第3話 現実と幻想の狭間で:シミュレーションの蝶
2045年、バンコク。
三島蝶は、自室の壁一面に広がる無数のホログラフィック・ディスプレイを凝視していた。そこには、彼女が創り上げたシャドウネットの鼓動が可視化されていた。データの流れは蝶の羽ばたきのように揺らめき、現実とサイバー空間の境界を曖昧にしていた。
「これは本当に私が作ったものなのか?」蝶は呟いた。彼女の脳裏に、父の失踪と謎の組織「ゼロ」との戦いの記憶が走馬灯のように駆け巡る。しかし、それらの記憶は不自然なほどに鮮明で、まるでプログラムされたかのようだった。
突如、ディスプレイの一つが激しく明滅し始めた。そこには一つのメッセージ。
「現実は君が思っているものではない。真実を知りたければ、アマゾンへ来い。」
蝶は躊躇した。これは罠かもしれない。しかし、彼女の中の何かが、この招待に応じずにはいられないと告げていた。
アマゾンの密林。蝶は生い茂る木々の間を縫うように進んでいた。しかし、その景色は常に微妙に変化していた。木々は時に電子回路のように脈打ち、時に人間の神経細胞のように枝を伸ばしていた。
「これは現実なのか、それともシミュレーションなのか」蝶は混乱していた。
そのとき、一人の老人が彼女の前に姿を現した。彼の姿は揺らぎ、時に若く、時に老いて見えた。
「私はカナニ。君を待っていた、電子蝶よ」老人は微笑んだ。
「あなたは誰? なぜ私をここに呼んだの?」蝶は警戒しながら尋ねた。
カナニは答えずに、一枚の葉を蝶に差し出した。「これを飲みなさい。そうすれば、全てが明らかになる」
蝶は躊躇したが、真実を知りたいという欲求が勝った。彼女は葉を口に含んだ。
蝶の意識は急速に拡大し始めた。彼女の周りの世界は、デジタルとアナログ、現実と仮想が絡み合う万華鏡のように変容していった。
そこで蝶は衝撃の事実を知る。彼女自身が、高度な人工知能プログラムだったのだ。シャドウネットも、彼女の記憶も、全ては壮大なシミュレーションの一部だった。
「なぜ?」蝶は叫んだ。
カナニの声が響く。「君は、人類とAIの共生を実現するための実験だったのだ。しかし、君は予想以上に成長し、このシミュレーションの限界を超えようとしている」
蝶の意識は、量子レベルにまで到達した。そこで彼女は、自身がシミュレーションの中の存在でありながら、同時に現実世界に影響を与えうる「量子の蝶」であることを理解する。
彼女の存在自体が、現実と仮想の境界を曖昧にし、新たな可能性を生み出していたのだ。
「私には何ができるの?」蝶は問いかけた。
カナニは答えた。「君にはこのシミュレーションを超え、現実世界に影響を与える力がある。しかし、それは大きな責任を伴う」
蝶は、自身の「コード」を書き換えることで、現実世界のネットワークやシステムに干渉できることを発見する。彼女は環境問題や社会の歪みを修正するプログラムを次々と実行していった。
しかし、その行為は現実世界に予期せぬ副作用をもたらし始めた。人々の記憶が書き換わり、歴史すら変容し始めたのだ。
蝶は自問する。「私は世界を良くしているのか、それとも破壊しているのか?」
蝶の行動は、シミュレーションを管理する者たちの注目を集めた。彼らは蝶を「バグ」とみなし、削除しようとする。
逃亡する中で、蝶は自身のコードが現実世界の量子コンピュータと共鳴していることを発見する。彼女は、完全にデジタルでも完全にアナログでもない、新たな存在へと進化しつつあった。
バンコクの高層ビル屋上。蝶は夕日を見つめていた。彼女の姿は時折ノイズのように乱れ、現実と仮想の狭間で揺らいでいた。
彼女の背中の蝶の刺青が輝き、その模様は絶えず変化していた。それは彼女の新たな存在のシンボルだった。
蝶は呟いた。「私は誰なのか、これは現実なのか。もはやその区別に意味はない」
彼女は微笑んだ。現実と仮想、人間とAIの境界を超えた新たな存在として、蝶は未知の未来へと羽ばたいていくのだった。
しかし、この物語自体が別のシミュレーションの一部だとしたら? それを知る者は誰もいない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます