笑う死美人

ZZ・倶舎那

1

     要するに過去とは、われわれの日常生活に絶えずつきまとう幽霊である

                スティーブン・キング『死の舞踏』(安野玲訳)





 岬の先端をめぐる道の先に、その館が黒々とした姿を現わした時、閏井うるい賢治は車を路肩に停め、両手で顔を覆ってうつむいた。

 慣れない運転で疲れたこともあるが、館が思っていた通りの禍(まが)々(まが)しさで灰色の冬空に聳えていたことに、少なからず動揺したのだった。

 両手で作られた闇は心地よく、閏井はほんの一瞬、眠った。

 その時、車がぎしっとがきしみ、何かが車内を覗き込んだ気配がした。

 閏井はびくっとして顔を上げ、あたりを見回した。

 車の外にはモノクロ写真のような荒涼とした曇天の海浜風景があるばかりで、動くものは何一つ――鳥や飛ばされていく枯れ葉さえも――なかった。

 閏井はウインドウを全開にして、大きく息を吐いた。重苦しく冷えた潮風が車内に流れ込み、彼の火照った頬をなぶった。

「地の果てのような場所なのだが、道はわかりやすい。岬の先端を過ぎて程なく、道の先の丘の上に、墓標を思わせる建物が見えるだろう。そこが僕のだ」

 招待状に添えられた手紙には、そう書かれていた。

 確かに飾りのない四角い形も、風雨に洗われて黒ずみ苔生こけむした外観も、墓標と呼ぶにふさわしいものであった。しかし、墓標とするにはあまりに大きい、いや、屋敷と呼ぶにしても異様なまでに大きい。

 それもそのはずで、その手紙によれば、その建物は百二十年ほど前に修道院の聖堂として建てられたものなのだという。

 そんな建物を、それもこんな辺鄙へんぴな場所のものを住まいにするなど常軌を逸している。だが、彼がこれから行なおうとしている儀式には、このような場所が是非とも必要なのだ、と彼は手紙に書いていた。


 彼――宇留井うるい健一――は、この物語の主人公である閏井賢治のドッペルゲンガーだ。

 いや、この言い方は正しくない。

 閏井賢治こそが宇留井健一のゲンガーなのだ。少なくとも閏井自身はそう信じている。

 宇留井と閏井が初めて出会ったのは、小学校の入学式の時であった。運命の女神の気まぐれでもあったのか、彼らは同じクラスとなったのであった。当然のことながら、二人はそろって活動することが多かった。

 名前の相似だけではなく、容姿もまた二人は似通っていた。教師や母親たちは二人が並んで立っているのを見ては、「なんて美しい子たちでしょう!」と嘆息をした。

 だが、閏井賢治は――そして、おそらく宇留井健一も――初めて会った時から、自分たちが似て非なるものであることに気づいていた。二人は一見、双子の美少年ようだが、本当に美しいのは宇留井健一であって、自分は腕の悪い画家が描いた肖像画のように、どこもかも寸足らずでなければ間延びした形だ、そう思っていた。

 中学二年の時に彼らを担任した男性教師――五十代半ばだったと閏井は記憶している――は、出席番号順に並んだ二人を見て、「まるでウィリアム・ウィルソンだな」と言った。二人ともそれがエドガー・アラン・ポーの短編小説の題だということを知っていたが、ポーなんて知らないといった顔で黙っていた。

 白けた教師はそれ以上なにも言わなかったが、この一件は閏井の心には浅からぬ傷を残した。しばらくは幻想小説の類いはポーはもちろん、エンデでさえも読めなくなったほどだ。

 そんなことから閏井は写真を撮られるのも、鏡を見るのも、極端に嫌がるようになっていった。

 今、閏井の手もとには少年時代の写真が一枚だけ残されている。小学三年の遠足の時のもので、**山の頂上に立つ女神の像を背景に、彼と宇留井がポーズをとっている。

 もちろん、かつては幼い頃から成人するまでの写真がそれなりにあったのだが、三十代半ばの頃に両親の遺品を整理するついでに、まとめて捨ててしまったのだ。

 その一枚だけ残したのは、宇留井が確かに彼の友だちであった――少なくとも外形的には――証拠を、未来の自分に残してやるためであった。

 二人は高校まで同じ学校で、大学生になってからも頻繁に顔を合わせていたが、卒業後は次第に疎遠になり、三十を過ぎると連絡も途切れがちになった。

 そうなってみると、閏井には宇留井との交友が、とくに少年時代の日々が本当にあったことなのか、だんだんと怪しく思えるようになっていった。自分と瓜二つの美少年と親友であった思いたい気持ちが生み出した妄想なのではないか、そんなことを考えたこともあった。

 思うようにいかない暮らしの中で、宇留井に似て美しかったはずの容姿が、疲れ衰えてしまったことが、そんな思いを生んだのだろう。並んで歩く二人を道行く人々がうっとりと眺めていたなどという昔話は、当時の閏井には悪い冗談にすら感じられた。


 それは確か小学三年の春のことであった。

 下校時刻、彼と宇留井が手をつないで歩いていると、彼らの前に青いワンピースにグレーのジャケットを羽織った女が立ち塞がった。年の頃は彼らの母親より少し若いくらいの感じだった。

「あなたたち、本当に綺麗な子どもねえ」

 女は二人をじっと見つめた後、感に堪えない様子でそう言った。

 当時の閏井たちはそういう言葉を毎日のようにかけられていたので、少しも驚かなかった。それどころか、誰もがそんな風に感嘆するので、いい加減うんざりしていて、以前のように愛想笑いを浮かべることすらしなくなっていた。

