25 できることからやらないと

 私はさっそく、東神教のチェンバー枢機卿に手紙を書く。

 まずは私の担当からデライト司祭を外してほしいこと。それと世界的な危機については理解したため、銭湯の普及を急いでほしいこと。瘴気に関する実験結果と、銭湯の健康効果に関する情報。そして。


「――国際魔法薬連盟。その立ち上げを東神教が支持してくれるなら、今回の瘴気風への対応についても全面的に協力する。こんなところかな、クレマン」

「はい、ナターシャ様。良いと思いますぞ」


 魔法薬研究所のみんなに手伝ってもらって、組織の素案を作り、資料に起こしていく。本当はもっとじっくり考えたいんだけど、今はとにかく瘴気風への対処が急務だろうからね。名前ばかり仰々しいハリボテの組織だけど、それでもとにかく立ち上げて、ガンガン動いていかないと間に合わない。


「これでよし。クレマン、主要各国へ配布する資料のとりまとめをお願いできるかな。東神教の傘下の国へはあっちで対処してもらうとして、そうじゃない国へは私が働きかけないといけないだろうし」

「ふむ。各国が素直にナターシャ様の話を聞き入れてくれるか、少々疑問ですな」

「さすがにこの短期間で全人類を救うのは荷が重いよ。それでも、今できる限りのことはしないと。民衆に噂が広まって、普段よりもちょっと清潔に気をつける――それだけの対応でも、病人の数はかなり変わってくるだろうし」


 多くの有力者と人脈を築けたのだけは、私が帝都に行った数少ない利点だったかもしれないね。

 ガイラルディア帝国の国内の主要貴族、隣接する国々の有力者たちとも手紙のやり取りを続けているから、話は通りやすいだろう。


「可能な限りの知り合いに資料を送りつけて、病気を未然に防ぐ。あとは瘴気風による混乱を見越して、魔法薬を増産しておくくらいかなぁ」

「薬が足りますか?」

「もちろん足りないよ、ライラック辺境領だけじゃね。だから、世界各地に呼びかけるの。私にできることなんて些細なものだけど、それで少しでも救われる人が増えるなら、やらなくちゃ」


 隣国の宰相、国を跨ぐ大商会の幹部、各地の錬金術師。これまで知り合ってきた人たちに働きかけて、瘴気風への備えをしておく。

 特別な聖女様でもなんでもない私だけど、だからこそ、やれることは全部やらないとね。


  ◇   ◇   ◇


 忙しくしている私のもとに弟のシグラスが訪ねてきたのは、凍えるような雪風の吹く日のことだった。


「姉さんに土産を持ってきたんだ」

「お土産?」

「うん。喜んでもらえるといいんだけど」


 そうして、シグラスは私に書類束を手渡してくる。

 内容を見てみれば。帝国各地の名だたる貴族家から、国際魔法薬連盟に協力する旨の書類が届いていた。どうやら運営資金を寄付してくれる代わりに、健康に関連する論文なんかを送ってほしいのだという。それは、私にとっては願ってもない状況だけれど。


「すごいね。シグラスは政治の才能があるよ」

「いや、これは姉さんの成果だよ」

「え?」


 シグラスの言葉に、私は首を傾げる。


「これまで姉さんがずっと頑張ってきたことは、無駄じゃなかったんだよ。みんなちゃんと分かった上で、応援したいと思ってくれている……だからこそ、これだけの手紙が集まったんだ」


 そうして、シグラスは静かに微笑んだ。


「名だたる貴族家の方々が、今もそれぞれの領地で、銭湯の普及や衛生観念の情報発信を積極的に行ってくれているらしい。お金もかかるだろうに」

「……そっか」

「うん。全ては姉さんのおかげだよ。俺はいずれ辺境伯になって、姉さんとアーサーさんがこの辺境領でやりたい研究を行えるよう支えていくつもりだ。だから、これからも自由にやってほしい。姉さんは帝国中から……いや、世界中から期待されている偽聖女様で、俺にとって自慢の姉なんだからさ」


 シグラスの言葉に、私は不覚にも涙が零れそうになって、天井を見上げた。

 さて、気合いを入れて動かないとね。弟の信頼に応えるためにも、できる限りの手は尽くさないと。私は私にできることで、人の命を救うのだ。


  ◇   ◇   ◇


 世界規模の瘴気風が吹いたのは、冬の終わりの頃だった。


 それはお父様の結界魔法でも完全には防ぎ切れないほどの規模で、ライラック辺境領も大変だったんだけど。それでも、領民の衛生を向上させて病気を予防した上で、魔法薬も多めに用意しておいたから、混乱は最小限に抑えられたと思う。

