公爵家子息は、獣人王弟の番いとなりて愛を知る

gari

第1話 プロローグ


 それは、雷鳴が轟く夜の出来事だった。


 ジョシュアは国境近くの町を視察し、宿への帰路を急いでいた。

 急用ができた婚約者に代わり、今回も無事務めを終える。

 これまでにも何度か同じようなことはあったが、その度にきっちりと役目を果たしてきた。

 

(宿へ戻ったら報告書をまとめて、それから……)


 頭の中で、これからの行動を先に組み立てておく。

 こうすれば、無駄のない動きができる。


 明日から数日かけて王都へ戻り、また婚約者の執務の手伝いをする。

 そして来月、大聖堂にて豪華な式を挙げ、一番目の王配となる。

 これは、ジョシュアが十八年前にこの世に生を受けた時から決まっていたこと。

 

 自分の一生は女王陛下に捧げられる。

 王配とは名ばかりで、血統の良い子種を提供するだけの従者……奴隷に過ぎない。

 そこに、何の感情も感慨もない。

 

 二歳年上の女王は、周囲から見れば天真爛漫な女性だ。

 学生時代、ジョシュアは同級生たちから「あんな美人の配偶者になれて、うらやましい」とよく言われた。ジョシュアからすれば、失笑ものだったが。


 実際の女王は、傲慢で我が儘で節操のない尻軽女だ。

 これまで、情人は数えきれないほどいた。ただし、相手はすべて男娼だったため身近に居る者以外は誰も気づいていない。

 今回の視察も、新しく手に入れた男娼との情事に忙しい婚約者に押し付けられたものだった。


 貴族令息として、政略婚は当然の義務だとジョシュアも理解している。

 それでも、せめて相手は人として尊敬できる人物であってほしかった。


「(このまま記憶を無くして)どこか(遠くの国へ)行きたい……」


 叶うことのない願いが、思わずぽろりと半分だけ零れる。


「王都へ戻られましたら一日くらいは休暇が取れると思いますので、遠出くらいなら可能かと……」


 馬車に同乗している秘書官が、声をかけてきた。

 彼はジョシュアの右腕として、様々な面で支えてくれる非常に優秀な男だ。


「取れればいいがな」


「私が、予定を調整いたします」


「では、期待しておく」


「お任せください」


 

 時折、稲光が窓を通して薄暗い車内へ差し込む。激しい雨が馬車を打ち付けていた。

 苦痛しかない来月からの新生活を思い、ジョシュアは大きなため息をつく。


 

 ───その二時間後、ジョシュアは森の中を逃げ回っていた。



 ◇


 

 馬車が急停止したのは、周囲に民家のない森の入り口付近だった。

 故障した車輪の修理をするから、しばらく待っていてほしいと御者に言われてから、ずいぶん時間が経っている。

 秘書官は、手続きを迅速に行うために御者らに同行していた。


 女王の視察と違い、まだ婚約者の立場であるジョシュアには少数の護衛しか同行していない。

 道中の世話をしてくれる侍女などは、宿で待機している。

 ジョシュアのもとには、二名の護衛騎士だけが残っていた。


 やや小雨になり、ジョシュアは一度外の様子を確認することにした。

 ところが、馬車の周囲には誰もいなかった。

 周囲は雨音だけで、人の気配はまったくない。

 残ったはずの護衛騎士たちの姿も見えない。

  

 不審に思いつつも、小用を足すためジョシュアは森へと入る。

 貴族としては行儀の悪い行いだが、生理現象には勝てなかった。


 サッと用を足し馬車に戻りかけたところで、人の話し声が聞こえた。

 ようやく出発できると安堵したが、不穏な気配を感じ思わず木の陰に身を隠す。

 馬車の周囲にいたのは御者や護衛騎士ではなく、明らかに無法者とわかる者たちだった。


「おい、馬車の中には誰もいねえぞ」


「聞いていた話と違うな。どこへ行ったんだ?」


「盗賊に襲われたと見せかけて、要人をる予定だったが……」


(!?)


 声を上げなかった自分を褒め称えたかった。

 どうやら自分は命を狙われ、間一髪のところで難を逃れたらしい。


「周囲を探せ。まだ、近くにいるかもしれん」


 残念ながら、まだ男たちは諦めてくれなかった。

 ジョシュアは森の奥へ慌てて逃げる。


「おい、あそこにいたぞ!」


「絶対に、逃すんじゃねえぞ!!」


 雨がまた本降りとなってきた。

 鬱蒼うっそうとした森の中を、ジョシュアは必死に逃げる。

 背の高い雑草。泥濘ぬかるむ地面。地に張り巡らされた木の根。

 何度も足を取られ、転び、体中泥まみれだ。

 それでも、ジョシュアは走り続ける。

 こんな場所で、こんなつまらない人生のまま終わりたくない。

 何としても生き延び、これからは自分のやりたい事をやり、好きなように生きるのだ。

 

 ───人生の終焉で、後悔しないために



 ◇



「はあ、はあ、はあ……」


 気が付くと、ジョシュアは崖の上にいた。一度立ち止まり、息を整える。

 遥か下には隣国へと続く河川が見える。

 普段はそれほど水位の高くない川だが、今は豪雨の影響で増水し濁流となっていた。


 どれくらいの時間を逃げ回っていたのだろうか。

 一時間かもしれないし、たった数分かもしれない。

 雨は容赦なく疲れた体に降り注ぐ。

 ずっと王配教育を受けていたジョシュアは、文官である。

 騎士たちのように、剣術などの講義は一切受けていない。

 つまり、体力はそれほどないのだ。

 それでも逃げ続けられたのは、『絶対に生き延びてやる!』という執念があったから。


「……ここに居たのか。手間を取らせやがって」


 剣を手にした男がひとり、ゆっくりと近づいてきた。

 男も、肩で息をしている。


「私を殺せと、誰に命じられた?」


「依頼人が誰かなんて、俺たちは知らねえ。ただ、あんたに生きていられたら困るんだとさ」


「そうか……」


 ジョシュアの実家は公爵家だ。

 自分が王配になることで、派閥争いに変化が生じる。

 それを快く思わない輩の差し金なのだろう。


「あんたに恨みはねえが、これが俺たちの仕事だ。悪く思わんでくれよ」


「ああ、君たちには感謝しかない」


「なんだと?」


「この私に……生まれ変わる機会を与えてくれたのだからな!」


 ジョシュアは闇の中を崖へ向かって走り出す。

 勢いをつけ、大きく飛躍した。

 

 視界から消えたジョシュアを追い男は崖から下を覗いたが、真っ暗で何も見えない。

 激しい雨音と、濁流の音だけが響いていた。


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