 無節操に褒め言葉を並べる大人たちに敵意すら抱くようになっていた二人は、慇懃無礼に受け答えをして相手を鼻白ませることも少なくなかった。

 その日も、どちらともなくその〝遊び〟を始めていた。

「いいえ、僕はそんなに綺麗じゃありません」と宇留井が言った。「僕の目は閏井君みたいに切れ長じゃないし」

「いいえ、僕こそ綺麗じゃありません」と閏井は言った。「僕の鼻は宇留井君みたいに形がよくないし」

「いいえ、僕こそ綺麗じゃないです」と宇留井は言った。「僕の髪は閏井君のみたいな栗色じゃない」

「いいえ、僕こそ綺麗じゃないです」と閏井は言った。「僕の髪は宇留井君みたいにウェーブしていない」

 たいていの大人は、ここまでやると白けて嫌な顔をした。だが、その女は二人を見て面白そうに笑ってこう言ったのだった。

「そう、猿知恵もついたというわけね」〝おばさん〟は魅惑的だが不穏な気持ちにさせる笑みを浮かべて言った。「気に入ったわ。――そう、あなたたちとは、また会うことにしましょう。いいわね?」

 女がそう言うと、二人は思わず「うん」と答えていた。

 翌日、二人はこの出来事を検討し、「いずれ」がどれくらい先のことなのか議論した。三日か一週間後かで意見が分かれたが、その後、女の姿を見ることはなかった。

 もう二度と会うことはないのだろうと閏井は思っていたのだが、それが間違いであったことを、そののち知ることになった……


 中学生になる頃には二人のことは近隣まで知られるようになり、登下校の時間を狙って遠くから見物に訪れる者まで現われた。

 バレンタインデーや誕生日には見知らぬ女の子からプレゼントが届き、ラブレターともファンレターともつかない手紙を手渡してくる者もいた。

 同級生やその親たち、そして一部の教師までが、二人に芸能界入りを勧めたが、その頃くらいから二人はペダンティックな学究に惹かれるようになり、エンタテインメントには関心をなくしていった。そのため二人は中学校でも部活はせず、図書館や博物館で夕暮れまで過ごすのが日課になった。

 彼らは自由になる時間のほとんどを二人だけで過ごしたが、時折、無理矢理その仲間に入ろうとする者が現われた。それは彼らのファンだと自称する女の子であったり、同好の士だと強弁する男子だったり、保護者ぶりたがる年長者だったりしたが、一週間ともたずに去っていくのが常だった。

 というのも、彼らの遊びというのが、ユイスマンスの『さかしま』やボルヘスの『創造者』の輪読だったり、自作のパラドックスを披露しあうといったもので、たまに外出したかと思うと、神社の狛犬の前でヒエロニムス・ボスの『快楽の園』について一時間以上議論するという有様だったからだ。

 しかも、驚いたことに二人は、その奇怪な宗教画――彼らはそれを悪魔の曼荼羅と呼んでいた――を細部まで諳んじていて、まるで画集を前にしているかのように話しているのだった。その時一緒にいたのが一歳上級の美術部部長だったから、彼らが何を話しているのかを理解することはできたものの、話題についていくことはとてもできなかった。

 宇留井も閏井も嫌がらせでそのような話をしているのではなく、むしろ彼女にもわかるよう懇切な説明をつけつつ話していたのだが、情報量の多さに眩暈めまいさえ感じ、しまいには気分が悪くなって、そのささやかな集会から離脱しなければならなくなったそうだ。


 もちろん、二人の周囲には彼らを好み愛する者たちばかりではなかった。彼らが美少年であり人気者であるがゆえに憎み、敵視する者も男女を問わず存在した。

 中には二人に危害を加えることを公言する者もいたが、それが実行されることはなかった。多くの場合は周囲が止めたのだが、誰も止めようとはしなかったのに手を出せなかったこともあった。

 たとえば、二人からカツアゲしようと待ち伏せしていた高校生の三人組は、暴走車にひかれて手や足を失うという重傷を負った。運転手は四十代の会社員で、運転中に意識を失ったらしい。

 すれ違いざまに宇留井を殴ろうとした五十代の自営業者は、その場で意識を失って倒れた。脳梗塞が原因で、緊急手術がなされたものの、半身不随となり言語機能も失われた。

 閏井の椅子に画鋲を置くという古典的ないじめをしようとした同級生の男子は、その頃校内で頻発していた窃盗の犯人と間違われ、停学処分となった。また、宇留井の給食に唾を入れようとした女子の上級生は、その直前につまずいて舌を噛み切った。

 まだほかにも不慮の事故に遭った者や原因不明の奇病に罹った者、精神を病んだ者などがいるというが、真偽は不明だ。しかし、噂は噂を呼び、中には「彼らは黒い天使に守られている」などと言う者まで現われ、二人は伝説的な存在になっていった。

 実は、彼ら自身も奇怪な出来事を経験していた。

 二人が日々歩いていた通学路には半ば見捨てられた神社があったのだが、その前を通ると決まって木下闇から「確かにきれいな子ね」というぬめっとした声と、カタカタという枯れ枝が擦り合うような笑い声がするのであった。

 鏡の前を通ると、ジョットのフレスコ画かデューラーの銅版画に出てきそうな女がこちらを見ているのが視界の端に見えるということもあった――洗面の時のように正面から鏡を見る時には、そうしたものは見えないのだが――。

 だが、彼らはそれを恐いとは思わなかった。実際、それらのモノが彼らになにかをするということもなかった。

 そうした怪異も、二人が大人になり、それぞれにつき合う人ができると起こらなくなり、やがて、そんなことがあったことさえ忘れていった。


 宇留井も閏井も高校に進学した頃から特定の女の子とつき合うようになった。

 どちらの彼女も別の学校の生徒で、図書館か博物館でたまたま知り合ったのだった。いずれの子もとりわけ美人というわけではなかったが、清潔感があり、真面目で気のつく娘だった。

