第19話 異変


 誕生日パーティーから数日後、メイソンの急病が発表された。

 感染症にかかり、国王の許可が下りるまでは面会謝絶とのこと。


(本当は、屋敷に幽閉されているのだろうな……)


 ジョアンは、ぼんやりと思う。

 これまで犯してきた罪の大きさを考えれば、死罪も十分あり得た。

 しかし、周囲へ及ぼす影響は計り知れない。

 苦肉の策として、今回の措置となったのだろう。


 メイソンが表舞台に登場することは二度とない。

 権力を盾に、悪事を働くこともない。

 王家の権威は守られた。

 これが、最善策だったのだ。

 

まつりごとは、清濁せいだく併せ吞むくらいでなければおこなえない』

 

 と、割り切るしかないのだ。



「……難しい顔をして、何を考えているんだ?」


 気づくと、書き物をしていた手が止まっていた。

 離宮の執務机に座っていたはずのデクスターが、いつの間にか場所を移動している。

 向かい側から、ジョアンの顔をじーっと覗きこんでいた。


「わあっ!」


「アハハ! そんなに驚かなくても、いいだろう?」


 人をバケモノみたいに…とデクスターは楽しげに笑う。


「もしかして……求婚の返事でも考えていたのか?」


「違います!」


「即答だな……」


 デクスターは少し肩を落としながら、執務机へ戻っていった。


 求婚をされてから、すでに数日が経過している。

 ジョアンはまだ返事を保留にしているが、デクスターは求婚前と比べ態度になんら変化はない。

 

「殿下は、その……どうして普段通りなのですか?」


 ジョアンだけが妙に意識して、挙動がおかしくなっている自覚がある。

 意識をそちらへ傾けないよう、なるべく他事を考えているというのに。


「俺は返答を待つ身だからな、焦っても仕方ないだろう? それに、経過はどうあれ結果は一つしかない」


「どういう意味ですか?」


「たとえ、おまえに断られても、俺は何度でも求婚する……おまえが受け入れてくれるまでな」


「えっ!?」


「獣人の男は強引なだけでなく、実は諦めも悪いんだ」


「…………」


 デクスターは「おまえは、たちの悪い男に目を付けられたな」と高笑いをしている。

 以前言っていた『(番いを)必死に口説くか、諦めるかの二択』という話は、どうやら建前だった模様。

 実際は、『必死に口説く』の一択しか存在しないようだ。


「それに、先日求婚したときにおまえがその場で断らなかったのは、多少なりとも可能性があるということだろう?」


 デクスターの指摘通り、ジョアンは迷っていた。


 人として、主として、デクスターを尊敬している。

 人柄も好ましいと感じていることも確か。

 これからも、彼の傍にいたいと素直に思う。

 彼となら、心穏やかな人生を送っていけると確信できる。

 ジョアンが女性だったら、迷わず求婚を受けていたことだろう。


「そんなに難しく考えなくても、『俺を好きかどうか』それだけだぞ?」


「殿下のことは尊敬していますし、人としても好きです」


 これだけは、はっきりと断言できる。


「う~ん……おまえの『好き』が、俺のとは少し違うような気もするが、ひとまずそこは措いておこう。で、具体的に何を迷っている?」


「それは、跡取りのこととか……僕自身のこととか……」


「どうしても跡取りが必要になったら、その時は遠戚から養子を取ればいい。あと、おまえ自身のことだが……」


 一度言葉を区切ると、デクスターはジョアンへ真剣なまなざしを向ける。


「俺は、おまえが誰であろうと、どんな過去があろうと気にしない。今現在のおまえを、好ましいと思っているからな」


「ふふふ、殿下らしいですね」


 デクスターは、いつも自分に正直だ。

 そんな彼から真っすぐな好意を向けられていることが、面映おもはゆくて仕方ない。

 同時に、平気な顔で彼へ嘘を吐き続けている自分自身の醜さが嫌になる。


「ジョアン、おまえ本当は……」


「なんですか?」


「いや、なんでもない」


 首を振り、デクスターは執務へ戻る。

 ジョアンは、書き物の続きを始めた。



 ◇◇◇



 ジョアンの私室は、デクスターの屋敷の最上階にある。

 主の身の回りの世話をする従者用の部屋だ。


 いつものように身支度を整え、階下へ降りていく。

 他の従者との打ち合わせを終えてから、また上階へあがりデクスターを起こしにいく。

 これまでと、何ら変わりのない朝だった。


 

 ◇



 階段の踊り場で、家令と執事が話をしていた。

 二人は階段の窓から庭園全体を眺め、「そろそろ、庭木の剪定をしたほうがほうがよいな」などと会話を交わしている。


「おはようございます」


「ジョアン殿、おはようござ……」


 普段ならにこやかに挨拶を返してくれる執事が、急に顔をしかめた。

 冗談を交えた挨拶を返してくる家令も、なぜか顔を背けジョアンを視界に入れないようにしている。


「どうかされましたか?」


「……ジョアン殿、すぐに上階へお戻りください。殿下へ即座に指示を仰いでいただきたい」


 執事は、苦しげな表情を浮かべている。


「なぜですか?」


「理由はわかりませんが、強烈な匂いがしています……番いのいる我々でも、耐えがたいほどに」


 家令と執事、そして侍女頭だけは、ジョアンの特異体質のことを知っている。

 すでに番いが居る者は、他の影響を受けない。

 彼らはすでに番いがいるため、デクスターが万が一の事態を考えて情報を共有していたのだ。


「他の者が来る前に、早く!」


「わ、わかりました」


「殿下の許可が下りるまでは、誰も上階へは行かせませんとお伝えください」


「はい!」


 今朝、最初に出会ったのが彼らでなければ自分はどうなっていたのか。

 想像しただけでゾッとする。

 ジョアンは必死に階段を駆け上がり、デクスターの部屋へ飛び込んだ。


「殿下!」


 呼びかけには反応しなかったデクスターだったが、ジョアンが寝台へ近づくとすぐに目を覚ました。


「なんだ、この匂いは……おまえ、無事か?」


「はい、大丈夫でした」


 執事の機転で何事もなかったと説明をすると、デクスターは心底安堵したようだった。

 さっそく印を付けた主だが、「匂いが止まらないな」と顔色を変えた。


「おまえは、平服に着替えてこい。今から、別荘へ行く」


「えっ?」


「数日籠ることになるかもしれないから、荷物の準備もしておけ」


「でも、仕事が……」


「おまえと、周囲の者を守るためだ」


 匂いの影響を受けた従者がジョアンを襲った場合、デクスターがその者を処罰することになる。

 それを避けるためだと言われれば、ジョアンも頷くしかない。 

 かくして、ジョアンは速やかに準備を始める。

 その間に、デクスターは階下へ行き、家令と執事に指示を出した。


 森で最初に出会ったときのように、デクスターはジョアンを外套ですっぽりと覆う。

 抱きかかえたままうまやへ行き、別荘へ馬を走らせたのだった。


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