第30話 あの日からわたくしの第二の人生は始まった

 転生した直後、気付けばわたくしは森を見上げていました。

 青々しい木の葉から漏れる日光に包まれ、その眩しさで困惑したものです。

 産まれたてなのにもうお外デビューなのかしら、と。


 それでふと周りを見れば等身大の可愛い子猫たちの姿が六匹。

 そして一方にはわたくしたちを見下ろす大きな母親の姿もがあった。


 その様子を目の当たりにした時に初めて気付かされたのです。

「もしかしてわたくし、魔物に転生してしまったの!?」と。


 母親は当然、あの冒険者が恐れるワーキャット。

 故に最初は恐怖で慄いたものです。


 ですがその母親は意外にもとても優しかった。

 産まれたてのわたくしたちを一生懸命に舐めてくれていたのですから。


 だからこそ現実を受け入れようとも思いました。

 ……そう思っていた矢先のこと、最初の試練が訪れます。


 母親が巣の傍に通りかかった人間を襲ったのです。


 魔物にとっては普通のことでしょう。

 しかし元人間だったわたくしには戦慄する以外にありません。

 しかもその肉を持って巣に帰って来ればなおさらのこと。


「さぁお食べ」


 母親は片言でそう告げ、わたくしたちに人間の肉を与えてきました。

 すると他の子どもたちは何の抵抗もなくそれに食い付いていく。

 わたくしが恐れ慄く中でそれはそれは美味しそうに。


 ……魔物は人間を滅ぼすための先兵として魔族に改造された生物です。

 故にその成長は著しく速く、例え産まれたてでも肉を食せるほど。


 だからこそ母親の行ったのは魔物として普通のこと。

 むしろ狼狽えるわたくしに厳しい目すら向けてきていた。


 そこでわたくしは察したのです。

 もしこの肉を食べられなければこの母親に棄てられてしまうのだろう、と。

 巣は木の上でしたからそうなれば逃げ場もありません。産まれたての子どもなど野生動物の餌食でしょう。


 葛藤しました。

 魔物として人を喰うことを受け入れるか。

 人間として拒否して死を受け入れるか。


 その結果――


(た、食べないと……! こんなことで死んでしまったら転生させてくださったオーヴェル様にもう合わせる顔がありません!)


 わたくしは魔物として生きることを選んだ。

 そして与えられた肉へと震えたままにかぶりついたのです。


 ……とても甘美な味わいでした。

 まるでフルーツの完熟マンゴーを食したような感動が口いっぱいに広がったのを覚えています。


 でも人を食したのはこれっきり。


 以降は色々と理由を付けて拒否することが出来ました。

 その頃にはもうわたくしが他の子よりずっと賢いことを認知されていましたから。


「お前、また遊びに行くのか?」


「はい、少しでも体を慣らしたいですから」


「人間には気を付けるのよ」


 半月ほどもすれば体も割と自由に動かせるようになっていました。

 自ら巣のあった木を降り、辺りを散策して沢を見つけたり、ウリ坊と対決したり、色々と遊んで楽しんだりして。


 そうして気付けばさらに一ヵ月。


 その頃のわたくしはなんだかんだで友達となっていたウリ坊の背に乗って走り回っていました。

 兄妹たちがまだ巣から降りられない中で一人自由を満喫していたものです。

 いっそこのまま独り立ちしてもいいかなって。


 ……そう思っていたのですが。


「腹へったー」 

「ママ、帰ってこなーい」


 ある日を境に、母親が狩りに行ったまま帰ってこなくなりました。

 それからもう四日。兄妹たちは飢えるばかり、でも文句を垂れて寝てばかり。


 ですから仕方なくわたくしが代わりに狩りを行うことにしたのです。

 その頃の巣はわたくしが仕立てていた道具で固められていたので、罠による狩りならば容易でしたから。


 それで楽々獲物を捕らえ、久しぶりの食事にありつきます。

 しかしそんな食事中の時でした。


「あったぞ! ワーキャットの巣だ!」


「こんな所にありやがったか!」


 突如聞こえてきたのはなんと人語。

 それに気付いて巣から隠れて見下ろすと、人間が二人もやってきていた。


 しかも様子から見て、明らかにわたくしたちを狙ってきている。

 その様相から冒険者であることは明白でした。


「なんだあれー」

「みたことない生き物だー」

「わーわー」


 ですがそんな人間たちを前に、兄妹たちは身を乗り出して騒いでいました。

 人間という存在をまだ教えられていないからこそ好奇心が勝ったのでしょう。


 そんな兄妹たちは巣にまで登って来た人間に掴まれ、ポイポイと投げ捨てられていく。

 その様子を前にして、わたくしは奥で震えることしか出来ませんでした。


「ったく、目を離すとポコポコ産みやがってよぉ!」


「奥にもう一匹いやがる!」


「よし、そいつもさっさと寄越せ」


 そう怯えていたからわたくしも見つかってしまった。

 ですが逃げるにはもう遅すぎました。男の掌がもう目前にまで迫っていたから。


「うあああああああ!?」


 大きい。

 恐ろしい。

 腰が砕けて踵さえまともに返せません。


 だけど――




<殺せ! 殺せ!!! 殺せええええええ!!!!!!>




 途端、脳裏に殺意が過りました。

 人間に対する明確な殺戮衝動です。


 そのことに気付いた時にはもう既に体が本能に従っていました。


「こっ、こいつう……ッ!?」


 気付けばつい両掌を正面に掲げて術を生成していたのです。

 それも聖術【炸裂滅光弾プロシアン・リオル】を。


「ま、術法だっ!? ワーキャットが術法を使ってやがるうううううう!!!???」


 男が恐れ慄きます。

 それも当然でしょう、肉体派であるワーキャット族が術法を使うなんてあり得ませんから。


 その最中にも殺意衝動がさらに訴えてきます。

 力を放て、人間を消せと。


 だからわたくしはもはや止めるつもりはなかった。

 ただ本能のままに力を放ってしまおうとしか思わなかった。


「――ハッ!?」


 でも咄嗟に理性が働いたことで気付いてしまった。

 もしこの力を放てば兄妹たちはどうなってしまうのか、と。


 人間はまだ大怪我程度で済むでしょう。

 ですが魔物である兄妹たちは十中八九、光に晒されただけで消滅してしまう。


 その事実が術法の発動を躊躇させてしまったのです。


「この野郎っ!!!」


「――ウッ!?」


 その一瞬の隙を突かれ、首へと強い衝撃が走りました。

 男に首を喉元から掴まれてしまったのです。


 そのまま締められ、呼吸もままならない。

 そのせいでもう術法まで掻き消えてしまった。

 それでも男は力を緩めず、わたくしのことを片腕で持ち上げてきていて。


「はーっ、はーっ、焦らせやがって……!」


「あっがっ!?」


「こうなっちまえばもう術法は使えねぇよなあああ!!? うらあああ!」


「があああ!!?」


 ワーキトンが力で人間の大人に敵う訳もありません。

 だからこそわたくしはそのまま抵抗も叶わず意識を手放してしまったのです。




 ……そして気付けば、わたくしは小さな檻に閉じ込められていました。

 それも見たことも無い、小汚くて狭い家屋の中で。


 傍には先ほどの冒険者と、もう一人見知らぬ方の姿が。

 二人が言い合う様を、わたくしはただ眺めることしか出来ません。


 これから一体何が始まるのか、何をされるのか。

 この時はまだ、そう怯えることしか叶わなかったのです。

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