第16話 満月の下で

「飛龍様、夕餉をお持ちしました」


 食事をのせた盆を、そっと机の上におく。ああ、と頷いて、飛龍は手に持っていた本をおいた。

 飛龍はずっとこの部屋で過ごしている。本を読んで過ごすことが一番多いらしく、部屋には大量の本がある。


「小鈴」


 飛龍が食事をしている間、横に座ってその様子を眺める。

 飛龍の食事はいつも豪華だ。侍女用に出される小鈴の食事とはまるで違う。


 閉じ込められていること以外は、飛龍様の待遇は悪くないのよね。

 それって、佩芳様が飛龍様を嫌っているわけじゃない……ってことにはならないのかな?


「今日は、なにをして過ごしたんだ?」

「翠蘭様とお話をしました。空いた時間には、書庫にも行きましたよ」


 美雨に案内してもらってから、書庫にはよく足を運んでいる。そのたびに毒に関する書物を見ているのだが、これといった発見はない。


「そうか」


 小鈴がなにをして過ごしたかを聞き、安心したように笑う。そんな飛龍を見るたびに、心臓がきゅっと締めつけられる。


 飛龍と二人きりで過ごす時間は好きだ。しかし今日は、のんびり楽しんでなんていられない。


 翠蘭様と一緒に考えた作戦を実行しなきゃいけないんだもん。





「そろそろ、部屋へ戻らないと。……そうだ、飛龍様。今日は、すごく月が綺麗だったんですよ」

「月が?」

「はい。綺麗な満月でした」


 大丈夫だよね。私、自然に振る舞えてるよね?


「一緒に、月見でもしませんか?」

「……外へ出られないことは知っているだろう」

「はい。でも、ちょっとくらい……。ほら、見張りの人も一緒なら、いいんじゃないですかね?」


 二人を会わせるためにはまず、飛龍を外へ出さなければならない。

 そこで考えたのが、月見である。


 外へ出ようとして見張りに止められたとしても、問題ない。

 だって少しでも外へ出れば、佩芳様に会えるんだもの。


 翠蘭は今日、佩芳と夕餉を共にしている。食後に佩芳を散歩に誘い、龍宮の前に連れてくる……という計画だ。


「お願いです、飛龍様」


 飛龍の手をぎゅっと掴み、上目遣いで見つめる。

 なんとしても、この作戦は成功させたい。


「綺麗な月だから、飛龍様と一緒に見たいんです」

「……小鈴」


 飛龍を騙しているようで、少しだけ罪悪感がある。けれどこれも、飛龍のためだ。


「分かった」





「だめです。これ以上外に行かれては……!」


 小鈴と共に飛龍が外へ向かおうとすると、慌てた見張りに取り囲まれてしまった。だが、見張りは飛龍を拘束しようとはしない。

 飛龍は丸腰で、しかも一人だ。強引に部屋へ連れ戻そうとすれば、いくらでも方法はあるはず。


 手荒な真似はできない……ってことだよね。

 飛龍様が皇子だから? それとも、佩芳様に命じられているから?


 理由は分からないが、とにかく、小鈴にとっては都合がいい。


「見てください飛龍様。ほら、月が綺麗でしょう」


 真ん丸な月を指差し、にっこりと笑う。飛龍が視線を月へ向けた、ちょうどその時。


「あら、小鈴。偶然ね!」


 あまりにもわざとらしい翠蘭の声が響き渡った。

 声が聞こえた方を確認すると、翠蘭の横には佩芳が立っている。


「……兄上」


 飛龍の声は震えていた。小鈴が見たことのない表情で、じっと佩芳を見つめている。

 寂しそうで、怒っているようでもあって……そして、助けを求めているような顔。


「飛龍」


 飛龍の名を呼びながら、佩芳がゆっくりと近づいてきた。

 並ぶと、兄弟だということがはっきりと分かる。母親が異なる二人は瓜二つというわけではないが、どこか似た雰囲気があるのだ。

 しかしそれと同時に、並ぶと二人の違いもより明確になる。


 身長は同じくらいだが、佩芳に比べると飛龍は細身だ。そして色が白い。


「療養中は、部屋から出るなと言ったはずだぞ」


 佩芳の声は力強く、冷ややかだった。一瞬だけ目を見開いた飛龍が、すぐに下を向いて顔を隠してしまう。


「……分かっている」

「なら、すぐに部屋へ戻れ。お前は病気なんだから」


 どうして、そんなこと言うの?

 飛龍様が悲しんでいるのが、分からないの?


 二人の間になにがあったのかは知らない。でも、どうしようもなく腹が立つ。たとえどんな理由があったとしても、佩芳の態度は許せない。


 だって私は、飛龍様が好きなんだもの。


「待ってください。飛龍様は、ずっと……」

「余計なことを言うな!」

「だって……!」


 飛龍はずっと、佩芳を支えて、共にいい国を作ることを夢見てきた。

 病気をでっち上げられた今だって、おとなしく佩芳に従っている。


 そんな飛龍様にこんな態度をとるなんて、あんまりだわ。


「私が仕組んだことなんです」


 今まで黙っていた翠蘭が、ゆっくりと口を開いた。飛龍と佩芳の間に立ち、じっと佩芳を見つめる。


「勝手な真似をしてしまって、申し訳ありません。私が小鈴に頼んだんです。お二人に、昔のように戻ってほしくて」


 何も喋るな、と翠蘭に目で念を押される。

 きっと、彼女が全ての責任を追うつもりなのだ。翠蘭であれば、佩芳に罰されることはないだろうから。


「……翠蘭」

「はい」

「出過ぎた真似をするな」


 それだけ言うと、佩芳は小鈴たちに背を向けて歩き出してしまった。それと同時に、飛龍も部屋の中へ戻ろうとする。

 とっさに伸ばした腕は、呆気なく振り払われてしまった。

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