SugarTime
きょん
第1話テディーベア
叩きつけるような土砂降りに当たり、目の前に見えたコンビニに駆け込んだ。制服のシャツが肌にピタリとくっついて、フレアスカートはタイトスカートに変わっていた。勢いよく頭からシャワーを浴びたみたいだった。
コンビニには、お客がいなくて、わたしはホットした。
さすがにこんな格好、人に見られたくない。
イートインスペースで、カバンからタオルハンカチを出していると、後ろから声を掛けられた。
「大丈夫!?」
振り返ると熊みたいなごつい男が、あたふたして、わたしを見ていた。
「あ、はい、すみません、床、すごいことになって……」
取り合えず、上っ面の良さでごまかそうとする、いつもの癖がでた。
「え?そんなことより、」
店員の男は、陳列してあった、プライベートブランドのタオルを何枚もパッケージから出して、わたしの肩にかけた。
「風邪ひいちゃうよ、そんなんじゃ」
気弱そうに笑った。
わたしは呆然としたまま、ライトグレーのタオルで髪の毛を拭いた。見た目とは違って、そのタオルはふんわりと柔らかく、温かかった。身体が思ったより冷えているのだと気が付いた。
「あ~、着替え、着替えとかいるよね」
胸板の厚い、デカい男が、どうしたもんか、と悩んで、バックヤードに入ったかと思うと、そそくさと出てきて、
「良かったら、これ」
とスタッフの制服とウインドブレーカーを手渡してきた。
「トイレ広いから使って」
有無を言わせぬ人の好さで、わたしはトイレに押されるように入った。
内側から鍵をかけて、わたしは洗面台で、着ていたシャツとスカートを絞って、大量の雨水を流した。下着は、どうしようかと思ったが、気持ち悪くて脱いだ。素っ裸になって、タオルで拭いた。靴の中まで洪水状態で、靴下をやっと脱いで、冷たい靴を履いた。借りたこの店の制服を着て、濡れた服をエコバックに入れて、トイレから出た。
「ありがとうございます」
レジにいた店員に挨拶をした。
「いやいや、すごいね、外。真っ白だよ」
外を見ると、目の前の道路でさえ見えなくて、走行するヘッドライトが水しぶきを上げて通り過ぎていく。
「どうぞ」
そばのコーヒーメーカーでコーヒーを入れて、イートインのカウンターに出してくれた。
「お客さんこないし、雨、少し収まってから帰ったら」
声が落ち着いていて、大人の男だ、とわたしは思った。けれど、今まで見てきたのとは違って、相手のわたしを見る目に、親切心以上のものがあるのかどうか、読み取れなかった。
「すみません。そうします」
わたしはカバンを拭いて、中から携帯が無事なことを確認した。
着信が数件あって、親からだった。
出がけに言い争いになって、大雨注意報、雷警報を無視して家をでたのだった。午後から図書館で勉強しようと思っていた。高3のこの季節だが、内部進学を希望する親に外部進学に興味をもったわたしは反発したのだった。そんな小さな喧嘩で、母親の運転を断って、傘も持たずに出たのが運のツキだった。学校まで、徒歩20分程。近道をしていけばいいだろう、とタカをくくっていたら、遠くで雷鳴がした。一気に薄曇りの空がドス黒く変貌していった。
そして、身もふたもないような、取りつく島もない土砂降りにあった。
熱いくらいのコーヒーに口をつけた。カウンターに置かれていたミルクを入れて飲んだ。エアコンが効いてる店内で、脚から冷えていく。品出しをしている店員に、少しワガママを言ってみたくなって、何でもいいから履くものをお借りできないか、と声を掛けた。
「あ、そっか。店ので良ければ」
とバックヤードに戻って、長靴を持ってきてくれた。
「こんなのしか、ないんだけど、ごめんね」
言った顔が本当に申し訳なさそうで、思わず笑った。
「助かります」
わたしは足を拭いて長靴を履いて、またコーヒーを飲んだ。ぶかぶかの長靴に、いつも飲むのより苦いコーヒー。いつもとは違った風景に、落ち着いた店内。見ず知らずの大人の男と二人きりだというのに、緊張も居心地の悪さもなかった。不思議なくらいゆったりとした時間が流れている。
「久しぶりかも……」
思わず、口にだしたが、店員は、何も言わなかった。
もくもくと品出しをしたり、レジであれこれやっている。
わたしがいることなど忘れているようにさえ見えた。
何か聞いてくるものとばかり思っていたので拍子抜けした。
