距離を置く理由
◆黒羽栞◆
朝、目が覚めるとずっしりと身体が重かった。それでもどうにかいつも通りにベッドから立ち上がろうとしたら、目眩がして床にへたりこんだ。上半身だけベッドに寄りかかって、そこから動けなくなってしまった。
頭がぼーっとする。それにまだ気温は高いはずなのに寒気までする。この感じだときっと熱もありそう。
こうなった原因には心当たりがありすぎる。
それはきっと、ここのところの睡眠不足のせい。寝付きが悪くて、ベッドに横になってもなかなか眠れない。眠れたと思っても夢見が悪くて何度も夜中に目が覚める。
涼の写真も今は安眠効果を発揮していない。おかげで目の下にはひどい隈ができて、毎日化粧で誤魔化していた。
それにご飯もまともに食べられてない。彩香や紗月の手前、不自然に思われないようにお昼ご飯だけは無理矢理押し込んでいたけど、朝と夜はいつもの半分くらいしか喉を通らなかった。
そして今日、ついに私の身体は限界を迎えたらしい。あの日、涼からもらったと思っていたエネルギーはとっくに底をついていた。
「栞? まだ寝てるの? 遅刻するわよ──って大丈夫?!」
いつまでたっても起きてこない私をみかねたお母さんが部屋を覗きにきて、ぐったりする私を見るなり慌てて駆け寄ってきた。
「なんかね、身体が動かないの……。学校、行かなきゃいけないのに……」
学校に行って、せめて涼の顔だけでも見たい。朝と帰る前にだけ声をかけるのは、今の私が自分に許した唯一のこと。
伝わっているのかはわからないけど、嫌いになったんじゃないよって、大好きだよって気持ちを込めてやっていた。
だから、学校に行かなきゃ……。
「そんな状態で行けるわけないでしょ……。今日は休みなさい。学校には私から連絡しておいてあげるから。ちょっと待ってなさいね」
「うん……」
お母さんに言われて、しぶしぶ諦めることにした。本当は自分でもわかってた。こんな体調じゃ学校どころか駅までも辿り着けないって。
お母さんは一度部屋を出ていくと、しばらくしてお盆になにやら色々とのせて戻ってきた。
「ほら、熱計って」
「ん……」
差し出された体温計を脇に挟む。その間にお母さんが私の机に食事の用意を始めた。ふわっと出汁の匂いがする。昔から私が体調を崩すと、お母さんは柔らかく茹でたうどんを用意してくれる。それからプリン。これも恒例。
ピピッと音がしたので体温を確認すると38度1分。まぁまぁな熱がある。そりゃ動けないはずだよね。
「結構熱高いわね……。どうする? 病院行く?」
「ううん、いい。たぶんただの風邪だと思うから」
「そ、ならそれ食べて、薬飲んで寝てなさい」
「わかった……」
相変わらず食欲はないけど無理矢理にお腹に押し込んで、最後に薬も流し込んだ。吐き気がないのが救いだった。
それからベッドに横になり、ぼんやりと天井を見つめて考える。
私、どれだけ涼に依存してたんだろ……。
涼の隣はね、本当に居心地が良いんだよ。優しいし、いくらでも甘えさせてくれるし、とっても幸せなの。
もちろん、これでいいのかなって思うことだってたまにはあったよ。あったはずなのに、幸せすぎて気付かないふりをしてた。
でもね、プールからの帰りの電車の中で、彩香は私のことをこう言ったの。『家猫』って。
彩香のことだから、涼に甘えてる姿がそう見えただけなんだろうね。でも私には別の意味に聞こえたんだ。
家猫ってことは、ご飯から寝床まで全部用意してもらわないと生きていけないわけでしょ? まさに今の私そのものだって思ったよ。
涼がいないと何もできないくらい弱い、そう言われた気がした。実際、涼と少し離れただけでこのざまなんだから仕方ないよね。ご飯も食べられなくて眠れなくて、あげく体調まで崩してさ。
それに、涼のあの言葉。
──栞と支え合って、寄り添って生きていきたいって思ってるんだ。
理想的だよね。涼と一緒にそうやって生きていけたなら、とっても素敵だって思う。涼がそんなふうに考えてくれるのもすごく嬉しいよ。
そういえばお父さんからも言われてたっけ。涼君のこと支えるんだよって。
でもね、今の私には無理なんだよ。こんなに弱くて、涼に助けてもらってばっかりの私に涼を支えることなんてできるわけないじゃない。
だから私は強くならなきゃいけないの。あんなにも覚悟を決めてくれた涼に報いなきゃ。一人でも平気なくらい強くなって、涼を支えなきゃいけないの……。
これが私が涼と距離を置くことにした理由。
一緒にいたいと言ってもらったのに、私だって同じ思いなのに、距離を置くなんて矛盾してるのはわかってる。でも、これくらいの覚悟を持って臨まないと変われないから。側にいたらまたずっと甘えてしまうから。
けど……、強くなるって何が必要なんだろう……?
涼に寂しい思いをさせてるのはわかってるのに、早くしなきゃって思うほどに進むべき方向がわからなくなる。無駄に時間が過ぎていくばかりで、自分に足りないものがわからない。
もうすぐ涼の誕生日だってあるのに。ちゃんとお祝いしてあげたいのに、このままじゃきっと間に合わない。
いったい私は何をやってるんだろうって焦りばかりが日に日に大きくなっていく。
どうしよう……、どうしたらいいの……?
うぅ……、でも、ダメ……。
ちょっと、限界みたい……。
視界がグラグラする……。
少し、寝よう……。
眠って……それから……また……。
………………
…………
……
ねぇ、涼。会いたいよ……。
眠りへと落ちていく途中、弱った心から本音が漏れ出した。
ねぇ、涼。
お話したいよ。くだらないことでもいい。冗談でも言って、笑顔を見せてよ。
ねぇ、涼。
手を握ってほしいよ。私、涼の手が大好きなんだよ。
ねぇ、涼。
抱きしめてほしいよ。苦しくてもいいから、力いっぱい。それから髪を撫でて、キスだってしてほしいよ。
それで……、それでね、もう頑張らなくていいよって……、言って……、本当はそう言ってほしい……。
堰を切った想いは止められなかった。涙もとめどなく溢れ出してきて。
この期に及んでも、まだ涼に甘えたくなっている自分がイヤになる。
本心では甘えたいのに、理性がそれを許さなくて。グチャグチャになった感情のまま、私は意識を手放した。
***
眠りが深すぎて、どれくらい時間が経ったのかわからない。まだ朦朧とする意識の中、左手に温もりを感じた。
お母さんかな?
……いや、違うよ。
温かくて私の手をすっぽり包み込むこの感じ。
それだけで優しさが伝わってくる、私の大好きな手。
──これは涼の手だ。
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