Ⅱ 物見塔


 休みを何とかやりくりして、棄児院出身の俺たちは月に一度は顔を合わせてきた。最初のうちは仕事を覚えるのが面白くて休みなど要らないくらいだったが、余裕が出てきた今は休日の日がありがたい。俺は仕事を疎かにしたくはないし、休みの日には仲間とも逢いたい。

 折衷案として、スタニスラフとは仕事が終わった後の夜に逢うことにした。フーゴー家は夕食の後は自由時間だ。夜間外出についても、無断外泊しないこと、悪所に行かないこと、翌日の仕事に響かなければ、とくにうるさく云われない。

「まだ若いのだから、息抜きもいるだろう」

 物分かりのよい雇い主のお蔭で、気持ちのいい星空が広がる夜など、俺は三階の自室の窓から箒で飛び立ち、独りで、または仲間と合流して夜風の中をびゅんびゅん箒で飛ばし、海まで行って夜釣りをしたり、誰かの下宿先に集まってちびちびと酒を飲んだりしていた。

「余り物だけど」

 レニオンをはじめとする食料関係の店に勤めている仲間からの持ち寄りは豪勢で、この調子では魔都一の味利きになってしまうかもしれないほどだ。

 そんな夜の何割かを、若君との会合にあてることにした。俺も若君もシジッタ地区の黒聖母堂に用がある。でもそこに行き着くことは容易ではない。だから次に一緒に行く日まで、作戦会議が必要なのだ。


 待ち合わせ場所は旧市街の外れに建つ、古い時代の物見塔をにした。魔法界の夏は人間界の夏とは違い涼しくて、夜もひんやりと気温が下がる。四隅の石柱で屋根を支えた登楼に降り立つと、

「寒かったろう」

 先に来ていたスタニスラフは箒から降りた俺を彼の外套の中に包み込んでくれた。ふふっ。小さな子どもじゃあるまいし。こういうことをいやらしくなく、さらりと出来るところがお貴族さまだよな。

「眺めがいい。学生の頃を想い出すよ」

 物見塔からは魔都の夜景が一望できる。星空の下の夜の魔都はまるで海の波の下で蓋を開いた宝石函のようだ。

「寄宿舎生活だった。寮棟の並ぶ敷地の中央に日課を鐘で告げる鐘楼があるのだ。バルタゼルとは新入生の寮で出逢った。先にわたしが部屋にいて窓の外を眺めていると、彼が片手に鞄を提げて室に入ってきた。『やあ、同室だよ。でも間違えたかな』と。彼の眼にはわたしが魔女に見えていた」

 その想い出を口にするスタニスラフは愉快そうだった。

「失敬な奴だと想ったが、最初のその出来事のお蔭で彼とはすっかり仲良くなってしまった」

 吹き曝しの登楼は、風船のようにそこだけが夜空に浮いているような気がした。

「若君は好きな魔女はいないの」

「セルヴィンは」

「いないよ、そんなの」

 照れ隠しの入った俺の返事をきいたスタニスラフは微笑んだ。星空の下のその顔がひどく美しい。

「でも若君はオーラミュンデ伯爵家の嗣子なんだから、いずれどこかの貴族の魔女と結婚するだろ。相手の令嬢はもう決まっているんだろ。適齢期なんだし」

「どうだろう」

 他人事のような返答だった。

「さて、我々の目的は同じだ。どうやって辿り着けるか考えてみよう。強行突破する方法もないではないが、大事になってしまうからそれは最終手段だ」

「強行突破とは」

「たとえば、そうだね、上流の山を幾つか切り崩して大河をふたたび氾濫させて街を水没させるとか」

 やさしい顔をして怖いことを云う。

 俺たちがシジック地区の心臓部に行くには案内人が不可欠なのだが、その案内人を見つけるのが至難の業なのだ。犯罪の温床というだけあって、俺が遭遇したような顔つきの悪い魔法使いがたむろしていて、ただ歩くだけでもすんなりとは通れない。皇帝の隠密部隊が隠されていると噂されているくらいの街だから、謎めいた組織を外部から隠蔽するためにも、あの界隈は犯罪組織からも帝国の法律からも、違法からも司法からも、二重三重に護られているということなのだ。

