優等生だけれど不良になってみた俺は、やたらとからかってくる別校の不良少女と秘密の関係を築くことになった

水面あお

第1話 甘い間接キス

 時々、息が詰まったような感覚になる。


 別に何か特定のことで苦しんでいるわけではない。


 高校では友達もいるし、虐められてもいない。成績もそこそこ。進路だってぼんやりとだが決まっている。傍からみれば順風満帆だろう。


 家では家族と程よい距離感で接している。

 両親の喧嘩を見ることもなければ、兄弟ともうまくやれている。


 それなのに俺は、ふとしたときに息苦しく感じるようになった。


 当たり前だけれど、どこか空虚な日々。

 

 楽しいはずの毎日を楽しいと思えなくなって、辟易して、いつしか心は逃げ出したいと願うようになっていた。 


 ただ強欲で傲慢なんだと、自己嫌悪したこともあった。


 正しいだけの人生に疲れ、俺は少し道を外してみたくなったのかもしれない。


 授業中にぼんやりとそんなことを考えていた俺は、なんとなく席を立ってみた。

 先生の声しかしなかった教室に椅子を引く音が響き渡る。


 視線が俺へと集中する。

 みんな、つまらない表情をしていた。

 驚いてるような、呆れているような。けど、どれも似通っているように見えた。

 

 席を立ったのなら、もう後はない。

 退路を防ぐことで、俺は自分を普段は絶対選ばない方へ誘導した。


「先生、体調悪いので早退します」


「あ? 早退するならまず保健室に行って検温してから職員室に……」


 先生の話が終わる前に俺はバッグを横掛けして教室を抜け出した。

 ほとんどの教材は机の中に入れたままだが、普段から置き勉しているので問題はない。


「おい、待てぇぇー!」

 

 廊下を走っていると背後から先生の声が聞こえたが、平然と無視した。

 

 息を思いっきり吸い込むと、なんだか生き返ったような気分になった。


 不思議だ。

 

 不良っぽいことをしているのに胸が高鳴っていく。

 いや、ぽいじゃないな。完全に不良だ。

 

 高校生活どころか、小学生の頃から一度もズル休みや仮病の早退をしてこなかったから、こんなに心躍るものだとは知らなかった。

 非日常みたいでワクワクする。


 階段を下り、下駄箱まで辿り着く。

 靴を履き替え、昇降口を出ると再び走り出した。

 

 どこまでも走っていけそうなくらい、身体が軽い。

 今ならフルマラソンすら完走できそうだ。


 ただ無心に走り続ける。

 嫌なことを全て置き去りにして、俺は遠くを闇雲に目指した。


 椅子から立った時、視線が俺へ吸い寄せられ、周囲がどう思ったか少し気になった。

 けれど、ここまで来ればもうどうでもよくなっていた。

 周囲の視線なんて怖くない。俺は無敵だ。

 

 学校の敷地から抜け出して、家とは逆方面に舵を切る。


 見慣れない道は新しい発見で溢れていた。

 美味しそうな店、変な看板、ボロボロの家。 

 ありとあらゆるものが新鮮味を帯びて目に飛び込んでくる。


 気付けば、鮮やかな緑の気配に誘われるまま、公園へ足を踏み入れていた。 


 どこか寂れた遊具が辺りに散らばる公園に、一際目立つ存在があった。


 制服を着た少女がベンチに座っていたのだ。


 歳は同じくらいだろう。

 黒髪を長く伸ばし、整った顔立ちをしているからか、頭が良さそうにも見える。

 制服はうちの高校とは違うものだ。

 こんなところでなにをやっているのだろうか。


 俺は自然と少女に近付いていた。

 彼女は遠くをぼんやり見ていた視線をこちらへ移す。

 ぱっちりとした瞳が俺を捉えた。


「キミ、不良少年?」


 よく通る声だった。

 穏やかで、耳馴染みがいい。


「お前こそ不良か?」


「質問に質問で返すなんて酷いなぁ」


「第一声が『キミ、不良少年?』のほうが酷いだろ」


「あははっ、確かに」


 彼女は眉尻を下げ、愉快そうに笑った。

 笑顔が似合うなとなんとなく思った。


「あ、お隣どーぞ」


 ベンチの真ん中に座っていた彼女は、横に移動し間を空ける。

 手のひらでポンポンと俺の座るべき場所を叩いた。

 

 俺はそのご厚意に授かり、腰を下ろす。

 

