第31話 行ってきます

「うーん……」


 本のページをめくりながら、何度も溜息を吐く。文字の読み書きはできるとはいえ、難しい専門書の内容が理解できるわけではない。

 先程から小鈴が見ている妖についての書物は、どれも難しいものばかりだ。


「……それに、たくさんあるし」


 書庫へきて、妖怪関連の書物を片っ端から確認している。なにか手がかりになるようなものがあればと思ったのだ。


 梓宸さんが毒を盛ったのなら、妖に関連するもの。

 それは分かったんだけど、毒を盛っている妖なんてたくさんいるんだよね。


 本当は梓宸から直接話を聞きたかったが、それは無理そうだ。


 攻撃はしてこなくなったけど、やっぱり、友好的に話ができそうにはない。


「あっ」


 ぱらぱらとページをめくっていると、一つの項目に目がとまった。


「幻獣……? 妖とは違うの?」


 深呼吸し、本に集中する。理解できない言葉や文章もあったけれど、なんとか要点を掴むことができた。

 幻獣とは、この世には存在されないものとされている獣。妖でもなく、実在の獣でもない。

 神秘的な力を持つ獣で、必要とする人間にのみその姿を見せてくれるという。


 要するに、いるかどうかは分からない、伝説の存在……みたいなことなのかな。幽霊とか、そういうのと同じ類?


 小鈴は幽霊を見たことはないが、その存在を疑っているわけではない。そもそも妖だって、普通の人間には見ることができないのだから。


 幻獣の項目を読んでいると、その中の一つ、犀という幻獣が目にとまった。普通の犀ではなく、通天犀という幻獣がいるそうだ。

 千年以上生きる通天犀は、基本的には通常の犀と同じ形をしている。しかし、額からすこぶる長い角が生えているのだという。


「……角は、どんな毒や病にも効く薬になる」


 梓宸が使用した毒が何なのかは分からない。けれどなんにでも効くという通天犀の角なら、皇帝の毒にも効くのではないだろうか。


「本当に通天犀なんているのかは分からないけれど」


 生息地は、霊力の強い山。水中に出入りするものも多く、川の近くでの目撃情報もある……ということだ。

 しかし、警戒心が強い幻獣でもあり、山奥に生息しているらしい。


「……霊力の強い山、ってなると」


 瞭寧山。

 すぐ近くにある山だ。それほど標高も高くない。しかし、霊力が強いだけなく、ありとあらゆる念の集う山である。


 山中での自殺者が多いことでも有名で、おまけに、死刑囚の死体を埋める場所もある。

 普通の人間なら、近づくべきではない山だ。


 でも私なら、きっと問題ないわ。





「……それで、その……休みをいただきたいんです、翠蘭様」


 おそるおそる申し出ると、まあ、と翠蘭は目を見開いた。

 最終的に小鈴の休暇を認める立場にあるのは、翠蘭ではなく暁東だ。しかし暁東に申請をする前に、まず翠蘭の承認を得なければならない。


「なにかあったの、小鈴?」

「少し、行きたい場所があって」


 宝石のように綺麗な瞳で、翠蘭はじっと小鈴を見つめた。


「飛龍様のためね?」

「……はい」


 嘘をついたって、どうせすぐにばれてしまう。だとすれば、ちゃんと伝えておくべきだろう。


「……貴女は、本当に凄いわね」


 翠蘭がゆっくりと息を吐く。


「私は、怖くて動けなくなってしまったもの」


 飛龍と佩芳を仲直りさせたい。小鈴のそんな願いに、翠蘭は共感してくれた。それだけでなく、協力してくれて、二人を会わせることに成功した。

 だが、その作戦は失敗に終わった。


 あれから、佩芳が翠蘭のもとを訪れる頻度は下がってしまった。翠蘭は何も言わないけれど、時折、彼女の瞼が腫れていることに小鈴は気づいている。


 私に協力したせいで、翠蘭様が佩芳様に嫌われてしまったのかも。


「これ以上佩芳様に嫌われたらと思うと、なにもできなくて……それに私、どうしていいか分からないの」

「翠蘭様とお話しする時間が、きっと佩芳様を癒していますよ」

「……そうかしら」

「はい。絶対、そうです」


 だといいのだけれど、と翠蘭が呟く。そして顔を上げると、小鈴の手をぎゅっと握った。


「小鈴。応援しているわ。だけど、無理はしないで」

「はい」

「どこへ行くのかは、聞かない方がいいのよね?」

「……できれば」


 聞かれても、瞭寧山と素直に答えることはできない。

 そんな場所に一人で行くと伝えれば、きっと止められてしまう。


 だって翠蘭様は、私が半妖だってことを知らないから。


「分かったわ。気をつけて、小鈴。貴女の無事を祈っておくわね」

「ありがとうございます、翠蘭様」

「……ねえ、小鈴。こんなことを貴女に言うのはおかしいのかもしれないけれど……私、自由に動ける貴女が、少し羨ましいわ」


 目が合うと、翠蘭はくすっと笑った。悪戯が成功した子供のような無邪気さと、物分かりのよさが同居した笑みだ。


「佩芳様はきっと、もっと不自由なのよね」

「翠蘭様……」

「そんな風には見えないけれど、きっと、そうなんだわ」


 翠蘭は佩芳の婚約者であり、おまけに良家の子女だ。小鈴のように、好き勝手に出かけることは許されない。

 そしてそれは、皇子である佩芳も同様である。


「私はここで待つことしかできないけれど、応援してるわ、小鈴」


 立ち上がると、翠蘭は部屋の隅にある小棚から小さな袋を取り出した。


「これを持って行って」


 袋の中には、お金が入っていた。銅貨、銀貨、金貨……状況に合わせて使い分けられるように、全ての種類の硬貨が入っている。


「私にできるのは、これくらいだから」

「ありがとうございます、翠蘭様」


 小鈴が向かうのは山だ。お金なんて、役に立つわけじゃない。それでも、翠蘭の気遣いが嬉しかった。


「行ってきます、翠蘭様」

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