TRUE HUMAN

森野熊参

内なる使者と来訪者編

第1話 久しぶりの日常、開幕

 「やべぇ時間じゃん!!」


テレビに映るニュース番組の時間は8時15分と表示されていた。テレビを切り、新型の腕時計を身につけ、それまで優雅に食べていた自家製のフレンチトーストを片手に持ち、神崎優気かみさきゆうきは家を飛び出た。高校3年生、最後の高校生活が始まるというのに、初っ端から遅刻とはナンセンスだと感じていた。


 優気の家は27階建てのタワーマンションの16階のため、階段よりもエレベーターを使いたいが待っている時間が勿体ないと判断し、1段飛ばしで階段を下った。1階のエントランスを抜けた後、息抜きとして早歩きに切り替え、ほんの少し温かいフレンチトーストを口にする。卵の風味と砂糖の甘さが絶妙にマッチしていて、将来はフレンチトースト職人になろうと決心がつくほど美味に感じる出来だった。そうこうしているうちに時刻を確認すると8時20分を示していた。青ざめる感覚が全身を伝い、全力ダッシュで学校へ向かう。遅刻のデッドラインは8時30分ピッタリで、徒歩で家から学校まで向かうのに30分程度のところを10分で向かわねばならないため、内心かなり焦っていた。


 残り5分を切り、校舎の姿がひょっこりと見えてきたが、体力はもう限界を迎えつつあり、心の中で間に合わないと感じていた。目には見えない強き意志が打ち砕かれていくこの感情は、箱根駅伝でたくさんの想いを受け継いだ走者が母校の繰り上げスタートを目の前にした時の感情と酷似していた。


 「おーい!!!ゆーき~!!お――――い!!!!!」


もう諦めて歩きだそうと考えたその時、後方から大きな声で自分の名前を呼びあげられた。振り返るとくしゃくしゃの制服をだらしなく着こなし、赤黒く荒々しいバンドマンのような髪の毛を揺らしながらママチャリを漕ぐ同じクラスの友人、黒羽炎示くろばねえんじが優気の近くにやってきた。


「後ろ乗っけたろっか?」

「乗せてくださぁぁい!!!!!」若干食い気味で返答したため、もともと高めの声の声質が、この時ばかりはかなり甲高い声になり炎示がニヤニヤと笑う。スピードの出るママチャリの後ろに慌てて飛び乗った。自転車が浮き沈みし、その感触が自転車の鳴き声を表しているようにも感じられた。


「全速で行くぜぇえ~!」この状況を少し楽しんでいるかのような声を炎示は大きく発する。


 「乗せてくれてありがとう。マジで助かったわ」チュウしてあげたいわ、と冗談を飛ばしつつも、心からの感謝を伝えた。炎示が来なかったら高校生活での無遅刻記録が崩れてしまうところだったため、感謝しきれないほどの感謝を念じた。


「全然ええよ。ってかさっきの『乗せてくださぁぁい!!!!!』ってエウァのジンシ君に似てておもろかった」


「咄嗟に出たんだけど俺も似てるとおもったわ」似せたわけじゃないんだけどねと呟き、ドタバタのやり取りがひと段落したところでひとまず深呼吸をして自身の呼吸を整える。


「お前はまーた髪の毛伸びたな」想像以上に伸びていた炎示の襟足を触りながら言う。普段から品性がかけており、だらしがないため、軽蔑というよりも驚きのニュアンスを含んだ一言であった。


「春休み中床屋行こう、床屋行こうと毎日思ってたんやけどな」


「結局今日が来て切れなかったってことか」


「そういうこと!」「お前毎回そうじゃん」「確かに!」


毎度のことでやはりだらしないと感じ、果たしてこいつは一生このままなのだろうかと心配に思ってしまう。ただし、遅刻ギリギリで、なんなら炎示の助け舟がなかったら遅刻だった優気がだらしないと見下せる立場なのか、そんな疑問は一切頭になかった。