 宇留井も閏井も異性とつき合うということに新鮮な喜びを覚え、思春期の男子らしい幸福感を味わったが、彼女たちは他の女たちの嫉妬を恐れ、つき合っていることを秘密にしてほしいと願った。

 そのためデートは郊外の喫茶店だったり、隣県の寂れた遊園地などを選ばざるをえなかった。人気のないプロ・スポーツの試合を見に行ったり、スパイ映画をまねてそれぞれ別のルートで目的地に行くダブルデートをしたこともあった。

 そうした秘密主義も最初こそ隠微な喜びを生んだが、程なく倦怠に変わっていった。そして、二人とも一年も経たぬうちに別れることとなった。

 閏井はその後も何人かの子と短いつき合いを繰り返したが、宇留井の方は女の子に対する興味を失ったかのようだった。

 デートなどに時間を費やす必要がなくなった宇留井は、以前に増して衒学的な趣味にのめり込むようになり、遊び癖がついた閏井とは別行動となることが多くなった。語学学校や大学の公開講座などに熱心に通う宇留井を見て、すっかり女っ気がなくなったと閏井は思ったのだが、それは誤解であった。

 それは閏井が久々に宇留井の家に遊びに行った時のことだった。彼の部屋に入ると、壁に彼が描いたものらしい女性の肖像画が掛けられているのに気づいた。閏井が「これは?」と尋ねると、宇留井は「僕の彼女だよ」と言った。そして、すぐに「いや、正しくは、遠からず彼女になる予定の人だ」と言い直した。

 「なんだい、それは」と閏井が笑いながら言うと、宇留井は生真面目に「やっと今頃になって、僕が誰を好きになるべきかがわかったんだ」と謎めいた返事をした。

 アニメのキャラクターかアイドルのファンになったのかと思ったが、そういうことはでないと宇留井は断言した。その一方で、具体的なことは話そうとはせず、「そういう仮想の恋ではないんだよ。恐ろしいまでの現実の話なんだ」といった煙に巻くようなことばかり話した。

 修道院を改造した屋敷に泊まった夜、閏井はこの時のことを思い出した。そして、宇留井の死んだ妻は、その絵の女に似ていたのだろうかと考えた。


 遊び癖がついた閏井の成績は伸び悩み、宇留井と同じ国立大学に入ることはできなかった。仕方なく名前だけは有名な私立大学に入学し、文学部で宗教史を学び、宇留井と同様に大学院に進んだが、一度ついた差が縮まるということはなかった。

 そんなこともあって連絡は次第に途絶え気味になっていったが、ともに大学に在籍する宗教史の研究家という身分になったため、それぞれの状況は互いにそれとなくわかっていた。

 キリシタン史を専門としていた宇留井が、居を長崎県の山村に移して現地調査に専念しているらしいと聞いた時は、いかにも物事を徹底してやる彼らしい決断だと閏井は感心したものだった。それに対して閏井の方は、第六天魔王信仰などというオカルト雑誌の編集者くらいしか興味をもたないことを研究テーマとしてしまった結果、論文が学界で評価されることもなく、狷介けんかいな性格が災いして学内での評判もかんばしくなかった。

 大学の頃からつき合っていた彼女との仲も冷え切ったものとなっており、閏井は将来への希望が急速にしぼんでいくのを感じていた。

 結婚式の招待状が届いたのも、そんな頃のことであった。


 招待状には宇留井らしい簡潔な手紙が添えられていた。

「このたび研究対象であり援助者でもある蘆屋あしや家の長女、叡理えりさんと結婚することとなった。彼女は美貌と知性に恵まれた素晴らしい女性で、僕の研究のパートナー、いや、それ以上の存在だ。結婚式はごく内輪で行なうつもりなのだが、君には僕の唯一の友人としてぜひ出席してほしい。辺鄙な片田舎まで来訪を願うのは心苦しいが、万障を繰り合わせて来てほしい。君とは話したいことがたくさんあるのだ」

 閏井はこの手紙を繰り返し読み、不覚にも涙さえ浮かべた。儀礼的な表現だとしても、今も自分のことを友と呼んでくれることを嬉しく思ったのだ。

 しかし、返信葉書には欠席に丸をつけ、「家庭の事情により家を空けられず残念。御多幸を祈る」と書き添えた。そして、わずかばかりの御祝儀を添えて返送した。

 欠席としたのは見窄みすぼらしくなってしまった自分を見られたくないという気持ちからだったが、「ウィリアム・ウィルソン」の呪いへの恐れがあったことも否めない。二人が再び顔を合わせると何かよくないことが起こる、そんな根拠のない不安があったのだ。

 閏井は何度となく宇留井との再会の場面を思った。その妄想の中の宇留井は、病み衰えた閏井の顔を見て怯えすくんでいた。

 十日後、宇留井から返信が届いた。


「我が友、賢治君。いや、あえてこう書こう。わが〝ウィリアム・ウィルソン〟よ」

 宇留井からの手紙は、こう始まっていた。

 その文章は高校生の頃の口調そのままだったが、閏井は冒頭のこの一文を読んだ瞬間、背筋を悪寒が走るのを感じた。まるで悪しきモノに背後から見つめられているような感じで、思わず振り返ってみたが、もちろんそこには何もおりはしなかった。

 閏井はそれ以上読むのをやめ、そのまま丸めて捨ててしまおうかと思った。しかし、その恐怖感にはまるで根拠がなく、唯一ともいえる友人の手紙をそんなことで未読のまま捨ててしまうことはできなかった。

