にネックウォーマーを装着して準備運動。全身をほぐし終えて、ラケットを握った。

 ラケットを振り続ける。乾燥した指先は皮膚が固くなって割れてるところもあって、少し血が滲んでいた。指先をテーピングで固めても汗で外れてしまうから、痛みを我慢して振り続ける。グリップはよれよれで、血が滲んでいるところもあった。あとで巻き直さなくちゃ。

 素振りが終わったらコーンの準備をして、ボール出しをしてもらう。ウォーミングアップ代わりに足を動かして、コーンを狙いながら打った。中々当たらず、大体1カゴぐらいでコーンに当たる。身体が十分に温まったので、駆け足でボールを集めてコーチのもとへ向かった。

 今日のメニューはサーブリターンを行ったあと、試合形式。コーチに呼ばれた子はダブルス、それ以外はシングルスで、私はシングルスの試合形式の方に参加。とりあえずサーブリターンから、と二手に分かれて、コートの対角線上にいる子に声をかけて練習が始まった。

 サービスサイド。何度か上げ直して、やっと安定したトスを打つ。すぐに構え直してリターンのボールを打つ。寒さで足が絡まり、上手く打ち込むことができない。4回ぐらいラリーが続いたところで先に打ち込まれて、他の子と交代。それを何度か繰り返して、今度はリターンサイドに交代。サービスのときよりかは足が動くようになったけど、それでも上手く打てなくてサービスエースを取られたりリターン1球目でエースを取られてしまった。

 コーチからの指示でサーブリターンは終わり、ボール拾いの後試合形式。今回はたくさん戦うことが目的のようで、ワンゲーム終わったら次の子と交代、というルールに。待機中は各々休憩したり、私は壁打ち練習で待機時間を潰していた。

 試合形式といっても対戦は対戦。集中してプレーに打ち込む。なのに、中々勝つことができない。今日も15試合中たったの2回しか勝てなくて、以前の私が見たら驚くような戦歴になっていた。


 ちゃんとプレーしてるつもりなのに。

 ずっと、ずっと勝てていない。


 それだけが体の奥に積み重なって、澱み続ける。




◇◆◇




 「勝たなきゃ」


 「勝たなきゃ、意味がない」


 「負けたら駄目なんだ」

 「負けたら価値がない」

 「負けたら必要ない」

 「負けたら役立たず」


 「だから、勝たなきゃ」



 「勝たなくちゃ、いけないんだ」




◇◆◇


 食事が喉を通らなくなった。動けなくなるから、無理やり食べた。


 込み上げてくる吐き気を無視して、毎日のロードワークをこなす。代わり映えのない風景と、灰色の空が広がる川の土手を、ただひたすらに走り続けた。


 カラスの声が響く。


 折り返しの3キロ地点。息はだいぶ上がってきて、苦しくなってくる。でも、足を止めるなんてことはしない。今止まったら、もっと苦しくなって走れなくなるから。


 空はさっきよりも黒くなっていた。


 走っている途中、色んな人とすれ違う。大人の男性、犬を連れている人、小学生ぐらいの女の子。私と反対側に流れていく人達の顔はそれぞれ明るくて、笑顔を浮かべていて、それを横目に見ながら走り続けた。


 最近、自分が何を考えていたのか、何をしているのか分からなくなることがある。あまり前のことを思い出せなかったり、これからすることが急に分からなくなったり。食欲がなくなったのもそうだし、食べたとしても味が分からなくなったり。起きているのに、夢の中にいるような感じ。

 ふわふわと身体が浮いている。地に足がついていなくて、今も走っている自分を他人事のように見ている自分がいる。視界は徐々に曇り始めていて、目に映るのは足元の道だけ。


 何も分からなくなる。


 残り1キロ地点。気温は急に下がり始め、雨が降り出す。ポツポツと一滴、二滴落ちてきたかと思うと、一気に土砂降りになって身体を濡らした。周囲には雨宿りできるような場所もなくて、仕方がないので走り続ける。どうせあとちょっとで走り終わるんだ、足を止めるのももったいないし最後まで走ろう。


 雨は容赦なく打ちつける。せっかく上がっていた体温は下がり、じわじわと寒気が襲ってくる。浮き始めた水たまりに突っ込んでしまって、靴の中がぐちゃぐちゃに濡れてしまった。いや、その前から濡れていたんだっけ。

 地面はぬかるんでいる。水を吸って服が重い。走り続けたら、転んでしまう可能性もある。


 あと少しだけど、もう走るのはやめよう。




 『勝てなかったのに?』




 誰かの声。急に雨音が大きくなる。周囲には誰もいない。地面が近い。雨が流れ落ちる。身体が震えていた。遠くで雷の音。


 「なんでここに……?」


 土砂降りの中で、地面に座り込んで、何で私は外にいるの?傘が必要なぐらいの雨の中、何でわざわざ外に出てるの?天気予報で雨が降るって分かってたのに、なのに、なんで、なんで?

 分からないけど、このまま外にいたら風邪を引くのは確かだ。早く帰らなきゃ。服も身体もずぶ濡れだし、お母さんに謝らなきゃ。


 「あ……?」


 立ち上がれない。力が入らない。雨は強くなってるし早く帰らないといけないのに。雷も近くなってるから、せめてどこか屋根があるところにいかなくちゃならないのに。上半身しか持ち上がらない。足に力が入らない。どうしよう、このままじゃ、このままじゃ。


 「ゔッ、あ゙、ゔぇっ……」


 けぽ、と吐き出る胃液。黄色いそれは流れていって、一緒に私も流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく流れていく






 もう、なにもわからない。

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