第16話 秘密の数々
ルラさんが最初に案内したのは、書斎だった。白い、板のような扉を開ける彼女に続いて僕達は中に入った。
中はまるで、魔女の住む部屋だった。
壁一面が本棚で、天井は見えなかった。ずっと上まで本棚が続いていて、空中に浮いているものもある。
床は丁重な赤い絨毯で、心地が良さそうだった。
ルラさんは部屋の真ん中にある作業机の椅子に座った。机にはノートパソコンが畳まれている。どこか、IT社長を思わせ風貌だった。僕は思わず息を飲んだ。
「ここが私の書斎」
ルラさんがにこやかに微笑んだ。嬉しそうだ。
僕は、再度周りを見渡した。全部、古そうな本だった。
「なんの本があるんですか?」
僕は興味本位で問いかけた。
「色々だよ。地質学からライトノベル。後は、第二十二宇宙論理など、まぁ、色々。一応、この銀河内の専門書は一通りあるよ。ここは地球と似ているから、地球のような学問がある。細部は違うけどね。銀河が違えば、名称も文字も学術内容も変わる。構成物質自体が変化するからね。ここにある知識は、魔界全土を見れば、わずかだよ」
「わずか…」
それにしては、膨大だ。
「この建物は、魔術で作られてるんですか?」
「そう、魔術で作られてるよ。この建物自体、魔術で作ったものさ」
「…驚きました」
「正確な表現だね。嬉しい。嘘じゃない」
急に、僕の眼の前に本が降ってきた。それは、ちょうど胸の前に止まる。片手に収まる、小さな文庫サイズ。厚さも随分と薄い。
「君へのプレゼントだ。解読すれば、面白いことがわかるよ」
「…僕にできると思いますか?」
「寅次郎から、少しは文字を学んでるんだろ?だったら、可能だ」
「わかりました。ありがたくもらいます」
僕は本を手に取った。やはり、軽かった。
「うん。そうしてくれ。後、そうだな…」
そうして、彼女はくるりと椅子を一回転させた。口角が上がっている。
「リクアド。君にも何か渡したほうが良かったかな?」
「はい。でしたら、外出許可をいただきたいですね。小旅行をしたいと思います」
「わかった。それじゃあ、後で券を発行しよう。時間は、二時間だ」
「はい。ありがとうございます」
リクアドが僕の後ろで頭を下げた。
「それじゃあ、移動しようか」
ルラさんが席を立った。
部屋から出て、気づく。
おじいちゃんが居なかった。
どこへ行ったか考えようとして、ルラさんが先に進んでいた。
ルラさんにおじいちゃんの行方を聞くと、家に帰った、という言葉が返ってきた。それから、寅次郎は歳だからな、と意地悪に語った。
歳が関係あるのか、と思ったけど、冗談だと思ったので訊かないことにした。
一階に降りて、扉を開け、廊下に入った。リクアドとはここで別れた。
中は暗く、壁に松明が均等に配置されいた。随分長い廊下だった。
建物の設計予想に反して、幾度か道を曲がった。分かれ道が何本もあった。
「あの、随分長い道ですね?」
僕はルラさんに問いかけた。
「魔術で別空間になってるんです」
シャルロッテが僕の隣で答えた。
「そう。なんでもありなんだよ、魔術は」
ルラさんが楽しそうに追加する。
僕は黙って道を進んだ。
急に眼の前に黒い扉が出現した。三メートルはある。大きな門のようだった。
ルラさんが足を止めるまで、僕はそれに気づかなかった。
「ついたよ。ちょっとまって」
それから、ルラさんはポケットから何かを取り出して、扉に当てた。多分、キーだろう。黒い扉は一瞬紫色に枠が輝き、扉が内側に開かれていく。
重音な音が響いた。
「ここが、私の研究室」
隙間から、薄っすらと冷気のようなものが低い位置を漂った。
中は、とても広かった。中央に土台があり、その上に水袋が浮いていた。その中に、黒い点が一つある。
なにかの検査機器が壁にずらりと並んでいて、電波のような何かが宙を舞っているのが見えた。奥に、人が居た。ピンク色のロングヘアで、白衣を纏っている。こちらをじっと見ていた。
「あの、これはなんの研究なんですか?」
僕はルラさんに問うた。
「えっと…不老不死?あまり近づくと危ないから、少し下がってて」
彼女は僕の前に腕を伸ばした。
一歩下がる。その時、右手が握られた。見ると、シャルロッテが僕の手を握っていた。
