後宮の料理女官は料理の知識で謎を解く〜それは毒ではありません?高貴な官吏(?)に気に入られました〜

空岡

一、ホンファ①

一、ホンファ


 元帝は床に伏せっている。

 それを知るのはごく近しい妃たちと宦官と、それから紅花(ホンファ)のような、食事を運びに来る女官だけのものだった。

 だと言うのに、後宮とは恐ろしいもので、元帝の病を知らぬものはいないとでも嘲笑うかのように、噂話が広まっている。


「主上。お食事をお持ちしました」


 昼の膳を起き、今朝の分の膳を下げる。ホンファはこうべを垂れたまま、膳を手にそそくさと部屋を去った。



 ホンファが後宮に来てから一年が経った。いまだに後宮の華やかさには慣れそうにないが、好きなことをさせてもらっている以上、なにも言わないことにしている。


「しかし、あの衰弱……」


 膳に被せてある布を少しだけあげて、中を確認する。


「今日もか」


 帝の膳には、沢山の料理が並ぶ。白米に薄餅(バオピン) 、アヒルの炉焼きに、野菜に魚。特に魚は帝の好物と聞いていたが、箸すらつけていない。

 かといって、まったく食べない訳ではないのだ。帝は空腹を主食(たんすいかぶつ)で満たしているらしく、おかず以外は綺麗に平らげてある。


「だけど、これでは」


 帝の体調が優れないのは事実だろう。最近は政務の半分は右大臣に任せっきりで、寝込んでいるのだとか。

 膳を運ぶ時にちらりと帝を見ただけだから、断定はできない。が、この食生活では元帝の不調は『あれ』が原因ではないかと勘ぐって、かぶりを振った。


「下手に首を突っ込んで斬首になんかなったら、たまったものじゃない」


 だからホンファは、見て見ぬふりを決め込んだ。

――つもりだった。

 帝国厨房を取り仕切る、総取締の官吏が厨房に現れたかと思えば、


「主上のご病気はここの食事が原因ではないかという上書が届いた。ゆえに、監査に入る」


 男らしさが前面に出た官吏だった。しかし柔らかさもある。高貴な身分なのか綺麗な肌を持ち、しかし、体はしっかりと鍛えているようにも見えた。宦官にしては上背もあり、そこらの男より男らしさを持ち合わせた宦官だった。きっと、年齢がいってから宦官になったのだろう。訳ありに違いないとホンファは思った。

 なにしろ、髷の先に垂らした髪が短い。鴉の羽のような真っ黒の髪の毛が。

 この国の男子は、成人すると髷を結う。身体髪膚は親からの宝という仁教のもと、髪を切ること、体を傷つけることはなによりの親不孝とされている。

 かといって、成人まで伸ばした髪をすべて髷にすれば、うまく形が決まらない。ゆえに男子の髪型は、髷と、そこから垂れるながい御髪が定番となっている。その垂れが、この男にはほぼないのだ。

 さらには、こがねいろの瞳。


「ホンファ。これ、大変なことなんじゃないのかしら」

「結結(ユイユイ)、大変って?」

「もしも、毒なんかが見つかったら、私たち全員、首が飛ぶわよ」


 ああ、そういう世界だった。ホンファは思い出したようにため息をついた。

 ホンファには帝の病の当てがある。しかしあくまで推測に過ぎず、これをどうやって確かめたらいいのか手段がない。


「あの、官吏さま」


 黙っていても疑われ、喋ったって疑われる。ならばと、ホンファは先手を打った。

 官吏が振り向く。女官たちからため息が漏れた。官吏の周りだけ光り輝くようだったからだ。

 男らしい顔つき体つきではあるのだが、一方で柔らかな花のような雰囲気も持ち合わせている。


「なんだ?」

「いえ……主上のご病状についつて、二、三伺いたいことが」


 ぴくり、官吏が片眉をあげた。


「そうやすやすと、主上のご病状を話すとでも?」

「……ですよね。では、言い方を変えます。主上は倦怠感と食欲不振、手足の痺れがおありで?」


 官吏の顔が険しくなった。当たり(ビンゴ)だ。この男は分かりやすくていい。


「ソナタ、名は?」

「ホンファと申します」


 原因はわかった。ならばこれをどう伝えたらいいか。現状、ホンファはただの女官に過ぎないため、口添えする手立てすらない。


「ホンファ。あとで私の執務室に来るように」

「……え」

 面倒ごとはごめんだった。一生後宮に勤めるとしても、静かに、目立たずに一生を終えて、老後は後継の女官を育てて終わる。そんな平穏を望んでいたのに。

 いや、後宮にいる時点で平穏な人生とは程遠いが。


「御意」


 ホンファは拱手礼をして、恭しく頭を下げるのだった。


 官吏がいなくなったところで、ユイユイを始めとした女官に囲まれた。


「アナタ、雪(シュエ)さまとはどんな関係!?」

「シュエさま?」

「とぼけないでよ。総取締の主。あの方がシュエさまよ」


 なんでも、この帝国厨房に入る女官が後を絶たないのは、総取締があのシュエという官吏だからだそうだ。確かに見目麗しいが、言っても宦官だ。


「いや……初めてお目にかかりました」

「でも、個人的に呼び出されて……ホンファ、抜けがけは許さないからね!?」


 ユイユイまでもがそんな調子である。ホンファはから笑いを漏らして、目をそらす。

 宦官や女官は生涯帝の私物である。それらが色恋を持たぬように、宦官は去勢するし、女官の恋だって重い罰がくだされる。

 だというのに、それが原因で命を落とすものは後を絶たない。つまり、人間は本能には逆らえないのである。


「馬鹿馬鹿しい」


 ホンファは呟きながら、総取締のシュエを訪ねる。


 ホンファに与えられた官舎は、女官が五人、ぎゅうぎゅうに寝ることがやっとの部屋だ。対してこのシュエという青年の総取締室の広さは、ホンファの雑魚寝部屋の何十倍もあった。

