Ⅲ 三つの姓
イスドナウの棄子たちから慕われている老コンラート卿はいつもの笑顔を引っ込め、厳しい顔をしていた。いつの間にか卿が後ろに立っていたことに俺とミロシュは仰天したが、資料を机に散らした状態で誤魔化したところで仕方がない。ヤッシュとバーシェスとバニラの姓を与えられた者と、そうでない者の違いについて調べているのだと伝えると、老コンラート卿は「そうか」と紙片の一枚を手に取った。
「それについては、わたしに訊いてくれたら良かったのだ。教えてやれるぞ」
「本当ですか、卿」
「もっともわたしも、巷説程度のことしか語れぬがな。この話を本気で辿るならば、百年単位、千年単位、億年以上も遡らなければならない」
なんだって。二百年前の魔女レアシルヴィアよりもさらに古い話が出てくるのか。
げんなりした顔になった俺とは違い、ミロシュの顔は耀いていた。
「伝説伝承の類、大好きです。荒唐無稽な云い伝えに過ぎないとみえるものの中には、当時の真実が紛れていることがあるからです」
「そうだなミロシュ」
「黒聖母堂に祀られている古代の魔女レアキリアだってきっとそうです。シジッタの住人が黒聖母として崇めているのには、きっと何か深い理由があるのです」
コンラート卿はミロシュの頭に優しく手をおいた。そして俺を見た。
「セルヴィン。お前の名だが、外で名乗った時に魔法使いはどのような反応を見せるかな」
別にこれといって。ただの名だ。俺から逃げ回っている変人の宮廷音楽家以外は誰もが、「ああ、そう」という受け取り方だ。
「そうだろう。だから本当にもう古い話なのだ」
コンラート卿は俺とミロシュを伴って図書室から貴賓室に移動した。中庭をめぐる回廊を渡っていると、切り花を抱えた女子寮舎監ウェスタ・リュドミラとばったり逢った。
「コンラート卿こんにちは。あら、セルヴィン」
「こんにちは、ウェスタ・リュドミラ。最近キューリア・バニラに逢いました。彼女も元気でやっています」
「室をひとつお借りしますぞ」
「どうぞ、卿。お茶をお持ちいたしましょう」
ウェスタ・リュドミラはすぐに年長の魔女と共に茶道具と菓子を用意して、「ごゆっくり」と貴賓室の扉を閉めていった。
貴賓室は棄児院の中でもっとも豪華な室だ。大きな暖炉、高価な敷物、重厚な家具。俺たちを長椅子に並んで座らせ、向かいの革張りの椅子に座ったコンラート卿は脚を組んだ。
卿は直截に語り始めた。
「結論からまず云おう。ヤッシュ、バーシェス、バニラ。この姓を持つものは、大昔の魔法界が計画的に生み出そうとした特殊な魔法使いの末裔なのだよ」
俺とミロシュは息を詰めて続きを待った。
「神話時代のことだ。その頃の魔法使いは現代の魔法使いと区別するために、古代種と呼んでいる」
「昔話に出てくる魔法使いですね」
神話時代の古代種魔法使いは、今よりももっと強い力を持っていた。山を盛り上げ海原を作り砂漠の砂を天界に投げ上げて星空をつくった。古代種魔法使いがそれをやったということにお伽話の中でも語られている。
「しかし古代種の魔法使いは絶滅した。生き残ったのは新しい種の魔法使いだ。現在の魔法使いの祖だな。ところが今でも稀に古代種魔法使いがこの世に現れることがある。どうやら古くは混血しており、その血が先祖の特性を強くもって先祖返りしてくるようなのだ。それも決まって魔女だ」
「魔女」
「魔女だけですか」
「そうなのだ。古代種の特徴を持つ魔女だ。魔法界はその血を尊び、今の魔法使いと血を掛け合わせて、古代種魔法使いをこの世に蘇らせようとした」
「超古代文明だ」
昂奮気味にミロシュが身を乗り出した。
「古代種魔法使いは超古代文明を築いていた」
「結果は残念なことに、受胎してもその多くが死産であったり育たなかった。しかし中には生き残り、無事に成人まで育つ魔法使いがいた。彼らは子を遺した」
コンラート卿はいつものようにゆっくりとした動きで丁寧に葉巻の吸い口を切った。