どこの高校なのか、授業はどうしたのか、とか気になってもいいものだけど。他人に興味ないのかもしれないし、単純に、気が弱いだけなのかもしれない。
何歳ぐらいなのか分からないが、髪の毛が黒々としていて、剥げていないことから、30代くらいなのか、とわたしは店員をちらりと見て思った。プロレスでもやっていたのかと思うような体躯に、制服がきつそうに見えた。目が丸まるとしていて、はっきりとした二重のかわいいと言ってもいい顔立ちだった。草食のテディベア、はちみつしか舐めないプーさんみたいだ。それでいて、身のこなしがせわしなく、素早く、いつもハラハラして落ち着かない小動物みたいな雰囲気があった。
突然、店内に光が走り、暗転した。
驚いて、息が止まると同時に、落雷のけたたましい音が響いて、思わず声が出た。
「大丈夫!?」
店員がマガジンラックのところで、こっちを振り返って、心配げな様子をしている。
「雷、ダメなんです」
ようやく、声を出すと、耳を塞いでわたしは言った。
誰もいない家に一人きりで留守番をしていた頃を思い出した。
急な雷鳴に毛布をかぶって、親の帰りを待っていたことを。
「そうなんだ。ここだと落ち着かないなら、休憩室使っててもいいよ。俺はずっと店に出てるし。裏は大きな窓もないし、壁もここより厚いから少しはマシかも」
どうしてそんなに親切なのか、と疑うような気持ちになるが、じっとテディベアの目を見ていたら、自分の目よりキレイだな、と思えてきた。もし、ここで何かあっても、それは、わたしへの罰なのかもしれないと思えた。何かあっても、いいかもしれない、というような気さえして、わたしは頷いた。
こんな目をした人間に騙されるようなことがあったら、後は簡単だ。人間全部を信じなきゃいい。
この世界にはキレイなものなんて何もないと、あっさり諦めて生きていける。
へんな覚悟までして、言われた通り荷物を持って、バックヤードに引っ込んだ。
「雨、止んできたら教えてください」
とわたしが言うと、わかったよ、と軽く言われた。子供としか見られていないような感じがした。
店の裏方というものを初めてみた。
確かに休憩室があって、更衣室にトイレもあった。休憩室には大きめのテーブルと椅子のセットがあった。わたしはアルバイト経験がないので、よくわからないが、それにしてもこの殺風景な部屋に不釣り合いなクラシカルなテーブルセットだった。
「誰のシュミ?」
思わず、ツッコんでしまう。
それは、どこか応接室を思わせた。テーブルの上にお茶菓子が籠に盛られて並べられていて、美味しそうだった。フィナンシェにマフィンにクッキーと焼き菓子がどれもわたしにお食べよ、とすすめてくるようだった。
「いただきます」
あとで、お礼をしよう、と勝手に決めて、クッキーを食べた。軽く砂糖でコーティングされたバタークッキーだった。それを口元をほころばせながら咀嚼して、先ほど淹れてもらった苦みの強いコーヒーを飲んだ。
「合うな~」
招かれた客のようにほっこりとして、この見知らぬ空間に安堵のため息を漏らす。
コンビニの制服に長靴姿で、髪の毛だってまだ濡れている、おかしな姿で。ノーブラ、ノーパンで。
うっすら、雷鳴が聞こえたが不思議と怖くなかった。この店にはあのクマ君がいるし、ここにいれば美味しいお菓子を食べて、座り心地のいい緩やかにカーブしたひじ掛け椅子でくつろげる。
ふいに、温かい気持ちになって、母親に連絡を入れた。雨が止んだら、帰ると。母親からすぐ、ラインのレスポンスが着たが、無視した。
いま、居場所を教えてしまったら、すぐにでも迎えにきてしまうだろう。
保護者なのだから当然、みたいにわたしを子供扱いして、あの店員にお礼を述べ、後日勝手に菓子折りなんかを持参して、クリーニングに出した制服を勝手に返してしまうだろう、と予測できた。
「いつも、決めるのは、わたしよ」
長年言うことを聞いてきた物分かりのいい娘は死んだと思って、とこころのうちで語りかけた。
新しく、マフィンに手を伸ばして、チョコレート味かな、とパッケージを剥いて、わくわくした。
この感じも久しぶりだった。
雨がしばらく止まないで、このまま足止めをくってもいいかも、とおかしなくらいこころが躍る。
それは、未知の、新しい時間だった。
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