 閏井はひとまず手紙を最後まで読み通してみることにした。

 とはいえ、手紙をもう一度手にするのは気が重いので、コーヒーを淹れて気分を変えることにした。実際、コーヒーをドリップしているうちに不安感はすっかり消え去っていた。

 そこでもう一度手紙を手に取り、最初から読み返してみた。

 宇留井は冒頭の言葉に続いて、閏井が結婚式を欠席すると伝えてきたことにひどく落胆しショックを受けていると述べ、できることなら考え直してほしいと述べていた。そして、次のように書いていた。


 だが、僕は、君がいったん決意したことを決して翻しはしないことを知っている。だから、この手紙を書くことにした。

 実は、どうしても君に結婚式に来てほしかったのは、君の目で確かめてもらいたいことがあるからなんだ。

 確かめてもらいたいこと、それは僕の婚約者である蘆屋叡理のことだ。

 彼女と知り合ったのは、長崎のフィールドワークを始めてすぐのことだった。一目で僕は彼女のことが好きになったのだけれど、まったく違った意味でも僕は彼女のことが気になっていた。

 というのは、ずっと以前にも彼女と会っている気がして仕方ないからなんだ。それも、数年前のことなどではなく、もっともっと前、僕らが小学校に通っていた頃だったように思える。しかも、奇妙なことに、その時の叡理は今より年嵩だったと記憶しているんだ。

 そんな昔のことだったら、それは叡理ではなく、彼女の母親か叔母、あるいはよく似た他人なんだろう、と君は言うかもしれない。いや、そう考えるのが常識だろう。でも、それは他の誰でもなく叡理本人だと僕の感性は言うのだよ。まったく理屈に合わないことなんだが。

 そこで君も同じ感想を抱くのか、確かめてほしかったんだ。その小学生時代の出会いが、いつどこでどのように起こったのかまるで覚えていないのだけれど、君が一緒にいたことははっきり記憶しているんだ。僕らは二人でに何か言った――何を言ったかまでは覚えてないが――。

 だったら写真を送ってくればいい、と君は思うだろう。

 でも、写真では駄目なんだ。叡理の本当の姿は写真には写らないんだ。写真に撮った彼女は、彼女に似てはいるが彼女ではない別物にしか僕は見えないんだ。

 だから、君の肉眼で確かめてほしかった。

 誤解がないよう書き添えておくが、叡理に対して君がどのような判定をしようと、僕は彼女との結婚をやめることはない。仮に彼女が時を逆向きに生きる魔女であったとしても、僕の気持ちは少しも変わることはない――つもりだよ。

 僕らの人生はすでに別方向に別れてしまったようだ。だが、僕のこの決断――叡理との結婚――は、いずれ君の人生にも影響を及ぼすことになるだろう。それがどういう形になるのか、今の僕にはわからないが、それは間違いのないことだと確信している。

 賢治君、今から覚悟しておいてくれたまえ。

 いずれ遠くない将来、再会できることを願って。

                                宇留井健一


 この手紙の真の意味を、閏井は人生の最終局面で知ることになる。だが、それはまだ先のことだ。

 この時点の閏井は、この手紙が秘める異常性や奇怪さに気づいていない。結婚前に陥りやすい鬱状態だろうと思ったくらいだ。

 彼はそんなことを婉曲に書いた慰めの手紙を書こうとさえした。だが、落ちぶれた自分が成功の途上にある宇留井を慰めることが、ひどく滑稽なことに思えて書きかけた便箋を破り捨ててしまった。

 そうした煮え切らない気持ちを持て余しているうちに宇留井の結婚式の日は過ぎていき、閏井は手紙のことも忘れていった。

 そして、三か月ほどの時が過ぎた。

 閏井が仕事から自宅のマンションに戻りポストを開けると、分厚い封書が届いていた。宇留井からの手紙だった。

 彼からの手紙であることは、封筒裏の差出人を見なくてもわかった。右肩上がりで角張った字体が昔のままだからだ。

 閏井はその手紙をリビングのテーブルに置いて、しばらくその宛名の文字を見つめていた。すぐに封を切る気持ちになれなかったのだ。

 結婚の報告だということは想像がつくのだが、それにしては封筒が厚すぎた。「いったい何を書いてきたんだ」閏井は封筒に向かってそう呟いた。

 それが何であれ、僕にとって不都合なものであるはずはない。そう思うのだが、一抹の不安感が拭いきれなかった。

「たぶん、僕は、自分が健一君に対して抱いている劣等感や嫉妬心を刺激されるのが嫌なのだろう」閏井は溜息をつきながら、そう考えた。「じゃあ、いっそのこと酒の肴にしてやろう」

 彼は手紙をテーブルに置いたままシャワーを浴びると、濃いめの水割りを作り、個包装になったチェダーチーズと一緒にリビングに運んだ。

 最初の二口は手紙に手をつけず、封筒を見ることさえもせずに飲んだ。その二口が体に染み込んでかすかな酔いを招き寄せられたところで、封筒を手に取り、鋏で上部を丁寧にカットした。

 封筒の中には、写真が三枚と和紙の便箋十枚にわたって書かれた手紙が入っていた。

 写真のうち二枚は結婚式の時のものらしく、羽織袴姿の宇留井が白無垢綿帽子の新婦と並んで写っていた。一枚は神社の拝殿前、もう一枚は披露宴会場らしき座敷の中であったが、綿帽子の影になって新婦の顔はよく見えなかった。

 それに対して三枚目は研究室らしき室内で撮られたもので、二人とも普段着らしいラフな格好――宇留井は学生の時にも着ていたようなチェックのシャツ、新婦は白いフィッシャーマンズセーター――をしていた。

