血濡れたロールクラッシャー

@ask413

第1話 海を目指して

 

 眼球に人差し指と中指を押し付けながらモニターを見る程、苦痛なことはない。眼精疲労のせいで鉄球のように筋肉が凝り固まっている。次第に肩も凝って、頭が疼きだす。どうやらモニターを使って暇を潰すのは限界ようだった このままでは全身の筋肉が固まって、石膏像のようになってしまいそうだ。瞬きをしたら角膜が剥がれているかのようなぺりぺりという音がするし、首を回したら何かを磨り潰しているようなゴリゴリという音がした。


 目が限界を迎えたのであれば、次は足の出番だ。足が悲鳴を上げるまで歩けばいい。その次は喉が枯れるまで歌えばいいし、それでも時間が余るというのなら自慰をした後ラジオか音楽でもきけばいい。


  人生は死ぬまでの暇つぶし。どんな困難や苦境に追い込まれようとも死がそれらから解放してくれる。だから世那は毎日仕事に行くことができたし、偶発的に発生する病気にも耐え得ることができた。


  死んだら何もなくてそれは無ですらなくて、自我が完全に消失するものだと勝手に思い込んでいるのだけれど、この考え方が正しいのかどうかが分かる頃には既に死んでいるという皮肉に多少怯える。


  分かるということは自我が存在しているということであって、それは最も恐れていることの一つだった。この世は地獄だと思っている人もいるし、天国だと思っている人も僅かに存在する。いつ日か私は自我があって、感情があって、思考することが出来てしまうということ自体を地獄だと定義するようになった。


  天国のような何かは地獄という頑丈な基盤によって支えられていて、誰しもが地獄に落ちるリスクを抱えながら生きているのだ。そんなことを考えながら服を着替えていると、窓から差し込まれた強烈な西日に思わず顰めっ面になった。


  梅雨も真っ只中だというのにあまりに美しいその夕日は、まるで朝日のようでこれから何かが始まるのではないかという予感が輝いていた。私は生地の薄い紺色の靴下を履いて洗面所に向かった。顔を洗って寝癖を直した。起きたのは朝の9時だというのに、自分の顔を見たのはこれが最初だった。


  それまでは何をしていたのか?と聞かれたら、お互いの頭を撃ち抜き合っていたとでも言おうか。モニターに写し出された仮想世界で、ヘッドショットをしてはされてを繰り返している内にこれほどまでに筋肉が凝り固まり、空腹感を通り越して何も感じなくなり、鬱蒼とした厚い雲が風に流され、太陽は西方に達していたのだ。


  その事実をお前はどう思う。この醜い顔は左右を反転させたぐらいではどうにもならない。舗装されたばかりのアスファルトのような瞼縁を二重にして、鼻筋に寄ってたかるコバエみたいな毛穴を何かで埋めて尽くして、頬に飛び散った濃い髭を永久に抜き去ってしまえば幾分かましになるだろう。


  鏡に付いている水垢を拭き取ると顔のシミが一つ減った気がした。しかし現実は醜い顔が綺麗に写っているだけだった。まるで4Kテレビに昔の白黒映像を流しているような感覚だ。宝の持ち腐れ、猫に小判、豚に真珠などの皮肉めいた言葉が頭にたくさん浮かんだ。


  醜いなりにも最低限の容姿を整えて外に出た。懐かしい履き心地だ。白を基調として青色のラインが数本入った運動靴。高校生の時の体育の授業でしか履いていないそれを今更引っ張り出してくることになるとは思わなかった。靴もさぞ驚いているに違いない。


  靴箱の奥底で眠っていた君の眠りを妨げるのは心苦しかったのだけれど、代わりになりそうなものがなくて仕方なかったんだよ。他に履けるものといえばボロボロのスニーカーと、ほとんど履いていない小奇麗なスニーカーと、底に穴が空いたサンダルぐらいのものだった。


  どれも足が痛くなるまで歩くには適さないだろう。足が痛くなる前に靴に悲鳴を上げてもらう訳にはいかないし、穴の空いたサンダルで何かを踏みつけて怪我をするのは御免だ。ましてや綺麗なスニーカーを汚すなんて論外。唯一と言ってもいいまともな靴なのだ。


  綺麗なスニーカーがないとまともな人にまともな格好で会えなくなってしまうではないか。醜いのは顔面だけで十分。そう思いながら玄関の段差を降りた。段差の角が酷く欠けているのは、世那が子供の頃にハンマーを叩きつけたせいだ。世那は帰還兵の痛々しい古傷のようなそれを一瞥してから歩き始めた。


  朽ち果てたエメラルドグリーンのような色の砂利を踏みつけると、ザクザクと音がした。子供の頃にはもっとあったような気がするけど、気のせいかもしれない。所々茶色い箇所が目立っていた。外にはみ出た小石をエメラルドグリーンの海に蹴飛ばして、真っ黒なアスファルトを踏みしめる。