「それが、ヤッシュであり、バーシェスでありバニラだ。セルヴィンたちは、先祖返りした古代種と今の魔法使いとの混血の、その子孫ということだ」
なんだ。それだけのことか。
身構えていた俺は拍子抜けした。混血の魔法使いなど珍しくもない。人間との混血もいるし、絶滅が危惧されている幻術師だって、魔法使いと結婚して生き残りをはかっている。ヤッシュ、バーシェス、バニラは、祖先がちょっとだけ違う混血の魔法使いだった。ただそれだけのことだ。スタニスラフは俺に、二百年前の魔女レアシルヴィアが俺の母だと云った。それはつまりレアシルヴィアが、その先祖返りした古代種の特性を有していた魔女だったということなのだろう。
だが、コンラート卿の話をきいたミロシュの反応はまるで違った。
「古代種の特性、ですか」
考え込んでいたミロシュは顔を上げた。
「亜種と掛け合わせていたということですよね。その作為的な実験により、どれほどの死産があったことでしょう」
「そうだな」
コンラート卿も表情を暗くした。
「医師たちは交配により超常の力を持つ魔法使いの誕生を期待したのだが、そのほとんどが失敗に終わった」
貴賓室にコンラート卿の手にした葉巻の煙が流れた。
「しかし今でも古代種は先祖返りしてくる。さらには、交配実験の生き残りの血統からも、古代種魔法使いの特性を帯びた赤子は生まれてくる」
つまりこういうことですね、とミロシュは左右の人差し指を立てた。
「先祖返りの魔女と、交配実験の結果から繋がる末裔。この二系統がいると」
「そうだ。昔はこの二系統を厳格に区別していたのだが、後者の子孫の裾野が広がった今ではまとめて、ヤッシュ、バーシェス、バニラと呼んでいる。先祖返りの魔女もほとんどバニラと云って差し支えないからだ」
「あの。コンラート卿。古代種の先祖返りと、その実験の末裔には、何かそれだと分かる特徴でもあるのですか。たとえばこちらのセルヴィンさんは魔力が強い。それがまさに古代種魔法使いの血の発露ですよね」
「ああ、ある。赤子の時からはっきりしている。だから彼らは棄子にされるのだ」
「どんな特徴ですか」俺も口を出した。
まさにその特徴があるがゆえに俺たちは棄子になったのだから、そこは知りたいところだ。
コンラート卿は少し考えていた。
「これを伝えたところでセルヴィン、お前は平気だろう。だが中には深刻に悩む者もいる。軽々しくとり扱うことは厳に慎んでくれ」
もちろんですと俺とミロシュは頷いた。
「この二系統の赤子は、肉体に魔法使いと魔女、双方の特徴をもって生まれてくるのだ」
首を傾けている俺の横でミロシュの理解は早かった。
「同性具有」
「そうだ」
「古代種魔法使いは雌雄同体であったと伝わっています」
「伝説ではな。ともあれその赤子は、双方の生殖器官をもって生誕するのだ」
幼児のうちに魔女の特徴が消えて早々に魔法使いと定まるものをヤッシュ。雌雄同体のまま成長していく子どものうち、魔法使い優位のものをバーシェス。魔女優位のものをバニラ。
「この三つの姓をつけるのは差別ではなく、過去の不幸な実験の犠牲者として、魔法界全体が責任をもって見守ってやらなければならない対象なのだと、分かりやすくするためだ。先祖返りの魔女も同様だ」
「入院履歴だ」
ミロシュは合点した。
「バニラもバーシェスも、棄児院にいる間に誰もが二ヶ月ほど魔都の大病院に入院しています。魔女か、魔法使いか。どちらかの性に固める手術を受けていたのですね」
「そういうことだ」
コンラート卿は葉巻を灰皿においた。
「医学的には奇形だ。両性具有のままというわけにはやはりいかぬからな。バーシェスとバニラについては、十代になると本人の意志を何度も確認する。その上で、院を出る十五歳までに、無料でその処置をすることになっている。セルヴィンの友人のキューリア・バニラもそうだ。彼女は小さな頃から自分のことを魔女だと云っていた。だから手術の同意書を書く時にも、彼女には何の迷いもなかったよ」