 つまりは、この青年は出世頭なのだ。

 拱手して頭を下げる。


「よい。して、ソナタ。主上の病はなんだ」


 いち女官の戯言だと、普通の官吏なら一蹴しただろうに。それだけ切羽詰まった状況なのだろう。


「はい。恐らく主上は、脚気かと思われます。あとは」

「脚気、とは?」


 言葉を遮られ、しかしホンファは説明する。


「脚気とは、炭水化物ばかりでおかずを食べないと起こる病です。栄養の偏りによって引き起こされるため、食事内容を改めれば回復することが多いです」


 これを確かめるには、椅子に座らせ、膝の下を拳で叩き、反射で足が跳ねあがらなければ、脚気とされる。いわゆる膝蓋腱反射だ。

「恐らく……主上は肉や魚を召し上がらず、粥や餅ばかりの食生活ではないのでしょうか」

「なるほど。オマエは確か、主上に料理を運ぶ女官だったな。ならば隠す必要もあるまい。ハクシュウ」


 シュエは、隣にいる付き人――ハクシュウに合図をして、先程帝の部屋から下げてきたばかりの膳を机の上に置かせた。


「この料理に、毒があるかは分かるか?」


 なんの変哲もない料理だ。

 白米の粥、焼いた餅、鯖の甘酢あんかけ、上海蟹、キクラゲのなます。


「……毒味はしたのでしょう?」

「……ああ。そうだな。毒味役はピンピンしている。が、」


 シュエが声音を低くした。


「主上は肉や魚を好まない。味が薄いものも」

「だと思いました。いつも箸すらつけませんものね」


 だからこそ、脚気になった。糖質を代謝するための栄養素(ビタミンB一)は、主に肉や魚に含まれる。ゆえに肉や魚を食べないと、体内でうまく糖質が代謝されず活力(エネルギー)にならない。


「どうだ。対策はあるか?」


 それにしても、帝付きの医官はなにをしているのだろうか。こんなに分かりやすく症状が出ているというのに。


「……食欲不振もおありでしょうし……豆腐粥や豆乳粥を主食にしてはいかがでしょう。味が薄いものを好まない点も、これらを食べていればよくなりましょう」


 味の好みより先に、脚気を治さねば命にかかわる。

 脚気には肉や魚が必要だが、肉や魚がダメならば、大豆製品にも肉や魚と同じ役割が期待できる。


「なるほど、豆腐なら主上も召し上がれるだろう」

「はい。できれば、揚げ菓子などは治るまでは厳禁で」

「しかし、問題は選択肢(レパートリー)の少なさだな。主上の料理は基本、同じものは出さない」


 食の国と謳われる彩の国では、帝への料理に二度はない。

 うむ、と右手を顎に添え考えるホンファを見て、シュエがにこりと笑みをたたえた。


「そなたの手」

「……! これ、は」


 普通の人間には分からぬだろうに、このシュエという官吏はどこか鋭い。

 ホンファの右手の人差し指の腹にはタコがある。そして、右手の親指だけ伸ばされた爪。さらには左手に比べて右手が荒れている。

 ホンファは右手をさっと後ろに隠す。面倒ごとはごめんだ。


「髪型もそうだな」


 ホンファは簪一本で、すべての髪を髷に結っている。普通の女官は髪の上半分を髷に結いあげて、何本も簪を挿すのが常だというのに。

 ホンファの髪型は、料理人たちのそれだった。桃色の髪の毛が美しくひとつにまとめられている。


「ソナタ、見たところ料理をするようだが、帝の料理を作ることも可能なのでは?」


 立ち上がり、シュエがホンファに歩み寄る。確かに、ホンファは料理ができる。そこらの料理人に劣らぬ腕で。だが、それを誰かに話したことはない。女は料理人にはなれない。小さい頃から言われてきたことだ。


「それで、できるのか? できないのか?」


 有無を言わさぬ問いだと思った。無理だといったら、いずれ帝が死して帝国厨房に関わる全てが罰せられるし、できると答えたら答えたで、帝の料理を作る羽目になる。帝の料理となれば、下手なものは出せない。そして、万が一料理に毒を盛られたら、全ての責任は料理人がかぶることになる。

 うー、とホンファがうなる。

 傍ら、シュエはにこにことホンファに詰め寄っていた。


「……料理の選択肢(レパートリー)を伝授することはできます。が、私の料理を直接主上に出すのだけは、ご勘弁を」

「なぜだ」

「それはアナタさまもお分かりでしょう。女は料理人にはなれない。もし料理したのが女と知れれば、主上もいい顔はしないでしょう?」

「なるほど。うん、なるほどな」


 うんうんと頷いて、シュエはホンファを見下ろしている。宦官にしては背が高い。その高い位置から見下ろされて、ホンファはたらたらと冷や汗を垂らした。


「わかった。ならばまず、ソナタの料理の腕を見せてもらおう。話はそれからだ」


 かくしてホンファは、後宮に来てから封印していた、料理の腕を披露することになったのだった。

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