  人工的に作られた固い大地に抗うように排水溝の隙間から顔を出す蒲公英。白い綿毛に息を吹きかけてみたが、微動だにしなかった。腹が立ったので、蒲公英を引き抜いて目の前の田んぼに捨ててやった。


  田植えを終えたばかりの田んぼにプカプカと浮かんでいる綿毛の塊が滑稽に見えた。まるで水性生物の胃の中に寄生しようと試みている寄生虫の群れのようだ。そう考えてしまうとだんだん気持ち悪くなってきて少し吐き気を催した。


  次に蒲公英の綿毛を見つけたときは、顔を近づけて息を吹きかけるなんてことはできないかもしれない。それが良いことなのか悪いことなのかわからないけれど、恐らく二度と蒲公英を手に取ることはないだろう。


  家の通りは十件ぐらいの家が建ち並ぶ団地になっていて、そのような小団地が田んぼを挟んだ向かいにいくつかあった。大きなサンドイッチのように団地、田んぼ、団地、田んぼ、団地・・・と続いている。そのサンドイッチの裏手には工場地帯が広がっていて、さらにその裏手には瀬戸内海が広がっている。


  私は見慣れた家々を眺めながら歩いた。その中には幼少の頃に友達だった人の家も何件かあった。そう今は友達ではない。というより当時も友達だと思ったことはない。周りが友達だと言うので友達と言うしかなったのだろう。


  尤も、小学生の子供に家族と友達以外の人間関係における表現の抽斗がなかったせいもあるだろう。何はともあれ現在においては、どこで何をしているのかも知らない名前すらあやふやな存在になってしまった。今となってみるとそのような結末になるのは必然で、何度やり直しても同じことを繰り返してしまうだろうなと思えた。


  当時の私とその人たちとの共通点と言えば、家がたまたま近い場所にあって同じ年代に生まれたということだけだった。だから価値観なんて全く合わなかったし、仲良くなれる訳がなかったのだ。彼らは価値観の押し付けの合い末、よく喧嘩をしていた。


  その様子をただただ眺めて、腕っぷしの強い人の意見に同調する。どんな人物であるとかどのような思想であるとかに関係なく、ただ喧嘩の強いやつに従うという毎日が世那の日常だった。そのような苦い記憶から逃れるためなのか、無意識のうちに早歩きになっていた。


  団地の通りを抜けてT字路を右に曲がると、軽自動車の横幅ぐらいの大きさの水路があった。丁度田植えの時期ということもあってか、水嵩が高く少し濁っていた。腰ぐらいまでなら水に浸かってしまうだろう。この水路に100均で買ってきた網をつっこんで魚取りをしたのをよく覚えている。


  田んぼの水止め板を勝手に動かして、おっさんに怒鳴られたのはいい思い出だ。夕方とはいえ夏のプロローグのような蒸し暑さを感じた。薄っすらと浮き出た額の汗を手の甲で拭って、世那はまた歩き始めた。暫く水路に沿うようにして歩いていると、見慣れない大きな太陽光パネルが目に入った。


  太陽光パネルは戸建住宅に挟まれながら申し訳なさそうな顔つきで、輝く西日を電気エネルギーへと変換していた。私はその光景を茫然と見つめた。突如、なんとも言い表せない感情の起伏が巻き起こり、世の中に蔓延る綺麗事な意見に対する反発心のような物が湧き出てきた。


  こんなにも綺麗な事象を電気エネルギーに変換することができるなんて綺麗事以外の何物でもないではないか。しかし光を光に変換すると考えてみると、それはとても合理的で単純で理にかなっているような気がしてしまう。ただ実際には常人には到底理解しえない複雑な理論と電子機器の組み合わせの元成り立っているし、 必ずしもLEDライトのような光に変換されるわけでもない。ましてや夕日程度の光量では雀の涙程度のエネルギーしか生み出せないのだろう。そんな夢も希望もない現実的なことを考えている内に反発心のような物は、梅雨特有の湿った微風に乗ってどこかへ消えてしまった。


  何処からともなくガラガラと不愉快な音が聞こえてきたので、その方に目をやった。色褪せた朱色の塗装が所々剝げ落ちて、錆が目立つ年老いたトラクターが、泥の轍をつくりながらこちらに向かってきている。薄汚れたクリーム色の作業着に身を包んだ老人は、欠伸をしながらハンドルを小刻みに動かしていた。


  なんだか夢から醒めたような感じがして、少し虚しくなった。トラクターが目の前を通り過ぎ去った。私はトラクターが残していった泥の轍を道しるべにするかのように歩き始めた。ピントのずれた虚ろな目で暫く歩いていると、泥の轍が進路を左に変えようとしていた。よく見ると目の前には大きな川があって、二人並んで渡るには窮屈であろう小さな橋が架かっていた。


  到底トラクターが通れるはずもなく、やむを得ず進路を左へ変えたようだ。いや、ただ単純に左に曲がった先が、目的地だったのかもしれない。普通に考えればその可能性の方が高いと思う。或いは、ここを通る度に直進できないことに対してい苛立ちを覚えながら、左折しているのかもしれない。


