第28話「猛獣と猛獣使いの少年」



「ヴォルフリック殿下、エアネスト閣下、わたくしがお部屋まで案内致します。

 手の空いている者は、殿下方の荷物を馬車から降ろし、部屋まで運ぶように」


カールが執事に指示を出すと、数人が馬車へと向かった。


カールが僕達の前を歩いていく。


兄様がその後に続く。


ハンクと数人の執事が、僕と兄様の荷物を持ってあとをついてくる。


兄様が建物の敷居を跨ごうとしたとき……使用人のおしゃべりが聞こえた。


「見た? 

 エアネスト閣下の髪と瞳の色?

 陛下の実子なのに、濃い茶色の髪に灰色の目をされていたわ」


「やめなさいよドロテア。

 閣下に聞こえるわよ」


「聞こえたって構うもんですか。

 エアネスト閣下は、陛下からも王妃殿下からも見捨てられ、王都から追われこの地に来たのよ。

 きっと髪と瞳の色が卑しいから見捨てられたんだわ。

 知ってる?

 灰色の瞳の者は魔力が全然ないのよ。

 陛下の実子でありながら、魔力が全くないなんてかっこ悪い。

 私の方が閣下より、高貴な髪と目の色をしているわ」


ちらりと後ろを振り返る。


僕のうわさ話をしていたのは、明るめの茶色の髪に、黄色の瞳の若いメイドだった。


彼女が言ったことは全て事実だ。


だけど聞こえるように言われると傷つく。


やはり……僕は歓迎されていないのかな……。


「エアネスト、一度下ろすぞ」


兄様が僕を床の上におろした。


「ヴォルフリック兄様?」


見上げると彼は眉間にしわを寄せ、酷く冷たい目をしていた。


先ほど僕の陰口を言っていたメイドのもとに、兄様が早足で近づいていく。


どうしよう!? 兄様、きっと凄く怒ってる!


あんな顔をした兄様を見るのは、謁見の間でワルフリートが、僕の悪口をいったとき以来だ。


あの時はヴォルフリック兄様は丸腰だったし、悪口を言った相手が王族だったから、兄様は殴るだけで済ませた。


今回は兄様は剣を持っている。


しかも相手はただの使用人だ。


兄様が彼女相手に何をするかわからない。


彼を止めないと、大変なことになる!


僕は慌てて兄様の後を追った。


「そこのメイド、貴様は命がいらんようだな!」


兄様がバスタードソードを抜き、ドロテアと呼ばれたメイドに剣先を向ける。


喉元に剣を突きつけられ、メイドの顔が見る見る青ざめていく。


彼女は「ひぃっ!」と叫び、その場にしゃがみ込んだ。


他の使用人は彼女から距離を取り、青ざめた顔で事態を見守っている。


「先ほど私は『エアネストに害をなす者には容赦をしない。肝に銘じておけ』と伝えたはずだ。

 にも関わらず、貴様は聞こえるようにエアネストの悪口を言った。

 死を覚悟してのことだろうな?」


「えっ……ひっ、くっ……わ、わだしは……別に……そのような…、ことは……!」


メイドが涙をボロボロと流した。


「いくら言い聞かせても貴様の愚か者が出てくるから困る。

 ちょうど良い。

 エアネストに害をなした者がどうなるか、見せしめになってもらおう」


「ひぃぃぃぃぃ……!!」


兄様が剣を振り上げた。


メイドはその場から動けず呆然としている。


このままだと兄様が彼女を傷つけてしまう。


兄様にそんなことさせたくない!


彼を止めないと……!


僕はメイドと兄様の間に割って入った。


「止めて下さい兄様!

 剣を収めてください!」


僕がメイドをかばうように彼女の前に立つと、兄様が悲しげに眉を下げた。


兄様……そんな顔しないで下さい。


僕はただ……あなたを止めたかっただけなのです。


「エアネスト……これはそなたのためにしていることだ。

 使用人の躾は最初が肝心だ。

 主への暴言を公然と吐くような者は捨て置けぬ。

 死罪は当然。

 他の者の見せしめにする。

 だからエアネスト、そこをどくんだ」


兄様は剣先を僕の後ろにいるメイドに向けた。


彼女のしゃっくりの音が声が聞こえる。きっと怖くて泣いているんだ。


「僕の為でも止めて下さい!