 たわいもない話をしていたら学校に着いたためすぐに自転車を停める。下駄箱で上履きに履き替え、2人は急いで自分たちの教室まで走る。教室に2人が着いたとき、時計は8時28分を指していた。「セーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーフ」と大きな声で炎示が叫び、クラスの注目を集める。優気は時計を見向きもせず、教室の入り口でぜぇぜぇと必死に息継ぎをしていた。すると聞き覚えのある声が優気と炎示にたくさん飛び込んできた。


「おぉ、2人とも2週間ぶりだな。」少し笑いながら声をかけたのは優気の小学校の同級生であり、親友の川堀怜真かわほりれいまである。2週間ぶりーと返答し、軽くハイタッチをした。


「お、久しぶりだなー!!今日こそ遅刻すると思ってたぞ!」驚きながら優気の肩を叩き、そう声をかけたのはこんがりと焼けた巨体を揺らす幼馴染の佐藤健勇さとうけんゆうだ。甲子園を目指し、鍛え上げられたゴツゴツの身体とは無縁に、にっこりと笑顔を浮かべるそのギャップが安心感を作り出す。


「またガタイ良くなったな。春休みずっと練習してただろ?」


「もちろんな!部員総員で甲子園目指して頑張ってるよ。2人も野球部入る?」


「おいおいお前時期を考えろ。もう高3だぞ?ってか中学から現在に至るまで部活勧誘通算何回目だよ」


「134回目だよ」


「数えてんのかぁい」


「違う違う。ストライクコールは『ァァァァァアアアアアアイッッ!!!!!!!』だから」


「コールしてないから。なんなら入部がストライク判定なら俺はボール判定だから」


炎示が大きな声で笑い、いつもの学校生活が帰ってきたと感じさせられる。そのためか、優気はだんだんとエンジンがかかってくる。遅刻の心配もなくなり、制約がなくなった男のターボはとても熱く、力強くなるのみだ。


「あれ、りっくんはいないのか?確か事前に送られてきたクラス表には璃久瑛も同じクラスだったよね?」教室全体を見渡し、もう1人の親友、花脇璃久瑛はなわきりくあが見当たらないことに疑問を感じた。


「あぁ、あいつは朝ごはんに賞味期限切れのパンと牛乳を食ったから、無事に腹下してトイレに籠ってんぞ。もう15分くらい経つから、そろそろくるんじゃね」


「朝からなにしてんだか…さすがの俺でも引くぞ」


「炎示に引かれたらもう末期だな!」健勇が笑みを浮かべながら元気よくそう発した。


すると、8時30分を告げるチャイムが鳴り響くと同時に腹をさすりながら教室に入る璃久瑛の姿が見えた。表情は重く、とても楽しみにしていた事が一気に無に帰ったような絶望感を表しているようにも見え、うぅ、とうめき声をあげていた。優気は璃久瑛を呼びながら手を大きく振ると、向こうもそれに気づき、驚きの表情に変わる。チャイムが鳴り、自席に着かないといけないため、急いで優気に短く挨拶を交わそうと駆け足でこちらに向かってくる。


「優気と炎示おひさ。ったく俺ってば朝から腹壊しちまったよ」


「どうせまたなんかのアニメやらゲームやらの影響だろ?」


「今期アニメの『戦場に咲きほこる凛とした花』っていう傭兵と王女の話なんだが、戦場で血ドロにまみれたパンを食べるシーンを見て、俺も家にある消費期限切れのものを惜しまず食べようとな…で、今日の朝トライしたらこのザマよ」


「うん。バカなの?なんで消費期限切れのもの食べようって考えに至るの?」アニメの影響を受けるのはいいが、そこから一捻りしてアレンジしてしまうところが璃久瑛の行動パターンの1つなのだが、今回のことはイレギュラーが過ぎていた。


「かっけぇ…俺も血だらけのパン食おうかな」


「自ら病気になりに行くバカ初めて見たわ。なに?死にたいの?」


炎示が目を輝かせて言うものだから優気は呆れながらも咄嗟に言葉が出てきた。席に付かねばならないのに璃久瑛は炎示にそのアニメをおすすめし、案の定優気にもおすすめしてきたため、軽くあしらう。担任教師が教室に入り、さっさと自分の席に着けとそそのかし、ようやく朝のホームルームが始まった。

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