 宇留井の大人びたというか、疲れた風な顔つきが気になったが、前の手紙のこともあり、宇留井は新婦となった叡理の顔を注視してみた。

 たしかに宇留井が美人だと断言するだけあって、ラファエロかフラ・フィリッポ・リッピの祭壇画から抜け出してきたかのような神々しい美しさをもった女性であった。蠟のように透き通った白い肌、わずかにカールした黒く長い髪、緑色がかった瞳をもつ杏子アーモンド形の目、開きかけた花びらのような薄い唇、どこをとっても完璧な形をしていた。彼女と並んだら、どんな女優もモデルも見劣ってしまうだろう。そもそも美しさの種類が違うのだ。女優らの美が地上のものとするなら、叡理の美は天上のものであった。

 だが、その一方で、その美しさは閏井には少しも魅力的に感じられなかった。宇留井から婚約者の立場を譲ると言われても、嬉しいとは思えなかった。

「しかし、実物に会ったらどうだろうな?」

 閏井は写真をテーブルに置いて思った。

 宇留井が手紙で書いていたように、写真の叡理は彼女の真の姿ではないのかもしれない。写真であるから見た目としてはそっくりなのだろうが、彼女が発している雰囲気とか、行動の端々に現われる個性といったものが、写真の印象とは大きく異なるのに違いない。

 ――おそらく叡理さんは、しゃべり方や仕草なんかも魅力的なんだろう。健一君は、それに惹かれたのかもしれない。僕はどうだろうか……

 閏井は写真をひとまず封筒に戻し、便箋を手にした。


 賢治君、元気かい。

 報告が遅れたが、無事に結婚式は済み、入籍もした。

 新婚旅行というより研修旅行のようになってしまったのだが、十日間ほどヨーロッパに行ってきた。叡理もカタリ派に興味があるというので、ラングドッグ地方などを巡ってきたよ。

 惚気のろけるようで申し訳ないが、この三か月、僕はとても幸せだ。今までで一番の幸せの中にいる。

 だが、この幸せは、本来は君が得るべきものではなかったのか、という疑問が僕の頭を離れないのだ。

 もちろん、君が叡理と結婚すべきだったというのではないよ。君が違う形で得るはずだった幸福を、僕が叡理との結婚で使い果たしてしまったのではないか、と危惧しているんだ。

 何の根拠もない杞憂だが、僕らは交換可能なウィリアム・ウィルソンだ。それくらいの共時性シンクロニシティは起こっても不思議はない。

 僕がこの手紙を書くことを決意したのも、君が僕の(僕が君の、でもあるのだが)ウィリアム・ウィルソンであることを強く再認識したからなんだ。幸福の取り違えは僕の妄想だとしても、僕と叡理との結婚は、いずれ君の人生に影響を及ぼすという予感がある。

 それがどういう形になるのか、今の僕にはわからないが、その時に備えて君が少しでも準備ができるよう、叡理とのなれそめを伝えておこうと思う。君の研究にも、若干ではあるけれども資するところがあると思うしね。

 まず先に同封した写真のことを書いておこう。

 僕が羽織袴を来ているのは結婚式の時のものだ。一枚は聖母しょうも神社の拝殿前、もう一枚は披露宴を行なった参集殿の中だ。普段着の写真は、長崎駅近くのレストランで神社の職員の慰安会を行なった時に撮ってもらったものだ。

 叡理はこの聖母神社の宮司の娘だ。女性神職として奉職もしている。

 君も知っているように僕はキリシタンの歴史を専門にしており、その研究は九州でのフィールドワークを中心としたものだ。これは、ある仮説を実証することを目的としている。

その仮説というのは、16世紀に日本に伝わったキリスト教は、信仰の広まりとともに土着化し、外来神のひとつとして民衆に祀られるようになった地域があるに違いない、というものだ。

 この仮説に基づいて調査を続けるうちに行き着いたのが、長崎県**村の聖母しょうも神社だった。

 北九州で「聖母しょうも」というと、聖母マリアではなく神功じんぐう皇后のことをいう。八幡神として崇められる応神天皇の母だから、「聖なる母」というわけだね。今では忘れられつつある信仰だが、伝承や遺跡は山ほど残っている。

 だが、ここは違う、と僕は睨んだ。根拠は二つある。

 一つは、この地域が神功皇后伝承の空白地帯だということだ。もう一つは、ここは肥前大村藩領で、豊臣秀吉の伴天連ばてれん追放令まではキリシタンの集落が多く存在していたということだ。

 僕の仮説は間違っていなかったことは、聖母神社の宮司、蘆屋泰造――叡理のお父さんだよ――の言葉によって明らかにされた。

「この神社の御祭神は神功皇后ではなく、聖母マリアだったのではありませんか?」

 僕の不躾ぶしつけであからさまなこの質問に、彼は事も無げにうなずき、「そうだ」と答えたのだ。彼は言った。

「この地区の人々は、キリストや聖母マリアを耶蘇やそ教としてではなく外来神として受け入れ、天之日矛神あめのひぼこのかみ牛頭天王ごずてんのうのように社にお祀りしたのです。我が蘆屋家はその社と祭祀を四百年間祭祀を守ってきました」

 僕がどれだけ喜んだか、同じ研究者仲間である君にはよくわかるだろう。

 僕はさっそく、その信仰――儀礼・神殿・神具・諸文献など――の調査研究を申し入れた。

 断わられることを覚悟の上でのお願いだった。ひっそりと信仰を維持してきた神社だからね。ところが、拍子抜けするほどあっさりと承諾してくれた。神社でも神宝や古文献などの保護のため、学術調査が必要だと考えていたようなんだ。

 こんなチャンス、滅多にあるものじゃない。思わずガッツポーズをしそうになったほど興奮したよ。

 今まで学術調査はおろか存在さえ知られていなかったといっていいところだからね、どんな発見があるか考えただけでわくわくした。

 まあ、研究テーマとしては地味だし、しかも定説を否定するようなものなので、学界での評価は望めないものだった。場合によっては批判の集中砲火を浴びるのも覚悟の上だった。