「大洪水があった時に救援部隊が街に入ったが、それが数百年ぶりの珍事と云われているほどだ」

 二十年前、シジッタ地区は広範囲にわたって浸水し水没した。その際、街を覆っていた魔術師の結界に綻びができたのだ。皇帝が派遣した軍の救援部隊が小舟に乗って住民を水から救い上げている間、誰も見たことがなかったシジッタの全容の一端がそれで外にも知られることになった。

「街に入った兵士も、わたしが上空から見たものと同じ証言している。薄霧に包まれるようにして黒聖母堂の影が水底に映っていたと。だから黒聖母レアキリアの聖堂は確かにあるのだ」

 外套の内側からスタニスラフは何かを取り出した。小さな水晶珠だった。硝子の中には眼球が入っている。しかも模型ではなく動いている。俺は悲鳴を上げた。本物の眼玉だ。なんだこれ。

「魔術師の眼だ。生体から抜き取ったものだ」

 どうやって入手したのかは訊かない方がよさそう。

 魔法使いと魔術師では、圧倒的に魔法使いの方が数が多い。魔術師、別名、幻術師。シジッタ地区を外部から遮断して謎めいたものにするのに一役買っているのは魔術師だが、現代ではすっかり日蔭の存在だ。

「君と逢ったあの日、わたしはこれを持っていた。魔術師のこの眼をもって道案内をさせようとしたのだ。途中までは巧くいった。しかし内郭に入るにつれて眼が濁ってしまい、やはり駄目だった」

 そこで俺は、仲間に頼んでいたことをスタニスラフに伝えた。各所に散らばっているイスドナウ棄児院の出身者たちに、シジッタ地区を案内できる者を捜して欲しいと頼んでみたのだ。

「そんなことなら、知り合いの魔女に訊いてみるよ」

 捜し物を得意とする魔女に訊いてくれた先輩もいた。しかし水晶珠を扱うその魔女にせよ、具体的に誰を捜すのか、その者の持ち物や、特定するための手がかりがないと難しいと云われてしまった。当然だ。どんな砂を捜しているのか分からないまま、砂漠の中から一粒の砂粒を捜せと云っているようなものだ。

 しかしその魔女は親切にも教えてくれたのだ。森の中にいるミナオンの魔女アウロラを訪ねてごらんなさい。

「ミナオン」

 スタニスラフはすぐに反応した。

「流浪の民ミナオンか」

 ミナオンは定住せずに野営している流れ者の魔法使いの集団だ。屋台や大道芸や占いで日銭を稼いでいる。あまりよくは想われていないが、帝国の体制に反旗を翻すでもなし、悪事といっても落とし物を着服するとか、畠の作物を端っこだけ盗る程度だから、誰も本気で目くじらを立てていない。大昔から、流浪の民として存在している魔法使いたちだ。