彼女に引きずられるように、僕は扉から外に出た。
扉は徐々に閉まっていく。隙間の向こうにルラさんの姿が見えたが、時折姿が消えては、出現していた。扉が完全に閉まった。
「え…なんで?」
「大丈夫です。ルラ様は、きっと、これだけを見せたかったのだと思います。帰りましょう。私についてきてください」
シャルロッテは立ち上がると、道を戻っていった。僕は彼女の少し後ろを歩いた。手は繋いだままだ。人間と変わらぬぬくもりが、彼女の手にはあった。人工物には到底見えない。
「ルラさんは、戻って来るの?本当にあれだけを僕に見せたかったの?僕、何かを知ったわけじゃないと思うけど…」
「ええ。心配は不要です。もともと、あの部屋にはルラ様しか長期滞在はできません、こうするほかありませんでした」
「…わかった」実験内容は後で聞こうと僕は決心する。「ところで、ちゃんと帰れるの?」
「はい。私は記憶力に定評があります」
シャルロッテは自信満々に答える。その表情に、僕は少しだけ不安になった。
「お願いするよ」
どちらにせよ、僕には彼女の後をについていくという選択しか無いのだ。
十数分が経った。
案の定、彼女は道を間違えたみたいだった。
「もしかして、道、間違えた?」僕は恐る恐る訪ねた。
さっきから、彼女が握る手に力が籠もっていた。
「…かもしれません」シャルロッテは少しすねていた。「ですが、たどり着けない、ということはないと思います。プランBがありますから」
「道を歩くのにプランがあるの?」
「あります!」
シャルロッテは少し早足になった。
それでも、分かれ道になると数秒足を止めて考えた後、迷いながら右を進んだ。
僕は最初こそ怖かったけど、同じ景色がずっと続くのでなんだか慣れてしまった。シャルロッテがあまり怖がっていないこともその原因だろう。彼女は勇猛果敢に僕を先導してくれていた。
突然、ここです、とシャルロッテが言った。
だが、そこは分かれ道の一つだ。シャルロッテは左方向を指している。
「この先に、プランBがあります」
「だから、なにそれ?」
僕の口調はかなり砕けていた。
シャルロッテが、意外とおっちょこちょいであるとわかったためだ。
「行きましょう!行けば、わかりますから」
シャルロッテが僕に顔を近づけて、僕の両腕をぶんぶんと引っ張った。
「わかった。うん。君を信頼するよ」
「はい。信頼してください!」
シャルロッテに右腕を引っ張られる形で、僕はまた歩みを進めた。
すぐに、大きな扉があった。ルラさんの実験室と同じ形の扉だった。色違いで、こっちは銀色だ。
シャルロッテは扉に近づくと、小さなモニタに左手を当てた。
数秒後、ブウン、と重音が響き、扉の枠が赤く輝いた。
エラーだ。
「開かないの?」
僕は訊いた。
「はい。ですが、これで大丈夫です」
「え?何が?どういうこと?」
「おいおい。また迷子になったのか?」
後ろから声がした。太い、男の声だ。
振り向くと、黒猫が居た。
尻尾を振りながら、にゃー、と鳴く。
「すみません、ガブ。お世話になります」シャルロッテが猫に頭を下げた。
「うちは迷子センターじゃないんだぜ」猫は喋る。「しかし、しょうがないなぁ。俺への供物はちゃんと用意されてるんだろうな?」
「はい。クッキーをご用意しました。シチューもありますので、もしよければバレア様もお呼びください」
「リクアドとルラ様はどちらにいる?」
「兄は不明です。ルラ様は現在研究室に入られました」
「なるほど。なら、だめだ。バレア様は部屋から出られない」
「わかりました。それでは、ルラ様がお会いになりたがっている、とお伝え下さい」
「伝えないでおくよ。ついてきな」
猫がゆっくりと奥へと歩みを進める。
シャルロッテが僕を見た。
「これが、プランBです」
ドヤ顔だ。
かわいい。
「すごいね。猫が喋った」
僕は感激していた。
「はい。彼はバレア様の使い魔です。私達に良くしてくれるんです。頼りになります」
そう言って、彼女は僕の右手を掴んだ。
「行きましょう」
「うん。そうだね」
僕らは猫について行った。
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