24 ここまで来たら、やるしかないよね
東神教のデライト司祭がやってきたのは、雪の深い日のことだった。
彼とは以前から桜入り製品の販売なんかでやり取りを続けているんだけど、隙あらば値切って来ようとするからちょっと会話にエネルギーを使うんだよね。彼の立場も分かるけど、お金を出し渋る東神教になんて魅力を感じないから、これ以上何か言ってくるようなら本格的に関係を切ることも視野に入れていた。
前のビジネスライクな司祭に担当が戻ってくれないかなぁ、と考えながら、やってきた彼を研究所の応接室に迎え入れる。
「お久しぶりです、聖女様」
「……聖女とは呼ばないでくださいと何度も申しているはずですが。呼ぶならどうぞ、偽聖女と」
「いやいや、ナターシャ様はギレット皇太子殿下と婚姻されると帝都で噂になっておりますぞ。そうなれば慈愛の聖女様に返り咲くことになる。大変に素晴らしいことで――」
なるほど、それは嫌なやり口だなぁ。
ギレット皇太子からのちょっと気持ちの悪い手紙はあれから何度も届いていて、その度に「迷惑だ」「やめてくれ」とちゃんと返事の手紙を書いているんだけど、どうも受け流されるんだよね。困ったよ。
「……不愉快ですね。東神教とのお付き合いは、やはり考え直した方が良さそうです。お帰りください」
「ま、ちょっとお待ちを」
「私がいかに言葉を尽くしても信じない一方で、ギレット皇太子の事実無根の戯言をあっさり信じるという状況では、東神教と良いお付き合いを続けるのは難しそうですから。もう一度強く宣言しておきますが、私は聖女ではありませんし、そう呼ばれたいとは欠片も考えておりません。チェンバー枢機卿には手紙で何度もそう伝えているのですが、どうも分かっていただけないご様子。困ったものですね。雪の中での長旅は大変だったでしょうが、どうぞお引き取りを――」
私がそう話していると、誰かがそっと私を後ろから抱きしめてくる。まぁ、アーサーなんだけどね。ちなみにこれは、事前に打ち合わせていた通りの流れだ。よし、ここは甘い声を出してがっつり演技しないと。
「まったく、僕の可愛いナターシャが、そんなに怖い顔をしていたら、僕は困ってしまうよ。落ち着いて。一体どうしたんだい?」
「だってぇ、私はもうアーサーしか見えていないし、お父様も皇家にかんかんに怒ってるのに、あの粘着ストーカー皇太子がデマを広げようとしてるんだもーん。えーんえーん」
「よしよし、僕の可愛いナターシャ。泣き止んでおくれ。僕は君を離したりしないからね」
事前に打ち合わせていた通りの流れなんだけど、こんな大根演技で大丈夫だろうか。うーん、やっぱりダメかなぁ。私もアーサーも、こと恋愛になると「普通のカップル」への解像度がめちゃくちゃ下がるからね。演技指導をしてくれたマルゲリータちゃんはもはや無言だったし。
いや、大まかな流れはいいと思うんだよ。東神教が何か言ってきた時には、まず私がブチ切れて「もう絶交だ、ぷんぷん」ってやるでしょ。それを上手いことアーサーが宥めて、私とアーサーのラブラブっぷりを見せつけた上で、ギレット皇太子に「粘着ストーカー」というレッテルを張るのがこの小芝居の意図なんだけど。司祭にはちゃんと伝わってるかなぁ。うーん、もう一押ししておこうか。
「えーんえーん、唇が寂しいよぉ……チラッ」
「う……ぼ、僕の可愛いナターシャ、まったく君はイタズラっ子だなぁ。あまり人前で唇を重ねるものではないけれど…………はい。今はこれで我慢しておくれ」
「わぁい、アーサー大好きぃ」
私たちがそうして絡まり合っていると、デライト司祭は額に手を当てて天井を仰ぎ見た。どうしたどうした。んんん?