「俺、ミナオンにいるその占い師にあたってみるよ」

「共に行こう」

「若君は、駄目」

 即座に俺は断った。大豪邸で優雅に暮らしているこんなおっとり貴族を小汚い流れ者の処になんか連れて行きたくないよ。

「友だちを一緒に連れて行く。それならいいだろ」

「ではこれを。セルヴィン」

 なかなか納得しなかったスタニスラフは、最後に嘆息すると、魔術師の眼玉入りの水晶珠を俺に渡そうとした。れいの魔窟を見通せる魔術師の眼玉だ。

「彼らに見せれば少しは脅しにはなるだろう」

「水晶珠を扱う魔女に逢うのだから、かえってよくないよ。これは要らないよ」

 俺は受け取らなかった。独自の風習を築くミナオンは誇り高いところがあり、水晶珠を持ち込んだら気分を害さないとも限らない。

「ところで若君、この水晶珠はどうしたの」

「死にかけの魔術師がえぐり取って持って行けというから、頂いた」

 どうして魔術師がスタニスラフの前で都合よく死にかけていたのかは、やはり、問わないことにした。



 万年雪を冠した山脈が遠くの地平線を縁取っている。箒で俺が降り立つと、敷地のあちこちから棄子が顔を出してきた。俺は子どもたちに手を振った。

「セルヴィンだ」

「よう。元気か」

 流浪の民ミナオンの許に行くのは今晩だ。それで、昼の間はイスドナウ棄児院に行くことにしたのだ。

 医療室前の通路には歴代の嘱託医の肖像画が飾られている。俺に手紙を寄越したドクトル・クローヴァスの肖像画もあった。

 ウィスタ・ラヴィニアは穏やかな笑みを浮かべて俺を出迎えた。

「セルヴィン」

「ご無沙汰しております」

 代替わりしてもその名はいつもウィスタ・ラヴィニア。女子寮ならウェスタ・リュドミラだ。イスドナウ棄児院設立時を支えた初代の魔女の名が代々受け継がれている。彼女たちは生涯独身を通す。この世で最も世話になった魔女だから、棄子は誰もが頭が上がらない。

 あいにくとドクトル・サリエリは近所の農家に急患が出たとかで医療室に不在だった。仕方がないので、ドクトルから借りたお金はウィスタ・ラヴィニアの手から返してもらうことにした。子どもたちへの土産としてバルバラさんは籠いっぱいの焼き菓子を持たせてくれたから、それも渡した。

 棄児院出身者は、何かと院に贈り物をする。事業を興して成功した者などが巨額の寄与をするので、この棄児院では古びたものを騙し騙し使うということもない。

 鐘が鳴った。昼食を報せる鐘だ。

「いらっしゃい、セルヴィン。あなたの分もあるわ」

「いただきます」

 棄子はいつでも、戻ってくれば院で食事がとれるのだ。外の世界とそりが合わず舞い戻って来た魔法使いも受け入れていて、彼らは調理場や洗濯場で働いている。

 食事は来客者にも同じものしか出ない。すごく美味しくもなく、ひどく不味くもない。ウィスタ・ラヴィニアはいつものように幼児と一緒の長机についていた。年長の棄子が当番で幼い子どもたちの食事の介助を手伝うとはいえ、これを一日三回、毎日やっているのだから大変だよな。


 食事を終えると、俺はオーラミュンデ家について調査を頼んだミロシュと共に棄児院の図書室に籠った。面白いことが分かったとミロシュが俺への手紙に追伸していたからだ。

 ヤッシュ、バーシェス、バニラ。

「この姓を与えられた棄子たちを調べてみたのです」

 分厚い名簿を繰り、この三つの姓がつけられた子どもを全て書き抜いて、調べられる限りミロシュは彼らのその後を追いかけていた。

「ヤッシュ、バーシェス、バニラについては、結婚時、または二十代から三十代半ばで、姓を変えるかどうか、役所から問い合わせの通達が来るそうです」

「え、そうなのか」知らなかった。

「強制ではありません。自由意志で決めていいそうです」

 俺たちの姓は、独り立ちするまでの期間限定なのかな。

 ミロシュ・コンティも棄子だが、すでに外部の学者夫婦と養子縁組が叶っている。本人の希望で十五歳まではイスドナウに居て、週末は義両親の屋敷に泊まりに行く。その機会を使ってミロシュは図書館にも通った。ミロシュは棄子院を出た後は寄宿舎学校に入ることが決まっている。

「ヤッシュ姓の中に軍隊で暴れた奴がいるだろ」

「いませんよ。少なくともここ百年は」

 机の上にミロシュが調べた一覧を拡げた。

「興味深いことが分かりましたよ。ヤッシュ姓以外のバニラとバーシェスについては、それぞれ棄児院にいるあいだに長期入院の記録があります」

 入院。

「イスドナウでも、彼らは別の棟にいることが多いですよね」

 そうなのだ。女子寮と男子寮とは別に、第三の棟があり、俺たちはそこを医療棟と呼んでいるが、そこにバニラ姓とバーシェス姓はよく集まっている。そういえばキューリア・バニラも一時姿を消していた。あれは入院していたからなのだ。

「入院履歴こそありますが、その後のバニラとバーシェスについては、外の世界でつつがなく暮らしているようです。こちらの資料を見ると、成人した彼らが棄子院を訪れたり、寄与をしているのが分かります」

「ヤッシュは。ヤッシュ姓は従軍先で暴れたりしてないのか」

「どうしてもそこが気になるようですね。ないですよ」

 手許が暗くなった。

「わたしの弟はバーシェスだった」

 背後にコンラート卿が立っていた。



》3-Ⅱ



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