第28話(梓宸視点)傲慢な男
「もっと食べろ」
やっとの思いで食事を終えたと思ったのに、盆の上に再び皿がおかれてしまった。深皿には、具材がたっぷりと入った温かい羹が入っている。
少し前まで、温かい食事とは無縁だった。
それなのに今は、食べきれないほどの食事を与えられている。
「……もう食べられません」
「食べろ。そんな貧弱な身体だと困る」
「どうしてです?」
「狩りにも連れていけないだろう」
身勝手なような、優しいようなことを言って、佩芳は笑った。眩しい笑顔を向けられるとつい、箸に手を伸ばしてしまう。
佩芳に拾われてから、梓宸の生活は一変した。衣食住に困ることはなくなり、それどころか、教育を受けられるようになった。
字の読み書きを習い、仙術についての基本を教わっている。
「午後からは俺が馬の乗り方を教えてやろう」
楽しみだろう? と期待に満ちた眼差しで見つめられたら、はい、と頷くしかない。
一目見た時から金持ちの青年だと思っていたが、まさかこの国の皇子とは思わなかった。しかし同時に納得もした。
生まれた時から丁重に扱われ、尊重され、必要とされているがゆえの輝きと傲慢さが、佩芳にはある。
本当に、眩しいお方だ。
◆
近頃、佩芳の口数が減り、日に日に表情が暗くなっている。理由は明らかだ。
皇帝が第二皇子を後継者に指名する、という噂である。
「……本当なのだろうか」
佩芳に拾われてから、10年近い歳月を共にしてきた。いいところも、悪いところも全部知っている。
彼が、どれだけ第一皇子として苦労してきたかも。
いや、本人には苦労したという意識はないだろう。彼にとっては全部、当たり前のことだ。もちろん、皇帝になるということも。
「今さら、第二皇子を?」
第二皇子である飛龍とも面識はあるが、ほとんど交流はない。好きでも嫌いでもないが、佩芳の敵になるというのなら、憎むべき相手だ。
昔は、ずいぶんと仲が良かったようだが……。
「梓宸」
部屋の扉が開いて、佩芳がいきなり入ってきた。佩芳の辛そうな顔を見ると、上手く息ができなくなる。
貴方にはそんな顔、似合わないのに。
「今度、父上が正式に後継者を発表なさるそうだ」
「……陛下が」
「ああ。父上が、どちらを選ぶかは分からないけどな」
自嘲気味に佩芳が笑う。そんな笑顔は全く彼に相応しくない。
「なあ、梓宸。もし……もしあいつが選ばれたら、お前はどうする?」
「なにをおっしゃるんです。陛下はきっと、佩芳様を選びますよ」
励ましの言葉を口にしても、佩芳は何も言わない。
もし、本当に陛下が飛龍様を選んだら、この人はどうなってしまうんだろう。
佩芳はずっと皇帝になるために生きてきた。その未来が絶たれたら、彼はどんな顔をするのだろう。
残りの人生を、彼はどんな風に過ごすのだろう。
後継者に選ばれなかったとしても、佩芳が第一皇子であることに変わりはない。一生暮らしに困ることなんてないだろうし、皇帝になるより、自由で楽しい生活を送れる可能性もある。
でも佩芳様は、そんなもの望んでいない。
「俺が皇帝になれなくても、お前は俺についてくるよな」
初めて聞く佩芳の弱音だった。
縋るような眼差しが痛々しくて、とっさに目を逸らしてしまう。
皇帝を目指してきた佩芳様にとって、後継者として指名されないことは、存在そのものを否定されることに等しい。
「当たり前です。俺の物になれ、と言ったのは貴方でしょう」
そうだったな、と佩芳は乾いた笑みを浮かべた。彼らしくない卑屈な笑い方に、梓宸まで泣きそうになる。
この人には、こんな顔は似合わない。
選ばれるのが当然だと、傲慢に笑っているべきなのに。
◆
「これでいい。これでいいんだ」
言い聞かせるように、何度も呟く。後悔はしないと決めたはずなのに、全身が震えて仕方ない。
陛下を殺す。
そう決めた。
分かっている。皇帝殺しなんて、とんでもない大罪だ。だが、他にとるべき方法が見つからない。
皇帝が誰を選ぶかなんて、梓宸には分からない。だからこそ、少しでも佩芳を選ばない可能性がある以上、皇帝自身を排除するしかないのだ。
扉を開けて、部屋の外へ出る。曇っているせいで月も星も見えない。それでも、慣れた場所で道に迷うことはない。
ここへきて、多くのことを学んだ。佩芳の伝手で、高名な仙術師から直接術を教わったこともある。
佩芳様が授けてくれた力だ。
だから、佩芳様のために使う。
息をひそめながら、ゆっくりと進む。仙術を使い、周りから姿が見えないようにした。よくみれば梓宸が歩くたびに地面にわずかな痕跡が残っているが、暗闇ではそれに気づく者はいない。
ゆっくりと城内を出て、人気のない道を真っ直ぐに進む。しばらく歩いて、
瞭寧山は王都の裏にあり、それほど高い山ではない。しかし、数々の怨念が詰まった場所である。
瞭寧山には近づくな。
王都で育った人間なら、一度は言われている言葉だ。
「……きているな」
夜遅くに、ある物を持って麓までやってくるように。
それが、
相変わらず、酷い匂いである。殭屍は妖の一種で、この世に深い未練を持ったまま死んだ人間の死体だ。
強い妖力を持つため、死後も肉体は腐らず、生前と同じ姿をしている。だが匂いがきつく、おまけに、生前の記憶は一切ない。
ただの人食い妖怪だ。だが、知能があり、命じれば言うことを聞く。
なにより、こいつはもう死んでいる。だからこそ、今回の頼み事は、こいつにしかできなかった。
殭屍は恭しい動作で、梓宸にある物を差し出した。
「これに入れろ」
だが、直接触れるわけにはいかない。投げ捨てるように渡した革袋に、殭屍がある物を入れる。そして再び、梓宸に差し出した。
袋ごと懐にしまい、殭屍に背を向ける。
「……これでいい、これで」
言い聞かせるように呟いて、一瞬だけ目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、佩芳の笑顔だ。
貴方は、何も知らなくていい。
何も知らないまま……偉そうに、傲慢な笑みを浮かべていればいい。当たり前のような顔をして、全てを手に入れてしまえばいいんだ。
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