「分かりました。もう分かりましたから」
「何が?」
「ナターシャ様は聖女に返り咲くことはないと。実は東神教の内部でも、情報が錯綜しておるのです。それを確かめる意図があって、先ほどは聖女呼びをすることで様子を伺っていたのです……が、もう分かりましたから、おやめください」
そう。それならいいけど。
私はアーサーと絡まり合うのをやめて、デライト司祭と向い合せに腰を下ろす。まぁ、なんか思ってたのとは違ったけど、ひとまず小芝居の目的はちゃんと果たせたと思う。良かった良かった。
「さて、それでデライト司祭。わざわざ辺境まで来た用件は、それだけではありませんよね。一体どうされましたか?」
「えぇ、実は東神教で困ったことがあり、ナターシャ様に相談させていただこうと思っておるのです」
「困ったこと、ですか」
うーん、私に相談したいってことは魔法薬関係の案件なのかな。
まぁ、今後も健全な取引を続けていくためには、多少のお願いなら聞いてあげてもいいかなとは思っているけど。内容にもよるだろう。
そう思っていると、デライト司祭はため息混じりに話し始める。
「……実は、この冬に世界規模の未曾有の瘴気風が発生するとの神託がありまして」
◇ ◇ ◇
――珍しい魔法を持つものはその内容を問わず厚遇する。
東神教は、そういう運営方針を取っている。
これにより、通常であれば生活に困るような呪いのような魔法を持つものが、東神教に身を寄せて生活いる。そして、その中のほんの一握りは、実は役立つ魔法を持っていることが後から判明し、本部で特別待遇を受けているらしいのだ。特に夢見の魔法を持つ者から得た情報は、複数の魔法使いから得た情報を精査して「神託」として教皇から発表される。これが、東神教の神託のカラクリだ。
「どうやら、世界中で瘴気風による被害が予想されているのですが。それを解決する鍵を握っているのが、ガイラルディア帝国の偽聖女――ナターシャ・ライラック様だという神託がありまして」
「ふーん、それは分かったけど、良かったの? 神託の裏事情なんて教会の極秘事項、私なんかに教えちゃったらマズいんじゃない?」
「ご安心を。貴女に神託の存在を信じていただくには、その仕組みから教える必要がある……というのも神託の指示ですので」
なるほど、確かに。ただ神託ですと言われても私は何も信じなかっただろうけど、特殊な魔法使いを集めて神託を作っていると知れば納得はする。そして、この状況であれば私がやるべきことも、だいたい察しがついていた。
そうしていると、研究室へ資料を取りに行っていたアーサーが戻ってくる。
「ナターシャ、持ってきたよ」
「ありがとう。それじゃあ、デライト司祭。これから偽聖女ナターシャから、瘴気被害を最小限に抑えるための秘策を授けるよ。よく聞いてね」
私の言葉に、デライト司祭は目を丸くする。
ふふん、耳をかっぽじってよく聞くといい。
「――全世界、銭湯普及計画」
「銭……湯……?」
ぽかーんと口を開けてるけど、めちゃくちゃ重要な策なんだから、ちゃんと聞いてよね。
私はまず、ピューレシア市の病人の数の推移を説明する。ここ数年、季節ごとにだいたい似たような感じで発生していた病気が、今年はガクリとその数を減らしているのだ。そして、この急激な変化のきっかけとなったのが、銭湯だ。
「さて、銭湯がどうしてこんなにも大きく病人の数を減らしたのか。それを検証するために、魔法薬試験センターでは大規模な人体実験を行いました」
「じ、人体実験?」
「もちろん強制はしていませんよ。ちゃんと報酬を与えて、安全に配慮した実験を行っています。まぁ、元フィリップの配下なんですが。あぁ、フィリップは今は試験センター長という役職に就いてまして」
そうして、顎が外れそうになっているデライト司祭へ実験結果を説明する。
多量の瘴気が人体に入り込むと、体内魔力の流れにノイズが生まれ、魔力による病気への抵抗力が一時的に極端に下がってしまう。すると、病気の原因になる魔法毒、細かく言うとウィルスだったり細菌だったり色々とあるのだけれど、そういったものがこの魔力抵抗力が下がったタイミングで体内に一気に広がり、体調を悪化させるのだ。
そのため、たとえ瘴気を多量に吸ってしまったとしても、衛生にさえ気をつけて過ごしていれば重篤な病気にはなる可能性は下げることができる。
「――ということが、資料からお分かりいただけるかと思います」
「なるほど……これは事実ですか?」
「実験結果は事実です。そこから立てた推論も、そう間違ってはいないかと思いますよ。ひとまず、これで衛生の大切さはご納得いただけたかと思いますし、東神教の私に助言を仰げという神託もご理解いただけたかと思います」