 確かにこの人は僕に暴言を吐きました。

 だけど彼女は死罪になるほどの犯罪は犯してはおりません。

 彼女への罰なら、せいぜいふくらはぎを定規で数回打ちつけ、数日牢屋に入れる程度で良いはずです」


僕は兄様に罪なき人を殺すようなことはしてほしくない。


「彼女の罰は主である僕が決めます。

 それに不服があるのなら、僕も彼女と一緒に罰を受けます。

 使用人の教育を怠った僕にも落ち度があります。

 第三王子である兄様に、

 当家の使用人が不快な思いをさせたのなら、

 この家の当主である僕が責めを負います!」


僕は今しがた侯爵領についたばかりだ。


そんな僕に使用人の教育をする時間も、機会もあるはずがない。


だがそんなことは言ってられない。


僕は国王にシュタイン領の侯爵に任命された。


その瞬間から、僕はこの地で起こること全てに責任を負わなければならないのだから。


「今後はこのようなことが起こらないように、使用人を厳しく教育します。

 だから今日は……僕の顔に免じて許して下さい」

 

兄様お願い、剣を収めて……!


僕の為に人を殺すなんて、そんなの駄目だよ。


「今回だけだ。

 今回だけはそなたの顔に免じて、その者の罪は不問に付そう」


兄様はそう言って、メイドに向けていたバスタードソードを下げた。


「ありがとうございます!」


兄様が剣を鞘に収めたのを確認し、僕はほっと息を吐いた。


「おいお前、カールとか言ったな?」


兄様が家令を呼びつけた。


「お呼びでしょうか、ヴォルフリック殿下」


「メイドの教育ぐらいしっかりとしておけ」


兄様が僕の悪口を言っていたメイドをギロリと睨みつけた。


「他の者にも伝えろ、今後エアネストに害なす者は私が容赦なく処罰する。

 次はエアネストが止めても聞かぬとな」


兄様はカールに冷たく言い放った。


そしてこの場にいた使用人をギロリと睨みつけた。


皆萎縮しているようで、兄様と目が合うとそっと逸らした。


僕はこの土地を豊かにしたかった。


使用人にも協力してもらいたかったんだけど……彼らには当分心を開いてもらえそうにないな。


当主として使用人に舐められるのはよくないし、兄様が僕の為にしてくれたのもわかるんだけど……。


複雑だなぁ……。


「承知いたしました、ヴォルフリック殿下」


カールはそう言って兄様に向かって深々と頭を下げた。


僕は後ろを振り返った。


僕の庇ったメイドはまだ放心状態で、彼女の目からは絶えず涙が溢れていた。


僕は地面に膝をつき、彼女に視線を合わせた。


「大丈夫?」


「エ、エアネスト……閣下!

 さ、先ほどは……ご、ご無礼を……ひっく、ひっく……。

 た、助けていただき……、あり、あり……がとう……ござま…す。

 こ、この……御恩は……一生、うっ、ひっぐ……忘れ、まぜん……!」


メイドが涙と鼻水でボロボロになった顔でそう言った。


「彼女は今日は休ませてあげて、彼女を罪に問うのは明日にしよう」


僕はカールにお願いした。


「かしこまりました」


カールは近くにいたメイドに、トロデアを部屋まで連れて行くように命じた。








この件を機に、使用人たちの間でヴォルフリック兄様が「猛獣」と呼ばれ、僕が「猛獣使い」と呼ばれることになる。


「猛獣を怒らせないためには、猛獣使いに手を出さないこと……!」と使用人たちは各々肝に銘じた。


そして僕を「若輩者」と侮っていた使用人や、

僕の髪と瞳の色を卑しいと蔑んでいた使用人が、

僕への見方を改めた。


そのことを僕が知るのは、ずっとずっと後のこと。

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