 国内外でも、私と親しくしてくれている人の領地や東神教の支配域においては、当初想定されていたほどの被害は出なかったらしい。


「ナターシャ。お疲れ様」

「アーサー」


 研究所で膨大な書類と格闘している私のもとに、アーサーがハーブティを淹れてきてくれた。


 国際魔法薬連盟。

 この組織では、病気の予防から治療まで様々な情報を世界に向けて発信しようと思っている。今回は緊急だったから私の個人の伝手で対応してもらったけど、また似たようなことがあった時にバタバタしないよう、きっちり体制を整えておこうと思っているのだ。


「各地の権力者には国際魔法薬連盟の会員になってもらって、会誌として定期的に医療情報を発信する。瘴気風の対応で目に見えた実績もあるから、会員はかなり集まりそうなんだけど……運営スタッフがいないと辛いね」

「急に立ち上げた組織だからね。どうする?」

「うーん。とりあえずピューレシア市で募集をかけようかな。会誌にもスタッフ募集の旨を掲載して、人を集めてみるよ。でも、貴族の作法を理解した上で手紙を書ける人材となると、なかなかね」


 それと、同業者からもけっこう手紙が届いてるんだよね。

 魔法薬師や治癒魔法使いなど、規模の大小はあれど、医療系の研究をしている人は各地に散らばっている。そういった人たちが、自分たちの研究内容も掲載してくれないかと言っているんだよ。その動き自体はありがたいことだけど。


 ただ、その内容が、ちょっとね。


「研究内容に不備があるものが多くてね……宗教的な思想が絡んでいたり、前提条件が不明確だったり、ちゃんと試験されていなかったり。さすがにそういう不確かなものを世界に広めるわけにはいかないからさぁ」

「悩ましいね。どうする?」

「どうしようかな。正直、一通ずつまともに相手をしてたら時間がいくらあっても足りなくてさぁ」


 例えば「お祈りしてから魔法薬を飲んだほうが早く病気が治る! 根拠は聖典にそう書いてあるから!」なんて言われても、困ってしまうわけで。そういうのを取り扱う組織じゃないんだけど、真正面から否定するとそれはそれで燃え上がりそうなんだよねぇ。


 私がうーんと悩んでいると、アーサーがクッキーの皿を置きながら言った。


「会誌の中で、科学的な思考や検証方法についての説明をして、掲載内容の募集要項を明示した方がいいんじゃないかな。色々と荒れるだろうけど」

「荒れるだろうねぇ……想像できるなぁ」

「まぁ、その点についてだったら僕にも書ける部分は色々とあるだろうから。できることから一つずつやっていこうよ。差し当たっては、運営スタッフの募集からかな」


 そうだね。できることからやらないと。


 今回、私の手の届く範囲の人たちはどうにか救うことができたけど、その輪から外れる人々は酷い被害を受けたという話も聞いている。そこには、ガイラルディア帝国の帝都も含まれていた。

 キャッツテール公爵は自領の対応で手一杯だったらしく、帝都の方まではカバーしきれなくて、後から話を聞いたんだけどね。どうも私からの警告の手紙は、皇家が握りつぶして、なかったことにされたんだという。


 命を取りこぼす悔しさは、姉さんが死んだあの時から変わらない。でも、落ち込んでも何も変わらないのだから、私は自分にできることを前向きにやっていくしかないのだ。


「――姉さんのような優しい人たちが、命を落とすことのない世界にしたい」

「うん。国際魔法薬連盟も、その目的のための手段の一つだろう? 協力するよ」

「ありがとう。名前ばかり立派で中身のない組織にはしたくないからね。ちゃんと世界中の人を救っていけるようにしないと。最終的には、私が死んだ後も誰かに引き継げるようにしたいんだ……特別な聖女様じゃなくたって、みんなの健康をずっと守っていけるような。そういう組織に」


 そうして、私はハーブティで一息入れると、また書類と戦い始めた。理想の世界にたどり着くには、まだまだ足りないものが多すぎる。解決しなきゃいけない問題も山積みだけれど。それでも一歩ずつ、近づいていく。それが私の選んだ道なのだから。

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