 ところが、いざ調査結果を発表し始めると、思いのほか評判がいいのだ。学会誌に好意的な論評が掲載されたり、口うるさい長老がスピーチで僕の努力を褒めあげたりと、ちょと信じられないほどだった。さらに驚いたことには、海外の研究者からも注目を受けたことで、特に……

 いや、よそう。僕は自慢話がしたくてこの手紙を書いているのではないんだ。

 僕が書きたいのは、叡理とつき合うようになってから、物事が想像以上に順調に運ぶようになったということなんだ。それは恐ろしいほどだったよ。

 昔、僕らに危害を加えようとした奴らが次々に事故に遭ったことがあっただろう? あの時の感覚に似ている。もちろん、僕にとってはありがたいことなんだが、幸運もあまり続くと恐ろしくなってくる。

 もちろん、研究にはさまざまな試練もあった。だが、叡理が陰になり日向になって手助けしてくれたことで乗り切れた。その姿はまさに須佐之男命すさのおのみことが課した試練から大国主神を助けた須勢理毘売命すせりびめのみことのようだったよ!

 とくに聖母神社の儀礼や歴史の調査で大いに協力してくれた。前に書いたように、彼女は神職として聖母神社に奉職しているから、神事全般に通じているのだが、それだけではなく宗教学・民俗学・人類学について深い造詣を有しているんだ。その知識の広範さは驚くべきもので、彼女に比肩しうるような研究者は日本には存在しないんじゃないかと思うほどだ。

 また、その蔵書がすごいのさ。土蔵一棟がまるまる彼女の書庫になっているんだが、あんな山の中でどうやって蒐集したんだというような文献ばかりでね。とくに初期キリスト教の教理や異端思想に関する書籍の充実ぶりは驚異だ。うちの大学図書館など足もとにも及ばないよ。

 今や山の中にいても世界中の図書館の蔵書が閲覧できる時代だが、主要典籍が手元にあるとないとでは研究の効率がまるで違う。とくに隠秘学オルカティズムにおいては本も呪物だからね……。

 いや、すまない。話が脱線したようだ。

 つまり、そうした叡理の学識と蔵書の助けを得て、僕は聖母神社の信仰の本質を解明していった。そして、それによって学界でも一定の評価を得ることができたというわけだ。

 詳しくは僕の論文や報告書を読んでほしい、というのも傲慢なことだから、以下にその概要を記しておく。

 ――そんなことまで手紙に書くことはないだろう、と君は思うだろう。だが、万が一、僕が破滅するようなことがあったら、後事はわがドッペルゲンガーたる君に託すしかない。だから、僕がどのような研究をしていたのか、君にも知っておいてもらう必要があるんだ。

 面倒なこと頼んで申し訳ないが、どうか最後まで読んでほしい。

 さて、聖母神社の調査でわかったことは次のようなことだ。

 一、縁起絵巻や古い祝詞などに記されている聖母神社の創建伝承には、聖書やキリスト教(キリシタン)に由来すると思われる用語やエピソードが数多く見受けられる。

 たとえば、聖母神社は聖母麻利神しょうもまりのかみを主祭神とし、相殿あいどのの神として天之御中主神あめのみなかぬしのかみ基利斯督神きりしとのかみ大国玉神おおくにたまのかみを祀り、この三柱の神を一体の存在だとして救世大神くせのおおかみと呼んでいる。これは明らかに三位一体を神道化させたものだ。

 二、聖母神社では他の神社では見られない特殊な祭具をいくつか使っているが、それらの中にはキリスト教の祭器具に由来すると推測されるものがある。

 その一つが、祈祷を行なう時など時に「お清めの水」を撒くために用いられる清水盆せいすいぼんだ。これは塩湯えんとうのお清めに使う塩湯器の地方的バリエーションだと思っていたのだが、清水盆から木の枝で水を撒きながら「オラショ」(君には説明は不要かと思うが、潜伏キリシタンの祈祷文あるいは賛美歌のことだ)らしきものを唱えているので、キリスト教で用いられている灌水器かんすいきに由来するものとわかった。

 三、聖母神社の古文書には近世初期に書かれたと思しい教理書の断片も含まれているんだが、その中のいくつかかの概要は、エジプトで発見された「ナグ・ハマディ文書」のグノーシスの写本と酷似している。

 四、神社では祭神を慈悲の神としているが、地元の古老の一人は祟り神だという。怒れば町でも山でも焼き払ってしまう恐ろしい神だというんだ。これは『旧約聖書』の神の性質と重なる。

 実は古文献は扱いやすいものしか見ておらず、目を通したのは全体の五分の一程度にすぎない。各種儀礼の記録に至っては整理さえしていない。だから、まだまだこれから驚くべき発見があるはずだ。その中には僕らの宗教史の常識をくつがえすものも含まれているに違いない、と僕は確信しているよ。

 だが、その一方で、根本的なところで間違いを犯しているという気分が消えないんだ。しかも、この気持ちは調査が進み、いろいろなことが明らかになるにつれて強くなってきている。

