禍の娘ー2

大きなエンジン音が聞こえてきたので、琴禰は裏山から屋敷を見下ろした。

すると、ボンネットが長く突き出した黒の三輪自動車が屋敷の前に停車した。

琴禰の両親や桃子、澄八が玄関から出てきて恭しく頭を下げる。

自動車から介添えに手を引かれて出てきたのは、腰の曲がった老婆だった。

たんぽぽの綿毛のような白髪に、絹鼠色の市松模様の上質な着物が品位を醸し出している。


(大巫女様だわ!)


 祓魔一族の酋長しゅうちょうのような方である。

大巫女様は、占術を得意とし、その予言は必然だった。ゆえに、大巫女様の言は絶対で逆らう者はいない。

そして慶事の日取りや大きな決断を下す際は、大巫女様に占ってもらうことがある。ただ、大巫女様は滅多に占わないので、その大巫女様がわざわざ灰神楽家にお越しになられたのは大変珍しいことだった。


(結婚の日取りを大巫女様に決めてもらうなんて。どれだけお金を積んだのかしら)


 それだけ桃子と澄八の結婚が、家の繁栄に重要とみなされているということだろう。

 大巫女様が来るならば、琴禰の存在を隠しておきたい気持ちもわかる。無能が灰神楽家から出たなんて縁起が悪い。


(これは絶対に隠れ続けていなければならないわね)


 琴禰は膝を抱えてうずくまった。

 大巫女様がいつ帰るのかわからないけれど、たとえ夜中になって暗闇の中冷え込んだ山の中にいることになっても姿を現すわけにはいかない。

 もしも大巫女様と鉢合わせてしまったら、間違いなく殴られて折檻部屋行きだ。もしかしたら数日出てこられなくなるかもしれない。


(どうして私だけ無能なのだろう)


 幾度も抱いた疑問を、再び巡らす。考えても詮無いことなのに、どうしてもこの問いに打ち当たる。

 何かをしていれば気を紛らわすこともできるが、こうして暇な時間を消費するしかない時は思考から逃げる術がない。


「ニャー」


 足元から可愛らしい声が聞こえ顔を上げると、まるで琴禰を心配するかのように見上げている茶色の猫がいた。

 元は何色かもわからないほど汚れている野良猫だ。汚く臭いので、家族の者たちからは石を投げられて家の近くに寄ってこないように煙たがられているが、琴禰はこの猫がまるで自分のように見えて、こっそり餌を与えていた。


「茶々、久しぶりね」


 手を差し出すと、甘えるように鼻先を擦りつけてくる。

 最近は姿が見えなかったので心配していたのだ。


「すっかり痩せてしまったじゃない、どうしたの?」


 まるで琴禰の言葉に応えるかのように、茶々が後ろを振り返ると、そこには三匹の小さな猫がよちよち歩きで周辺を探索していた。


「茶々、お母さんになっていたの⁉」


 茶々は得意気な表情で「ニャー」と小さく鳴いた。

 茶白色の子猫たちは元気に遊びまわっていて、琴禰が一匹抱き抱えるも、まったくじっとしていないので、すぐ地面に下ろした。


「元気な子たちね」


 茶々を撫でながら、子猫たちを見つめる。一挙手一投足が可愛らしくて見ているだけで癒される。


「粉乳や食べ物をあげたいけれど、今は屋敷に戻れないの。私の夕飯を持ってきてあげるからね」


(夕飯までに戻れるといいけれど)


 いつ大巫女様はお帰りになるのだろうと、恨めしい目線を黒塗りの三輪自動車に投げる。

 琴禰の側で寛ぐ茶々を撫でながら、子猫たちの遊びを愛でていると、あっという間に日が暮れてきた。

 屋敷の軒先に松明の明かりが灯される。

 玄関が騒がしくなり、大巫女様がお帰りになるようだ。これでようやく屋敷に戻れると安堵したのも束の間、子猫が黒塗りの自動車の下にするりと入り込んでいったのが見えた。


(いつの間にあんなところに!)


