日々是平穏

ひなか東湖

第1話 

数十年目の帰省は、誰もいなくなった自宅を片付けるためだった。

多くはないが田も山もある。国道が通っているのにバスは無くJRも二時間に一本。駅まで歩いて20分。住人は高齢者ばかりなのにどうやって暮らしているのか不思議だったが80を超えたドライバーが狭い農道をぶんぶん飛ばしているのを見れば納得するしかない。事故は時々ある様だが地元の人間は慎重で、事故の加害者と被害者は田舎の道に慣れてないよそ者か、鹿、イノシシ、時々熊と猿。そういえば昔、鹿に新車のフロントガラスを割られたと父が嘆いていた。走って突っ込んできたらしい。蹄でガラスを蹴ってそのまま逃げたそうだ。用事が無い時は車でうろうろするのは止めよう。田や畑の周りを囲む鉄線は獣除けではなく、作業している人間を守るためかもしれない。田舎では檻の中にいるのは人間なのだ。

「まぁ、観察しているのは間違いじゃないな。お前ら危なっかしいんだよ」

子供の頃、友人と言えるものがいなかった私は一人で川で泳いだり、稲刈りの終わった田で遊んでいた。蓮華やシロツメクサを編んで指輪や髪飾り、足元が石や貝殻で危ない海岸では藁を編んで草履もどきを履き、貝や海藻などを取って母に持ち帰ったりもした。

両親と折り合いが悪かったわけではないが、田舎で長女とはいえ跡取りでもない女の扱いは軽く、進学で実家を出、就職した後は忙しくて気が付いたら数十年だ。「少しはあった見合い話も全部断ったしなぁ」含み笑いで言う。

「感傷中なんだから黙って。」

こんなに天井は高かったかなぁ。もぐって遊んでいた川は上流にダムが出来て浅くなってしまったし。農家も少なくなったのに無駄な開発ばかりする。遊んでた浜も需要のないキャンプ場だとか。記憶の中の田舎はもうどこにもなくなってしまった。家だけは変わらないけどね。

「あ、祥ちゃん。これうちのが港で釣ってきたアジ、良かったら食べて。」

突然開けられた玄関から差し出されたのはタッパに入った小鯵、微妙にぐったりしている。

「暑いからねえ。すぐダメになるから早めに始末するんだよ。おばちゃんはよく唐揚げにして南蛮漬けにしてたからあんたもそうしなさい。玉葱とピーマンもあげるからね。」

言いたいことを言うとさっさと帰っていった隣のおばちゃん。20匹ぐらいあるだろうか。簡単に始末と言ってくれるが、おばちゃん私にはハードルが高い。

「俺ならこのまま飲み込んでいいが。」

「いや、ああ言われたら南蛮漬けにしないと後が怖い。絶対ばれるし」

そう、家の中ですることなのに何故かばれるのだ。田舎の七不思議のひとつだ。

私が帰ってまだ二日だが、連絡していないのに隣町の遠縁から昨夜電話がかかってきた。何故か皆、知ってるし。

「お前に捌かれる魚がかわいそうなんだがな。」「為せば成る。」結果、何とかなったが為せば成ると偉そうに言える有様ではなかった。「腹に入れれば同じだ」

「その言い方、嬉しくない。」「では、美味い。」大きな口を開けて笑われるとまぁ良いかと妥協した。それにしても「お前、そのままでいて大丈夫なの?」「現わさないとまずいだろう、佐立の娘は独り言をぶつぶつ言っている。気狂いになったと噂されるぞ。」「嫁に行ってないはずなのに男を連れてきたと言われるのと、どっちもどっちだと思うけど」「狂ってるよりましだろう。昔なら押し込めになるところだ。」それはそうかもしれないが、当たり前の男どころか人でもないし。

「言わなければわからん。嫁いだわけでもないしな。」「まぁ、良い年だし、今更世間体もないし、良いか。」

こいつは、田で遊んでいた頃、思いっきり私を驚かせた蛇だ。巳年の生まれだが私は物心ついた時から蛇が怖かった。田舎で蛇なんてどこにでも出てくるのだから見慣れるものだが私はともかく怖かった。そのくせやんちゃな男の子が蛇をつかんで木に殴りつけるのを見ると酷く悲しかった。大泣きして、驚いて駆けつけた親にどれだけあやされても泣き叫ぶのを止められなかった。

その夜、こいつが来たのだ。泣きすぎて声も涙も出なくなった私の部屋にするすると入り込み、怖すぎて固まってしまった私の枕元でとぐろを巻いた。赤目がじっと私を見る。それから頭の中に声が聞こえた。

以来、こいつはいつもそばにいた。

家を出て、遠い町に引っ越してもこいつは付いてきた。蛇の時は誰にも見えないのに人の姿をとるときは中肉中背、まぁまぁ男前に見える。

そして三十年ぶりの帰省にもついてきた。

「女が一人でいるより男連れのほうが安心するだろうさ。」

「まぁ、結婚の予定もないからいいけど。」

弟は、こいつの事を私の内縁の夫と思っている。何故か両親には内緒にしてくれていた。まぁ、男と暮らしているとばれていたかもしれないが籍に入れない限りは親も身内も干渉しない。こいつ一見感じいいし、挨拶も普通にするし。この鰺も私にではなくこいつの酒のあてにというのが本音かもしれない。戻った夜、隣のおばちゃんに誘われて夕食をご馳走になったのだが、こいつおじちゃんと日本酒談議で盛り上がっていたし。おじちゃんは日本酒好きなんだがこの頃焼酎派に場を奪われ気味なんだそうだ。蟒蛇は日本酒が一番と言っている。

「で、どうするんだ。」

「どうしようかなぁ。」

この家に住む覚悟も、処分する覚悟もない。戻る場所を無くすというのも覚悟がいるのだ。弟は県内だが結構離れた町に家を買って所帯を構えてしまったし。「姉さんにやるよ」と偉そうに言うが面倒を押し付けてるだけだろう。私の為という気も少しはあるだろうが。仕事も就職した頃なら無理だったが、今なら偶に出社する必要はあるがここでも仕事はできるし。つまり後は私の覚悟だけなのだ。

どうするかなぁ。






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