矛盾(7)

 ウルフのグリペンは空港周辺の比較的低い高度で、空に8の字を描いて見せる。

 8の半分を描き、逆方向に機体を捻る際も、ぴったり90度バンクして旋回を始める。

 それを描き終えるとすぐに高G旋回で、滑走路上空へ再進入する。

 今度は時速120kmという超低速で機首を大きく上げたまま飛行し、観客たちの前に来ると一気に加速し飛び去って行く。

 旋回中も、旋回後も、低速時も、減速時も、グリペンの機動はとにかくシャープで、機敏な動きだった。

 観客の視界から消えたと思ったら、次は彼らの背後から高速で飛んできて、彼らの度肝を抜いた。


「どっかに行ったと思ったら、もう帰って来たのか?

 フィギュアスケートを見ているみたいだ」


「さっきのラーストチカの演技は上に上昇するのが多く、首が縦方向に疲れましたが、今度は行ったり来たりと横方向に疲れますな」


「明日、起きられんわ、こりゃ」


 高齢の政治家や軍人たちが、額の汗をハンカチで拭う。


「ほう、中々考えたな。フォックス」


「え?」


 先程まで腕を組んでウルフを見守っていた大熊が突然呟き、フォックスは間抜けな声を上げた。


「空港周辺を飛び回る、お前の考えた飛行プログラムだ。

 さっきのG/Sの連中のアクロバットじみた飛行は、一瞬の豪快さはあるが、すぐに上空に消えるから機体を事細かに見ることが難しい。機体の挙動をすみずみまで見たいプロからすれば有難迷惑だ。

 だが、今のグリペンのフライトは中々観客の視界から消えないから、機体の細かい所に目が行く」


「えへへ、上手く伝わるといいのですが」


 フォックスは珍しく大熊に褒められたことが嬉しい反面、自分のプロデュースしたデモ・フライトが良い反響を及ぼすか心配だった。


「失礼。ATCの方々ですか、あの機体について伺いたいことがあります」


 その時、フォックスは背後から声をかけられ、パッと表情を明るくする。

 だが、振り返って頭が真っ白になり、固まった。

 声をかけて来たのは、迷彩服に覆面を被った屈強な男だったからだ。


「あの?」


「申し訳ない、うちの従業員バカが失礼しました。

 営業担当はこの私、大熊が務めさせていただきます。


 見たところ、あなたは特殊作戦に従事するお方で?」


「ええ。その通りです。

 こんな格好で申し訳ないが、任務の特性上、顔を見せるわけには行きませんので」


 グリペンのことを知りたがっていたのは、意外にもアシアナ陸軍の特殊部隊の指揮官だった。


「ラーストチカの機動は力強かったが、挙動が怪しい所もあった。

 あれでは駄目だ。精密さが必要な近接航空支援時に誤射を起こしそうだ。

 

 だが、あのグリペンは凄く小回りが利くようだ。

 繊細な動きが見て取れる、対地攻撃のアプローチに最適そうだ。

 もし、あれらを導入すれば、我々の航空支援として使えるだろうか?」


「もちろんですとも。

 実際、あのパイロットはグリペンを用いて、近接航空支援任務を行い、多くの戦果を挙げました。もちろん、空対空戦闘でも多くの戦果を挙げています」


「成程。

 もしも、ハイラウンダーと戦争になれば、我々は彼らとゲリラ戦をおこうなうことになるでしょう。そんなとき、戦闘ヘリよりも生存性が高く、早く、強力な精密誘導爆弾をつめる機体がいれば心強い。

 

 特殊作戦司令部としては、この機体を推すように上に掛け合いましょう」


「ありがとうございます」


「次は私に話を聞かせてくれないか、補給大隊のものだ。兵装の換装は……」

「あのパイロットは何者なんです?」


「まあまあ、皆様、順番に」

 

 大熊は予想外の反響に戸惑いつつも、意外と「ビジネス」というのは楽しいぞと思い始めていた。


 ◇


 そこに山があるから登るのだ。

 何故そこまでの危険を冒して山に登るのか、なんの意味があるのかと問われたとある著名な登山家はそう言った。


 ウルフも同じだった。

 今、彼のグリペンは基地の上空で8.0Gの旋回を行なっている。耐Gスーツ有りとはいえ大体480kgの圧が身体にかかっているということになる。

 実際、戦闘機パイロットに自ら志願したものでも訓練に耐えられず辞めていく人間を何人もウルフは見てきた。


 あるものは肩を落とし、あるものはこんなもの馬鹿馬鹿しいと空元気を出して去っていく。


 だが、誰しもが去り際に聞こえる戦闘機の轟音に名残惜しそうに、空を見上げていた。


 それが答えなんじゃないかとウルフは思う。


 酸素マスクから押し込まれるような酸素に逆らうように息をして、Gに身体を押し込まれながらも、ウルフは幸せだった。

 今、眼前に流れる水平線はここまで辿り着いたものにしか見ることができないから。


 ここに戻って来れてよかった、ウルフはそう思っていた。


 その時、彼の感傷に水を差すようなことが起きた。

 突然、フォックスから無線が入った。


「ウルフ、飛行を中止してください!」


「どうした?」


「GSのジョーが勝手に離陸しました!」


「何?」


 フォックスの勧告通り、ウルフが機動をやめて、水平飛行に切り替えた。

 すると、下の滑走路から猛烈な上昇角度で離陸するのが見えた。

 ラーストチカはウルフのグリペンを乱暴に追い越すと、進路を塞ぐように前で蛇行飛行を始めた。


「よう、寂しそうに一匹狼してたからつきやってやるぜ。この猟犬ジョーがな」


「飛行妨害のつもりなの……!?

 ウルフ、危険です。着陸してください」


 今度はウルフが、ジョーを退かすように無理やり前に出て、機体を横付けする。

 上空1000mでグリペンと、ラーストチカの翼端の間は30cm程度になった。

 その状態で、互いが互いをヘルメットのバイザーを溶かすが如く睨み合った。


「いや、飛行に支障はない。

 デモンストレーション飛行を続けよう」


「正気ですか!?」

 

「大丈夫だ。犬との喧嘩ドックファイトで負けた試しはない」





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