私がそう言うと、デライト司祭はふぅと息を吐いて、資料を行ったり来たりしながら見返していく。
「私からお出しできる情報は、ここまででしょうか。神託ということにして、銭湯を作りまくるもよし。教義に織り込んで、銭湯の普及を進めるもよし――ただ、あまり時間はありませんよね」
「はい。遅くとも二ヶ月以内には、瘴気風が発生すると予測されますので」
「だとしたら、もう一捻り……何か強いインパクトを持って、一気に普及を進めるべきでしょうか。そうですね……」
そうして私が顎に手をおいて悩んでいると、斜め後ろにいたアーサーが声を上げる。
「ナターシャ。もしかすると、東神教はあの役割を果たしてくれるんじゃないかな」
「あの役割?」
「……世界を横断して、人々が健康でいられるよう医療を統括する国際機関。貴族にそれを期待するのは無謀だって話をしてたけど、東神教からのアプローチだったら可能性はあるんじゃないかな」
なるほど、それは確かに良いかもしれない。
東神教は世界のかなり広範囲に信者を抱えて、土着の信仰を侵食していっている。国教に指定されている国も少なくないからね。ガイラルディア帝国においても無視できない大勢力だから。
「そうだね。大きな方針として、東神教に協力してもらうのいいと思う。ただ私としては、東神教はあくまで協力団体に留めて、医療組織としては別に立ち上げるのが良いと思うんだよね」
「それはどうして?」
「東神教はどこまでいっても宗教団体だから。今後の研究によっては、科学的な知見と、東神教の教義がぶつかり合うこともあると思う。組織を分けて存在させておいた方が、そういった矛盾は吸収しやすくなるはずだから」
私がそう話をしていると、デライト司祭の顔がだんだんと赤く染まっていく。
「貴様、東神教を馬鹿にしているのか!」
「馬鹿にしてないよ。貴方たちは大勢の人の心を救っている。それでも、大勢の人の健康を守るためには、その教義に反することが必要になる可能性がある。そう述べているだけだよ」
「それが馬鹿にしていると言うのだ!」
デライト司祭は、私のガタンと椅子を倒しながら立ち上がる。まぁ、仕方ない。私の大切にするものと、彼の大切にするものが、根っこの部分で決定的に異なっていた……これはただ、それだけの話なのだ。
「分かったよ。じゃあもう好きにすればいい。貴方のこの場での一時的な憤怒で、世界中の人の命を危険に晒すというのが、東神教の総意なんだよね。それなら、私ができることはないよ。帰ってもらえるかな」
「そ、それ、そんなこと」
顔色を変えながらパクパクと口を開け閉めしてるけど。うーん、さすがにもういいでしょ。枢機卿に手紙を出して担当者を変えてもらおう。彼に任せると、せっかく用意した資料だってちゃんと東神教のもとまで届けてくれるか分からないからね。この様子では、いまいち信頼できないし。
「ブルー。入ってきて。デライト司祭がお帰りみたいだから、ピューレシア市の外まで丁重にお連れして」
「はっ。かしこまりました」
「な、何をする……な……世界の危機が……ちょ……」
そうして、デライト司祭の声が遠くなっていく。
あぁ、ブルーの研究所への出入り禁止は、先日解除されたからね。みんなまだ警戒しているし、立入禁止エリアなんかも作っているけれど、今のところ問題を起こしてはいないみたいだった。彼女も成長してるんだよ。
「よし。それじゃあ、アーサー。手伝って」
「分かった。国際機関の素案だよね」
「うん。世界各地の権力者と渡りをつけて、人類の健康に対する重要な提言を行うような組織を作りたい。直近の瘴気風対策は東神教を盛大に巻き込むつもりだけど、あくまで別組織として運営して、意思決定は信仰ではなくて科学的知見を元におこなうような組織にしたいんだよ。そのためにも、最初の方針が肝心だと思うんだ」
この世界では、ちゃんとした科学的思考というのが確立されていない。そういった面も含めて、ちゃんと思った通りの組織にしていくためには。
「――私が運営するしかないんだろうなぁ」
まぁ、やるしかないか。
私自身が実現したいビジョンを持っているのに、それを他の誰かに任せることはできない。どうせ口を出すことになるくらいなら、最初から自分で動くのがいい。アーサーを巻き込んでしまうのは申し訳ないけど……うん。ここまで来たら、やるしかないよね。
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