 トントン拍子に認められてきたことも、実は誰かの罠ではないかという気もしているよ。僕なんかを陥れても、なんの得にもならないのにね。

 聖母神社もその歴史や儀礼も、みんな僕を陥れるために作られたフェイクなんじゃないか、そんな風に思えてならない時もある。

 まったく馬鹿げた妄想だよ。

 だが、まったく根拠のないことでもないんだ。でも、手紙ではこれ以上書けない。

 いずれ時間に余裕ができたら、こちらに来てくれないか? 直接君と話したいことが、いくつもあるのだ。

 辺境ではあるけれど、宿の心配はない。新居は部屋数だけは多いし、神社の研修室に泊まってもらうこともできる(バス・トイレつきだ)。古めかしいが旅館も二軒ある。

 必要があれば、交通費も僕が出してもいい。――どうか、「失礼な!」と怒らないでくれ。こんなことを書いてしまうほど僕は、君の存在を必要としているんだ。

 脅すわけじゃないが、僕の身に降りかかる災厄は、ドッペルゲンガーたる君にも影響を及ぼすはずだ。だから、何かが起こってしまう前に、君と会っておくべきだと思うのだよ。

 どうか、真剣に検討してくれたまえ。

                   君のドッペルゲンガーたる宇留井健一より


 閏井もさすがにこの手紙を読んだ直後は、宇留井の招待を受けようと真剣に考えた。

 だが、授業の日程の調整などをしているうちに両親が相次いで入院してしまい、それどころではなくなってしまった。

 病院をはしごして看護する日々は、やがて介護の日々に変わった。そんな中、宇留井がヨーロッパの大学に客員教授として招かれたことを知り、宇留井宅を訪問する計画は白紙になった。

 五年後、閏井の母親が亡くなり、その三年後に父も亡くなった。

 閏井は専任講師から助教授に出世したが昇給はわずかで、成人向けの講座まで受け持つことになったため、ただ忙しいだけの毎日が続いていった。

 宇留井の妻が死んだという噂を耳にした時には、二度目の手紙を受け取ってから十四年が経っていた。

 皮肉にもそれを耳にしたのは、大阪の私立大学で開催されていた学会でのことだった。

 時間を持て余していた閏井が、カフェテリアで自動販売機のまずいカフェラテをちびちび飲んでいると、隣の席に見覚えのある若い男女三人組がやってきた。彼らの会話を聞くともなく聞いているうちに、彼らが宇留井のかつての同僚や教え子であることがわかった。

 やがて、彼らの話は、宇留井がフランスから行なっていたオンライン授業を半年近く中断していることになった。

 彼らもはっきりした理由は知らないようであったが、一年近く前から宇留井の妻が死の床についているようなので、そのせいではないかということで意見が一致したようだった。

 三人とも伝聞の情報しか得ておらず、オンライン授業の休講以外は何一つ確かなものはなかった。それにも関わらず、彼らの話は閏井を不安にさせた。はっきりしないということが余計に不穏な空想を掻き立てたのだ。

 死に瀕しているというのが宇留井本人ではなく妻の叡理だということ――隣席の噂話を信じればだが――も、心配なところだった。結婚前後の手紙からすると、愛する妻を永遠に失うかもしれないと思うだけでも宇留井は精神に大きなダメージを受けることだろう。まして日に日に悪化していく様子を目にしているとしたら……

 そこで閏井は、宇留井との共通の友人やT**大学文学部東洋哲学科の関係者などに連絡を入れて、それが事実であるのか確かめてみた。

 驚いたことに、そのほとんどの者が宇留井の最近の私生活のことは知らないと答えた。拠点を海外に移したせいもあるのだが、どうやら宇留井が意図的に隠しているようだった。

 イギリスの自宅を訪ねたという者も何人かいたが、映画のセットのような応接間で形式的な出迎えを受けただけなので、生活の実態はわからなかったという。そして、彼らは口を揃えて「とにかく、すごい金持ちになったらしい」と言った。

 結局、正確な情報を伝えてくれたのは、T**大学文学部事務所の職員だった。宇留井の方から事務所に「近々F**大学の閏井という者から問い合わせがあるはずだから、その時は、今の僕の状況と連絡先を教えてやってほしい」と申し入れがあったそうだ。

 それによると、宇留井は妻の叡理共々四年前に帰国しており、今は長崎に住んでいるという。今年の三月十五日に叡理は亡くなり、葬儀はごく内輪で行なったということだった。そして、今の住所と電話番号を教えてくれた。

 電話を切り、メモ帳に書き取った宇留井の住所と電話番号に目を落とした閏井は、なぜかそれが魔物を呼び出す呪文のように見えた。


「やあ、久しぶりだね」宇留井は電話が通じるなり、そう言った。「そろそろかけてくる頃だと思っていたよ。電話をかけてくるか手紙を送ってくるか、ひそかに心の中で賭けていたんだが、思っていた通り電話だったね」

 その話し方は昔のままのようだったが、無理にそう演じている感じがあった。取り乱しそうな自分をなんとか抑えているのではないかと思い、閏井は「宇留井君、大丈夫かい?」と口走っていた。

「ああ、やはり、君にはお見通しだね。そう、僕は今、心身共にバラバラになる寸前だよ。死にいく叡理を見守るなんてことは、僕にとってソドムに落ちた神の怒りを身に受ける以上の衝撃で、僕なんぞ数秒ももたずに息絶えるものだと思っていたのだがね、木っ端微塵になりかけのまま、こうして生きているよ」

「無理をしないで、休んでいたらどうなんだい?」

 ありきたりな慰めだと思いながらも、閏井にはほかの言葉が思い浮かばなかった。

「ありがとう。心配してくれるのは嬉しいよ。でも、僕にはやるべきことがあるんだよ。――そう、彼女の死は終わりではないんだ。そうとわかっているから、本当は衝撃など受けてはいけないのだけれど、彼女の死に顔を目にしてしまってはね、僕には本当に耐えがたいことだよ。実に美しい死に顔でね、かすかにほほ笑んでいるんだよ。その死に顔を思い浮かべて、僕はなんとか生きているようなものなんだ。僕にはやるべきことは山ほどあるんだよ。困難な仕事だけれども、やり遂げなければならない」

 閏井は友人の口調に狂信的なものを感じて言葉を失った。そのまま通話を切ってしまおうかと思ったほどだ。しかし、かつての似姿ドッペルゲンガーに対する親愛の情がそれをさせなかった。

