Ⅳ 手紙


 離れた処からこっそり店構えを見るだけなら。

 結局、俺が折れた。キューリア・バニラは上機嫌で俺に並んで歩いた。キューリアの勤め先は仕立て屋だ。住み込みではなく下宿先から通っている。

「店ではたまにかつらをかぶって女の衣裳を着ることもあるわ」

 男装の美少女は仕事ぶりを俺に語った。キューリア・バニラ。バーシェスやヤッシュの俺と同じく、姓を与えられた者だ。

「わたしが女ものを着て店に出ているとね、店にくるご令嬢たちが、あれと同じものが欲しいと注文してくれるのよ。この前も新作を着て窓際にいたら、次々と注文が舞い込んだわ。いわば見本人形ね。よい宣伝になるのよ」

「ふうん」

「お屋敷に赴いて相談にも乗るわ。みんな喜んでくれるわ。キューリアに見立ててもらったこの前のお茶会の装い、とても好評だったのよ。想ってもみない組み合わせなのに身に着けてみるとしっくりくるの。引き立てるのがあなたは上手なのねと」

「へえ」

 興味の持てないまま俺は生返事をした。そういうものなのか。確かにキューリアが女装したら、元々が美魔女だから見本としては映えるだろう。イスドナウ棄児院で、「針仕事が一番早くて巧くて感性が良い」と褒められていた才能を買われただけでなく、名の通った仕立て屋に雇われたのも、いつも単色に近い男装で片耳だけに耳飾りをつけているキューリアの一本通った美意識が評価されてのことなのだ。俺にはまるでぴんとこないが。

 しかしそんなキューリアも、俺に案内されてグレゴリオ筆記具店の重厚な店構えを見るなり、すぐに考えを変えた。

「大きな金庫みたい。外からは何も覗けないのね」

「これで分かったろ」

「でもね、とにかくセルヴィンがお世話になっているのだから、同じ棄児院出身のよしみでご家族に挨拶くらいさせなさい」

 何故かキューリアがそう云って頑張る。仕方がない。俺は店の裏手に回って、居住部の裏口からバルバラさんを呼んだ。

 裏手は大昔のままの造りで、小さな庭がある。家庭菜園を作り家畜を飼っていた時代の名残りだ。周囲の堅牢な建造群からは浮いてみえるが、その庭は、旧市街に建つグレゴリオ筆記具店の歴史の古さを誇るものなのだ。

「はじめまして。キューリア・バニラです。セルヴィンとはイスドナウ棄児院で一緒でした」

 裏口に顔を出したバルバラさんに挨拶すると、キューリアは並木道で俺に救けてもらった顛末をてきぱきと話した。

「そのせいで、セルヴィンの買い物が台無しになってしまったのです」

 申し訳なさそうな顔でキューリアは弁償を申し出た。そうなのだ。ちょっと走っただけなのに、買い物籠の中の桃と林檎は見事に疵物になっていた。俺の手から買い物籠を受け取ったバルバラさんは、

「そんなことはどうでもいいのよ。どうせ切り刻んで煮てしまうのよ。大丈夫、ぜんぶ使えるわ」

 籠の中をろくに見もせずに請け合った。

 そうか。お遣いの買い物が台無しになった理由を説明してくれるために、キューリアは俺に店に案内しろと云ったのか。昔からキューリアは細かいところに気の回る魔女だったなそういえば。

「そんなことよりも怖い目に遭ったわね」

 バルバラさんの関心は傷んだ果物ではなく若い魔女の方に向いていた。

「痴漢ねきっと。日中から出没するなんて怖いこと。キューリアさん、あなたは何処に住んでいるの。下宿先は何処なの。中に入って少し休憩していきなさいな。ちょうどお茶を淹れているところなの」

「ありがとうございます。でも今日は仕事が休みで、これから劇場に観劇に行くところなんです。これで失礼します」

「セルヴィン、劇場まで送っていってあげなさい」

「あ、はい」

「母さん、セルヴィンはもう戻ってきた」

 居住区と店舗を繋ぐ細長い通路から長子のエドガーさんが現れた。

「いた、セルヴィン」

「エドガーさん、俺またちょっと出ることになってしまったんです。悪いけど店の方は」

「お前を名指しするお客が来たよ、セルヴィン」

 前掛けをつけたエドガーさんは俺をせかした。

「母さんの遣いなら俺が代わりに行くから着替えてすぐに店に出て。そちらは」

「はじめまして。キューリア・バニラです」

 男装した美少女の登場にエドガーさんは眼に見えて顔をあかくした。

「ああ、そうですか。セルヴィンの幼なじみ」

「それでは、お邪魔いたしました」

「お待ちなさいキューリアさん。エドガー、セルヴィンの代わりに彼女を劇場まで送ってあげなさい。箒の方がいいわ。そうして」

 エドガーさんは頷いて、「箒と上着を取ってきます」と階段を駈け上がっていった。 

 へえ、そうなんだ。彼女、エドガーさんの好みなんだ。まあ可愛いとは想うけど、俺にとってキューリアといえば、いつも男子部の俺たちのことを醒めた眼で見ている女子のうちのひとりでしかなかったからな。