 真っ青になって慌てて裏山を駆け下りる。大巫女様に見つかってはいけないけれど、このまま自動車が発車したら子猫が轢かれてしまう。

 玄関からは大巫女様とその介添えの方が出てきた。

 介添えの方は、女官のように厳格な雰囲気で、口を一文字に結び、献身的に大巫女様の付き添いをしている。

 茶々はいつの間にか屋敷の前にいて、玄関から出てきた大巫女様と介添えの方に背中を逆立ててシャーと威嚇した。


(茶々!)


 思わず叫びそうになった。


麻羅まら、なんとかせんか」


 大巫女様から麻羅と呼ばれた介添えの方は、眉を顰めながら猫と対峙する。

茶々は子猫を守るために威嚇しているのだが、そんなことは知らない介添えの方は、大巫女様を守るために、茶々を「しっしっ」と手で追い払おうとした。

何事かと思ったのか急いで外に出てきたのは父親だった。薄汚い猫が大巫女様を威嚇しているのを見た父親は、顔を真っ赤にさせて怒りのまま茶々を蹴り上げた。

悲痛な一鳴きが耳に届くと、考えるよりも先に体が動いていた。


大巫女様の前に姿を見せてはいけないと言われていたのに、気が付いたら駆け出していたのだ。

けれど、走り出して間もなく、突如として体が止まった。声を上げることも、指先一つ動かすこともできない。

不自然な体勢のまま、石のように固まったのである。

その姿勢のまま目が合ったのは母親だった。玄関から出てきた母親は、琴禰が駆け出してくるのを見つけ、体を硬直させる術をかけたのだ。

母親は指に印を結び、鬼のような形相で、静かに琴禰を睨み付けていた。

その時、琴禰の心に怒りの火が点じるのを感じた。

両親に対して、これほど大きな憤りをおぼえたことは初めてだった。あまりの理不尽さに悲しみを通り越して、胸の奥から抑えきれないほどの怒りが燃え上がる。

茶々は地面に横たわったまま動かない。

邪魔な猫がいなくなった大巫女様と介添えの方は自動車に乗り込んだ。


(発車しては駄目! 車の下には子猫が!)


 気持ちは焦るも体が動かない。エンジンをかける音が聞こえて、琴禰の中で糸が切れるように何かが弾けた。

 黒塗りの自動車が宙に上がる。

 あまりに不思議な光景に、両親は口を開けて呆気に取られていた。

 しかしながら自動車の中にいた人達は当事者なのでそうもいかない。身の危険を感じ、ドアを開けようとするが動かず、必死の形相で窓をどんどんと叩いた。

 澄八と桃子が自動車に駆け寄り、祓魔の術を使って自動車を降ろそうとするが、まったく下がる気配がない。

そもそも、薄くて軽い紙程度であれば祓魔の力で持ち上げることも可能だが、自動車のような重い物体を持ち上げることなんて祓魔師が何人かかっても不可能なことなのだ。

自動車の下にいた子猫は、隠れる場所を失って慌てて草むらに逃げていった。

地面に横たわっていた茶々も、無事に子猫が逃げ出したことがわかると、立ち上がって草むらに追いかけていった。


(良かった、生きていた……)


 琴禰は安堵して、人の高さまで持ち上がった自動車をゆっくりと降ろしていった。衝撃を与えないように地面に降ろすと、ほっとして力が抜けた。

 狐につままれたような顔で、大巫女様と介添えの方、そして運転手が車のドアを開け、腰に力が入らないのか崩れるように脱出した。

 皆が大巫女様の元に駆け寄り無事を確認するも、当の大巫女様だけが緊迫の表情を崩さなかった。


「禍々しい強大な力じゃ……恐ろしい呪われた力じゃ……」


 大巫女様の瞳孔は開き、皆が手を貸そうとしているのも振り払い、おぼつかない足取りで進み出た。

 そして、屋敷から離れた場所に佇んでいた琴禰と目が合う。

 琴禰は母親の術を解き、動けるようになっていた。すぐに逃げなかったことを後悔しても時すでに遅かった。

 皆が琴禰のことを信じられない者を見るような目で見つめていた。

 祓魔師が束になってもできないようなことを無能で虐げられた者が行ったのである。


「あ……あの、私……」


 祓魔の力が開花したのだ。それも並外れた強大な力。

震えながら戸惑っていると、大巫女様の目が光り、耳を疑うようなお告げを口にした。


「あの者が祓魔一族を滅亡に導くだろう」

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