  いつもこうやって一々無駄なことばかりを考えて、現実から逃れようとするのが私の悪癖だった。結婚、子供、親の老後。冗談でも明るい未来が待っているとは言えない現実だ。そういう意味では仕事には恵まれた。決して楽な仕事とは言えないし、給与も平均以下だ。とはいえ少なくとも定職に就いて仕事を与えられている。意地の悪い上司がいなくなればさらに素晴らしいのだが、贅沢ばかりも言ってられない。それにその上司はあと2年で定年退職を迎えるということなので、さほどの問題ではない。


 結婚についてはあまりに遠い現実で、結婚という概念がフィクションのように最近思えてきたぐらいだ。生まれてこの方、女性というものに触れ合う機会が少な過ぎたせいか、自分が女性に触れようものならすり抜けてしまうのではないかと考えてしまう夜だってある。そんなことを考えてしまう夜は大抵の場合眠れなくて、仕事に少なくない支障をきたしていた。


 ここ数年はSNSの普及に伴い、様々な意見が群雄割拠し、24時間口論という名の戦争が行われている。超現代風に表現するならば、レスバトルというやつだ。私はあえて結婚をしないという選択をとっていますだの、子供は金持ち同士の嗜好品であってペットのようなものだとか、老人が多すぎるから安楽死制度の導入や集団自決について現実的に考えるべきだなどの意見を世間に発信した人がいたとする。まあ実際に存在するのだけれど。すると瞬きをする間もなく反論が返ってきて、戦いが始まるといった具合だ。しかしこんなクソ田舎の現実世界では、古くからの風習やずっしりと重たい固定観念を押し付けられるので、現実社会とネット社会とのギャップに頭がおかしくなることがあった。その度にどんな世界にあっても生きづらさを感じるものだなと心底思わされた。今は結婚はしたくないけれど、天涯孤独に耐えられるという自信がない。だったら今のうちに恋愛を経験しておかないと、まずいのではないか?とりあえず風俗に行って童貞は捨てて置いた方がいいのではないか?ああとても憂鬱だ。


  いっそのこと昔の同調圧力の塊のようなお見合い文化が、復活した方が楽なのかもしれない。男は世間体を気にして断わることができず、女は生きるために仕方なく義務のような結婚をする。そんな夫婦でもなんだかんだセックスをして子供を拵えるのだから、一つの形として決して悪いものではないと思えた。


  気が付いた時には馴染みのない田園風景と、工場地帯が眼前に広がっていた。営業しているのかどうか賭けるのに丁度良い具合に古びたプレハブ小屋、誰に需要があるのか理解できない自動販売機、有無を言わせぬ高さを誇る白い煙突。白い煙突は、まるで本物の雲のようなモクモクとした煙を排出し、環境を汚染していた。


  綺麗に舗装されたアスファルトの隣には相変わらず川が流れていた。もう十分汽水域に到達している頃合いだろう。川壁に付着している藻の色合いを鑑みるに、どうやら水嵩が浅い時間帯のようだ。もう数百メートルも歩けば瀬戸内の海を一望できるだろう。海岸に面する堤防もしっかりと捉えることができた。


  首輪とリードに繋がれた芝犬が老婆を先導するように歩いている。このまま時間が進めば我々は間違いなくすれ違うことになるだろう。会釈ぐらいはすべきなのか、将又可愛いワンちゃんですねと話かけるべきなのか。そんなことを考えているとすぐさまその時はやってきて、結局、左手に広がる田んぼを眺める振りをして気まずい空気を乗り切った。


  犬に吠えられやしないかと少し怯えることになってしまったが、取り越し苦労に終わった。代わり映えのしない景色に飽き飽きしてきたので、自然と小走りになった。日頃の運動不足のせいか、走り始めて一分も経過していないのにも関わらず息が上がった。


  ふと後ろを振り返ると老婆と芝犬が空豆ぐらい小さくなっていた。その大きさに比例するように堤防が大きくなっていて、堤防はもう目と鼻の先の距離だ。膝に手を置きながら急な坂を越えると視界がぱっと開けて、潮の香りと凪いだ海が広がっていた。堤防に肘を置き、頬杖を突きながらぼんやりとその景色を眺めた。


  靄の隙間から孤島の岩肌や山々が薄っすらと顔を出している。やけに黒みを帯びた商船が波に身を任せて揺らいでいる。照りつける夕陽が海面で乱反射し、煌々と輝いている。何かを考えるということは、この空間に置いて最も相応しくない行いではないだろうか。というよりこの潮風や点在する島々やあの黒い商船がそれを許してくれないのだ。


  あの商船は何を積んでいて、どこからやってきて、どこに向かおうとしているのか。あの島にはどんな人々が住んでいて、どんな文化が根付いているのだろうか。その先を勝手にイメージしようとすると何かに邪魔建てされる。でも恐らくそれはこの堤防の周辺に古くから根付いた風習であって、言い伝えのようなものなのかもしれない。そう考えてみると途端に居心地が良くなって、何も考えずに時間を過ごすことができた。

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