 大急ぎで制服に着替えて店に出ると、フーゴーさんが俺を手招いた。顔つきがあらたまっている。俺、配達先を間違えたりしたのだろうか。

 しかしそうではなかった。客は商談用の小部屋に待たせてあった。俺とフーゴーさんは応接室に向かった。

「失礼します」

 そこには身なり賤しからぬ、何処かのお屋敷の使用人の魔法使いが背筋を伸ばして椅子にかけていた。

「お待たせして申し訳ありません」

「セルヴィン・ヤッシュとは、あなた」

「はい」

「オーラミュンデ家にお仕えしております執事のマグヌスです。この度は、若君スタニスラフさまの使者として参りました。若君はご病弱なので代わりに」

 ご病弱。

 俺を抱えて壁を蹴って跳び、ほぼ身長の変わらない俺を箒の上に投げ上げてたぞ、あのひと。

「若君からあなたに、これを」

 銀盆の上に俺宛ての封筒を置くと、

「それでは用は済みましたので、これで」

 椅子から立ち上がった執事マグヌスは、『皇帝の扉』と店で呼んでいる謎の戸口から外に出た。『皇帝の扉』は表通りではなく、隣接する建物との間に出る隙間のような出入口だ。変な扉だと想って以前フーゴーさんに訊いてみると、はるか大昔に皇宮で印璽いんじ紛失騒ぎが起こり、その際に皇帝から直々に極秘の依頼を受けたグレゴリオ筆記具店の当時の店主がぴったり同じ印璽を複製して急場を逃れたのだが、それが外部にばれ、印璽偽造容疑で逮捕されかけたところを、皇帝がそこの壁をぶち破って乱入してきて店主を助けてくれたのだという。本当かよ。

「行動力抜群の皇帝がたまに出るから、本当のことだろう」

 結局、印璽を盗み出したのは政敵で、皇帝はそれを知りながら知らん顔をしており、グレゴリオ筆記具店の店主に報復にきた下手人を捕えて自白を引き出し、そこから謀反者の首根を押さえて一網打尽にしたそうだ。以来、うちの店では応接室の壁に空いた穴に扉をつけて、後生大事に守り続けている。

 その『皇帝の扉』から、オーラミュンデ家執事マグヌスは出て行った。残された俺とフーゴーさんは顔を見合わせた。

「セルヴィン、見たか。『皇帝の扉』をご存じだったぞ。あれは貴族の中でも限られた者しか知らぬはずなのだ。つまり今の方は本物のオーラミュンデ伯爵家からのご使者だ。セルヴィンは、伯爵家の若君スタニスラフさまと知り合いなのか」

「フーゴーさん、俺にも何がなんだか。スタニスラフさまとは、行きずりで少し言葉を交わしただけなんです」

 必死で俺は店主に伝えた。シジッタ地区に行ったことはフーゴーさんに打ち明けていないから、深く追求されると困るのだ。

「マグヌス執事がおっしゃるには、そのせいでお前の側に甚大な損害が発生したとか。もしや財布を失くした一件に関係があるのか」

「そんなたいしたものでは。本当に。詰まらないことです」

 俺は銀盆の上の手紙を上着の内側に押し込んだ。店の表玄関の鐘が鳴った。

「いらっしゃいませ」

 俺とフーゴーさんは大急ぎで応接室から出て行った。


 

 その日のフーゴー家の夕食は混とんとしていた。

 キューリアを送って行ったエドガーさんは結局、劇場の中まで附いて行って、キューリアと一緒に観劇し、下宿先まで箒で送り届けて夕方近くになって店に戻ってきた。誰もそれを咎めることは出来ないほど、エドガーさんはすっかり魔女に恋する魔法使いになっていた。

「キューリア・バニラ嬢とどんな関係」

「だから。ただの幼なじみです。イスドナウ棄児院の」

「セルヴィン、お使者からの手紙はもう読んだかな」

「お母さん、桃のパイもう一切れ食べていい」

「男子寮と女子寮は中庭の木立を挟んで距離があり、いつも一緒というわけではありませんでした」

「彼女、付き合ってる魔法使いはいるのかな。好きな魔法使いは。何か知らないか」

「セルヴィンを訪ねてきたお客さまは伯爵家からのお遣いだったんですって。まあ」

「お母さんこのパイ、桃がぐずぐず」

「うるさいぞ、ローランド、ブルーノ」

 無理やり自室に引き上げた。これでようやく執事マグヌスから届けられた手紙が読める。

 机の前に手紙を置き、きちんと座り、深呼吸の後、俺にしては最大限丁寧に開封した。手紙は丸めて筒に入れる場合と、封筒に入れる場合があるが、執事の手によってもたらされたのは封筒だった。

『さて君は』と彼からの手紙は始まっていた。さて君は。こんな出だしから始まる手紙なんか初めてもらった。この手紙が本人の書いたものなら、達筆で、筆跡からは少し神経質な感じもうかがえる。元気でのびのびと称される俺の字とは大違いだ。これについてはバルバラさんの監修のもと必死で練習して、店で使うちょっとした書きつけなどは澄ましかえった文字を書けるようになっている。たまに店の隅でさらさらと手紙を書いて、「セルヴィン、この手紙をどこそこ宛てに送っておいてくれ」と住所を書くところから客に任されて預かることがあるからな。

 使用されている紙はうちの店のものではないが、透かし模様があり、いい匂いがした。あまり見たことがないので、きっと人間界の水の都か花の都製だろう。

――――――――

 セルヴィンへ

 さて君は、どうしてオーラミュンデ伯爵家のわたしがあのような街にいたのかと、いぶかっていることだろう。

――――――――

 俺は続きを読んでいった。



》第二章

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