 走り続けたせいか、いつの間にか抱えていた空気をゆっくりと吐き出した。


「わたし、瀬奈せな。よろしく」

「俺はれんだ。こっちこそよろしく」


 軽く自己紹介し合う。

 その自然な語り口調から、明るく誰とでも仲良くなれそうな雰囲気を感じ取った。


「蓮って、見た感じは真面目そうだね」


「実際真面目だけどな。成績は上位三分の一に入ってるし、学校は毎日休まず行ってるし」


「で、その真面目くんがなんで今ここにいるのかな?」


 じとーっとした目付きを俺へ向けてくる。

 口元は微かに上がっており、からかいたい気持ちが現れていた。


「授業を抜け出してきた」


「あはははっ。急に別人になったみたいなムーブするね」


 瀬奈は心の底から面白いとでも言いたげに、からからと笑う。


「本当に別人になったのかもな。なんか肩の荷が下りた気分なんだ」


 俺はありのままの気持ちを言葉にした。


「へぇ……まぁ、真面目ムーブばっかずっと続けても疲れてきちゃうし、たまにはワルなことしたくなっちゃうよね」


 ふふっ、と瀬奈はいじらしそうな笑みを浮かべる。


「瀬奈も普段は真面目なのか?」


 向こうが俺を呼び捨てしてきたので、俺も彼女を呼び捨てる。


「もちろんだよ。テストはほぼ満点だから。……遅刻欠席早退のしすぎで単位やばいけどね」


「不良なんだか真面目なんだかよくわからんな」


 白黒はっきりせずどこか中途半端で、けれどよく笑う瀬奈に、俺は好奇心を抱いていた。彼女には不思議と吸い寄せられてしまうような魅力があった。


「ねぇ、蓮」


 瀬奈の瞳が至近距離で俺を捉える。

 その目は、日差しによって輝いているように見えた。


「アイス、食べたくない?」


 夏は終わったがまだまだ残暑が厳しい九月。涼を取りたくなる気持ちも頷けた。

 

 * * *


 近くの通りにある小さなアイス屋に俺たちは入った。

 どうやら瀬奈のお気に入りの店らしい。

 

 食べたい味を注文すると、その場でコーンの上にアイスを載せてくれた。

 

 俺はチョコとバニラ、瀬奈は抹茶とストロベリーを選んだ。


 外に出て、歩きながら食べ進めていく。

 身体にキンと冷えた感触が染み渡る。


「うんまぁ〜。授業サボって食べるアイスは別格だなぁ〜!」


「罪な味って感じだな」


 不思議と、普段食べるアイスより何倍も美味しく感じられた。

 走ったあとに食べるからなのか、授業をサボるという背徳感からなのか、判別はできないが。


「あ、そっち一口ちょーだい!」


「あ、おいっ」


 阻止する声も聞かずに、瀬奈はぺろりと俺のアイスを舐めた。


「チョコ美味しいー! あ、わたしのも、どーぞ」


 差し出されたアイスを前に悶々としたが、断りづらいので仕方なく一口食べる。


 とろけるような味わいを舌に感じる。

 抹茶味は苦いかもと思っていたが、想像以上に甘かった。


「抹茶もなかなかうまいんだな。初めて食べたわ」


「あははっ。出会って初日なのに、間接キスしちゃったね?」


 意地悪そうに俺を見てくる瀬奈。

 その言葉に、その表情に、胸がどくんと強く跳ねた気がした。


「おやおや〜、耳が真っ赤だよ? 照れてるのかい?」


 追い打ちをかけるように紡がれる台詞。

 女子と間接キスなど、生まれて初めての俺には動揺を抑える術はなかった。


「瀬奈って何年生なんだ」


 強引に違う話題へ転換しようと、適当に思いついたことを尋ねる。


「無視かい……。二年だけど」


「俺は三年だ」


「おおー、先輩だったんだ。……これからは蓮先輩って呼んであげようか?」


「やめろ」


 上目遣いで甘く囁く瀬奈を軽くいなす。

 なんとなくだが、彼女とは先輩後輩ではなく、対等な立場でいたかった。

 そういうしがらみから逃れたかったのかもしれない。


「蓮は受験生なのに授業サボって平気なの?」


「まだ初回だし、大丈夫だろ……たぶん」


「これからもサボるなら問題になっちゃうね」


「今日限りだから平気だ」


「……もうわたしとは会ってくれないんだ?」


「いや、そういうわけじゃ──」


 瀬奈の方を向くと、その顔に影が落ちていた。

 彼女とは別の高校。会いたくてもそう簡単に会えない気がした。こんなふうにサボって会うでもない限り。


 けど、彼女との交流を今日で終わらせてしまうのは惜しいと感じた。

 瀬奈ともっと話したい。彼女のことを知りたい。そんな気持ちが俺の心に芽生えていた。


「冗談だってば、そんな深刻そうな顔しないで。時々でいいからさ、またこうやってお話したいなってだけだから」


「あ、あぁ。……でも、俺としても瀬奈とはこれからも仲良くしていきたい」


「じゃあサボらなきゃだね」


「程々にだけどな」


 気付けばアイスを食べ終えていた。

 瀬奈も最後の一口をぱくりと咀嚼した。


「それで、どうだった? 可愛い後輩と間接キスしちゃった感想は?」


 忘れかけた頃に唐突に蒸し返され、体温が微かに上昇する。しかし、その熱を冷ますアイスはもうない。

 仕方ない。追及を逃れるためにも撤退を決め込む。


「さてアイス食べたし、家に帰るか」 


「ちょっ!?」


 瀬奈が慌てていたが、仕返しということで無視する。

 横並びだった彼女よりも歩幅を大きくし、距離を引き離していく。


 どこか名残惜しい感情を抱えながら──

 

「本当はまだ家に帰る気なんかないくせに」


 ぽつりと、遠くで瀬奈がそんなことを呟いた。

 

 心の内を見透かされたようなその言葉に、思わず背後を振り返る。


「ね、もうちょっと公園で話していこっ?」


 俺が振り向くと確信していたような、勝ち誇った笑みで、瀬奈はそう提案した。 

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