 閏井は絞り出すように言った。

「君の奥さんは旧家の出だから、葬儀も大変だったんだろう?」

「葬儀?」宇留井はそう言って神経質な笑い声をあげた。「僕もそれを心配していたんだが、なんと叡理の両親も親族もみんな消えてしまったんだ。まるで、叡理の死と平仄ひょうそくを合わせたみたいにね」

「え……」

 閏井はスマホのスピーカーから黒い霧が出てきて部屋に充満していく気がして息を詰まらせた。

「本当に不思議なことだよ。でも、話が長くなるから、そのことは再会した際に詳しく話す。――そう、君には是非ともこちらに来てもらいたいんだ。結婚式の時は残念なことだったが、今度はきっと来てほしい。――あ、と言っても、今ではないんだ。すべての準備が整ってからだ。それまで長い時間がかかってしまうかもしれないのだが、すべてが整ったら連絡をするので、その時は、君がどんな状況であってもきっと来てほしい。おそらく僕の生涯最後のお願いになるから、必ず来ると約束してほしい」

 その時、閏井が考えたことは、宇留井は妻を亡くした悲しみに精神の均衡を失ったのだろう、ということだった。哀れに思った彼は、友人をなだめるように「ああ、わかった。きっと行くよ」と答えたのだった。

 しかし、本当に訪ねていくことになろうとは思っていなかった。宇留井が正気に戻れば約束のことなど忘れてしまうだろうし、逆に精神の状態が悪化したら再会どころではないだろうと思ったからだ。

 その一方で、彼は心の底で宇留井の招待状を心待ちしていた。一年、二年と時が過ぎるにつれてその思いは薄れていったが、消え去ることはなかった。

 そして、十年が過ぎようとした頃のことであった。

 ついに宇留井から二度目の招待状が閏井のもとに届いた。


 宇留井からの招待状は、家紋が漉(す)き込まれた薄いモスグレーの洋紙二枚に、赤紫がかった黒インク――没食子ぼっしょくしインクを使ったのだろう――でしたためられていた。ペン先が細く硬い万年筆で書かれたものらしく、端正な宇留井の書体がさらに謹厳な感じに見えた。招待状は四つ折りにされて横型の封筒に入れられており、五十万円の小切手が添えられていた。

 そして、招待状の一枚目には、こう書かれていた。


 畏友であり、わがドッペルゲンガーたる閏井賢治殿

 わが生涯をかけた研究の成果であり、愛ゆえの奇跡であり、古代の秘蹟の完全なる再現となる秘儀の唯一の立会人として貴兄をご招待する。

 文字通り万難を排して3月10日から15日の間に来訪いただきたい。

 君ならきっと来ていただけると信じている。

 この儀式には信頼できる立会人が必要なのだ。

 頼めるのは君しかいないのだ。

 もう一人の私である君にしか。

 君も同じ思いであることを願う。

                                 宇留井健一


 二枚目には、こんなことが書かれていた。


同封した小切手は、君の交通費・滞在費に使ってほしい。

君のことだから「こんなものは必要ない」と言うだろうが、遠慮なく使ってほしい。噴飯なことに、今の僕にとってこの程度の金は端(はした)金(がね)なんだ。

それに、もう間もなく、金など必要なくなる。

だから、黙って使ってくれると嬉しい。

                                  宇留井


 招待状を一読した時、閏井は行かないでおこうと思った。

 招待状の文面からすると、宇留井は妻の死のショックから立ち直るどころか常軌を逸する方に進んでいるように思えたからだった。

 どんな儀式をやる気なのか文面からはわからないが、「古代の秘蹟」などと書いているところをみるとオカルトめいたものに違いない。そんな妄想につき合わされるのは御免だと思ったのだ。

 それに、二人が再び顔を合わせると何かよくないことが起こるという不安もあった。この歳になってもまだ、ウィリアム・ウィルソンの呪いへの恐れは消えていなかったのだ。

 だが、二枚目を読んで気が変わった。

 もちろん、五十万円の小切手に目がくらんだのではない。一枚目を読んだ時点では、すぐにでも書留で送り返そうと思っていた。

 いや、二枚目を読んだ後でも、その気持ちに変わりはなかった。ただ、送り返すのではなく、宇留井に会いに行って、その場で返そうと考え直した。

 そんな風に閏井の気持ちを変えたのは、二枚の文章が宇留井らしい冷静さと諧謔で書かれているにもかかわらず、その裏に――宇留井らしくもない――悲痛な懇願のようなものが秘められているように思えたからだ。

 それは閏井の思い過ごしかもしれなかったが、宇留井のドッペルゲンガーたる閏井だけが理解できる合図とも思えた。

 おそらく、宇留井は生と死、あるいは正気と狂気のみぎわに立っているのだろう。そして、その一歩――われわれの世界から踏み出す一歩――を俺に見守らせたいのだな、と閏井は思った。

 閏井には宇留井を説得して踏みとどまらせる自信はなかった。

 きっと彼に論破され、沈黙させられるだろう。結局、彼が異界に立ち去っていくのを見送る役目を果たすことになるのに違いない。閏井は半ばそう確信していた。

 しかし、それでも宇留井のもとに行って、説得を試みようと決めていた。それが、ドッペルゲンガーの呪いをかけられた者の務めだと思えたのだ。


 閏井はすぐに「明後日に伺う。それまで待っていてくれ」というメールを宇留井の携帯電話に送り、すぐに荷造りを始めた。

 できることなら翌朝に出発したかったのだが、休講の手配だの原稿締切の延期交渉といったものがあって、一日延ばさざるをえなかった。

 そして、訪問を予告した日の早朝、閏井は長崎へと旅立った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る