あれ。
だったら何故、魔女となった今でもキューリアは髪を短くして男装をしているのだろう。いや、あれは単なる彼女の美意識だからあれでいいのか。仕立て屋の職人としてとても似合ってるし。
「ヤッシュだけは、遅くとも四、五歳頃までには魔女の特徴が吸収されて消えてしまうのだ」
確かに俺はずっと魔法使いだった。その記憶しかない。
「卿。バーシェスとバニラにも、ヤッシュのような古代種の力の片鱗はあるのでしょうか」
「全くない」
コンラート卿は首をふった。
「彼らから生まれる子にもない。両性具有でもない。その特性は隔世でこの世に生れ出てくる」
「先祖返りの魔女はどうですか」
「ない。こちらについても、魔女優位のバニラとほぼ同じだ」
あっという間に三つの姓についての秘密が解き明かされてしまった。これが大っぴらに公開されていないのは、バニラやバーシェスのうちには他の者とは異なる身体にひけ目を覚えて、深く想い悩む者がたまにいるからなのだ。
「古代種魔法使いの力の再生が叶えば、測り知れない恩恵を魔法界にもたらしてくれるはずだ。しかし結果は胎児と母体の犠牲を積み上げるだけに終わった。セルヴィンたちは悪魔的実験の負の遺産なのだよ」
お茶はすっかり冷めていた。コンラート卿は灰皿に休めていた葉巻を取り上げた。
「わたしの弟は、バーシェスとして生まれた」
紫煙を吐き出し、コンラート卿は遠い眼をした。
「両性具有の赤子。魔法界では、生まれた子が周囲との差異を感じて孤独になるよりは記憶を抜いて棄子にしてしまう。ここは人間界とは違うところだな。そして両性具有者が集められている棄児院に預けるのだ。わたしの両親はそうした。わたしの後ろを追いかけて歩いていた弟は、幼児のうちに何処かに送られた。彼はイスドナウ棄児院ではない別の棄児院施設から巣立ち、わたしという兄がいると知らぬまま、家庭をもち孫をもち、立派に生きている」
葉巻は灰になっていく。そんな背景があったからコンラート卿は棄児院に長年援助を続けているのだ。
コンラート卿に礼を云って貴賓室を辞した。いろいろ分かってすっきりしている俺の隣りで、ミロシュはまだ釈然としない顔をして、あれやこれやと新しい疑問を想い付いては首をひねっていた。
夜が迫っていた。宵闇に月がもう出ている。流浪の民ミナオンの野営地に乗り込むにあたり、俺は悪友レニオンを誘った。
「面白そう。行く行く」
興味津々のレニオンを伴い、いつもの物見塔の上でスタニスラフにレニオンを引き合わせた。
「レニオン・ベンダランです。お逢い出来て光栄です」
「よろしく」
「こちらのレニオンは、若君にとってのバルタゼル・メルヒントン氏のような存在です。昔からの俺の親友です」
スタニスラフは微笑んでいた。そうではないと云うように。
たいていの大貴族は領地に城があり、そして魔都の近くにも屋敷がある。スタニスラフには魔都郊外の伯爵家の別邸で待機してもらうことにした。スタニスラフは森の中で待つと云ったが、それではミナオンに警戒されてしまう。
「大丈夫だよ若君。ミナオンは一般の魔法使いに危害を加えることはまずないそうだから」
「夜半になっても君たちが戻ってこなければ、わたしはすぐに軍隊を出動させる」
「そんなことにはならないよ」
「ふたりとも気を付けて行っておいで」
「なあ、セルヴィン。美形の魔法使いなんて珍しくないけど、スタニスラフさまの雰囲気はさらに一段違うな」
「浮世離れしてるんだよ。伯爵家の若君だからな」
月に照らされた白銀の雲が浮島のように流れている。俺とレニオンは箒を揃えて夜空を飛んだ。いざ、ミナオンの野営地へ。
》3-Ⅳ
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