第21話


 時間というのは、普通、過去から未来へと流れ続けていて(”流れる”という言い方が当を得ているかどうかについては不明ですが)SFは別にしても、普通そこの時間律?系列?軸?から逸脱したり、運動性を別の法則に変容したりということは不可能で、ウラシマ効果とかは、光速とかアインシュタインとか、そういうほぼ異次元のこと。

 

 だから、一回性で、偶然で、ぶっつけ本番。不条理で、「後悔先には立たず」、「後の祭り」、「覆水盆に返らず」…そういう悲劇、嘆きとか蹉跌は”Big Bang”以来、無数に繰り返されてきた。はずです。


 そういう意味でたぶん、人間を”歴史的存在”と、称するのだと思う。

 歴史にも「もし」や「たら」はない。

 「繰り返す」というが、それは漠然とした経験則で、「天の下に新しいものはない」という格言と似た、言わずもがなの?金言だろう。”永劫回帰”とか言うとまた違うんかなと思うがますますわからなくなります。


 「サルがシェイクスピアを書くほどの偶然」と、現行の人類が存在しえたことについての僥倖性の表現レトリックがある。例えば、隕石が衝突せずに恐竜が滅亡しなければ、かなりの高蓋然性やろうが?もう人類は存在していない…


 では、例えば「運命」あるいは「予定調和」とはいったい…?という疑問は当然あって、オカルトやスピリチュアルな概念を援用すれば別の解釈は可能ですが、つまりは心理学的な錯誤を、そう呼んでいるだけということに、科学的にはそうなるのかも?例えば既視感デジャヴとかと同様に。


 が、科学万能、行き過ぎた科学信仰という時代は、もうそれ自体が一種の、相対化されるべき、ある特定の時代のユニークな時代精神と、くどいけども?そういう発想をする人が増えてきているかとも思う。


 が、素朴に、「キリストを信仰していれば救われる」、「南無阿弥陀仏」を唱えていれば極楽に行ける、そういう希望とかポジティヴな発想を確信することによる、そういうことがもたらすhugeなメリットはそれ自体どういう知恵の体系の論理でも、たぶん説明可能で、幸福な前向きな気分で何時も過ごしている人がたくさんいることが、社会と、そこを根城にせざるを得ない人類一般の幸福のcliticalな必要条件だろうな~と思うのは当然である?ヨナ? 陰陰滅滅な暗黒の未来犯罪都市、市民がみな官憲におびえて閉じこもって眉間の皴が消えなくなっていて、で、いくらAT化されて物質的にいくら豊かでも、遠からず、戦乱や災害で「ポンペイ最後の日」となるのが当たり前だよな~?とか思う。だから、予定調和やら運命というものがあるとすればそこなのだ。そのドラマツルギーなのだ。…


 ナニを書きたいのかよくわからなくなってきたが?

 アリストテレス以来に、人類は文学的な営為を通じて、人間存在を構成する不可思議な要素の多くについて、「智慧」という、叡智人にとっての唯一にして最終の武器を行使して、その本質を追求してきた。最も本質的な、人間を人間たらしめるアリバイ。正義とか幸福とか高邁さとか、理性や美や、唯一無二だが多様多彩な、追い求める理想の多くの、最も強力な後ろ盾となりうるたった一つの「闇の一灯」。

 そのあり方のかたち、それを必死に、懸命に追い求めてきた証、そのモニュメント、集大成が文学やその他の藝術であったのだ。


 あらゆるものを凌駕して、もっともよきものを力強く掲げ、万人に指し示す。それこそが文学者であったのだ…たとえば、かのワイルヘルムマイスターのごとくに!

 


 

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