19 騎士にとって耐え難い苦痛だ

「おい。ブルー・ゴルゴンゾーラ。頼むから変な邪魔はするなよ。そこで静かに呼吸だけしてろ」

「はい。分かっています」

「信用ならねえなぁ……本当に頼むぜ」


 ナターシャ様たちがベッドに寝転ぶ簡易天幕の中。魔法薬師にそう言われ、私は地面に腰を下ろす。

 まぁ、私の過去のやらかしを考えれば、こういった扱いをされるのも仕方ないだろう。魔法薬研究所も未だに出入り禁止になっているし、良かれと思ってやったことが裏目に出るのはいつものことだ。


 目を閉じて、心を落ち着ける。


 脳裏に浮かぶのは、魔物、魔物、魔物。

 私の目の前で魔物に捕食された父が、守れなかった母と妹が、いつでも暗い瞳で私に手を伸ばしてくる。守ると誓ったアリーシャ様を死なせて。そうして何も守れなかったくせに、今ではナターシャ様の専属護衛などという分不相応な役職を得て。なんて恥知らずな女だろう。


 分かっている。誰も私を認めてくれないのは、当たり前のことなのだ。だって、私のことを認めていないのは、他でもない私自身なのだから。


  ◇   ◇   ◇


 私の生まれ育った村落はピューレシア市からすぐ近くにあって、ライラック辺境伯家で騎士をしている父は通いで仕事をしていた。


 私は幼い頃から父のようになりたくて、自分なりに一生懸命に木の棒を振り回していたんだけど、十歳になる頃に母に止められてしまった。


「ブルー。貴女もいつかは嫁に行くのよ。いい加減、子どもの遊びから卒業しなさい」


 そう言われ、不満に思ったことを覚えている。

 世の中には女騎士と呼ばれる人たちがいて、彼女らは貴族婦女の身辺警護などで活躍していると聞いていた。私だって生まれ持った魔力は一般人より強いし、そういった生き方をする可能性だってある――と思っていたのだ。


 だが、父から言われたのは無情な宣告だった。


「ブルーは村長のところのシヴォルに嫁ぐ」

「え……待って、そんなの」

「次期村長夫人。既に決まったことだ」


 シヴォルは私と同い年の男の子だけれど、彼と結婚するなど考えられない。だって彼は、チェイリーという女の子といつも一緒にいて、将来を誓い合っているのだと知っていたから。

 チェイリーの家は貧しい小作農家で、村長一家とも折り合いが悪いとは聞いていた。だけど、大人の勝手で想い合う二人を引き離すのは……しかも、そのための手駒のように私が嫁入りさせられるのは、嫌だ。私はそう思ったのだ。


 だから私は、それ以降もひたすら木剣を振り続けた。母の静止を無視して、妹の面倒を見ることもなく、ただがむしゃらに強くなろうとしていたのだ。こうやって意地を張ることこそが、私にできる大人との真剣勝負なのだと考えて。


 十二歳のある日、ふと瘴気の気配を感じた。

 だが、それはありえない。


 基本的に村長というのは、貴族ほどの魔力量がなくても、結界魔法を扱うことができる者から選ぶ。結界魔法を補助する魔道具があれば、村落の範囲くらいであれば問題ない。結界を張り、瘴気や魔物の侵入を防ぐというのが村長の役目だ。

 それに、仮に村長の身に何かがあったとしても、結界魔道具が停止するまでにはタイムラグがあるし。後継者のシヴォルがいるのであれば、結界を維持するのは問題ないはずなのだ。だから、村に瘴気が入り込むというのはありえない……そんな風に、私は自分の感覚を「気のせい」だと片付けてしまった。


 それからしばらくして。

 ずいぶんと焦った顔の父が、私のもとに現れた。


「剣を取れ。魔物が村を襲っている」

「え、そんな。結界は?」

「シヴォルが村長を殺害し、女と逃げた。結界魔道具も持ち去られていてな。今この村に結界魔法を扱えるものはおらん。とにかく戦えるもので村の衆を守らなければならんのだ。行くぞ」


 それからすぐに、村の近くにある瘴気溜まりの森から多数の魔物が押し寄せてきた。私の目の前で父が魔物に喰われ、私は半狂乱になりながら、その魔物を斬り殺した。そうして家に帰ると、母も妹も物言わぬ肉塊に成り果てていた。


 そこからの記憶はひどく曖昧だが。魔物の返り血に塗れながらどうにか生き残った私は、どうやらライラック辺境伯騎士団に引き取られることになったらしい。


――そして私は、一人の女性と出会う。


「はじめまして。私はアリーシャ・ライラック。貴女は私よりけっこう年下だけど、すごく強いって話を聞いたよ。これからよろしくね」


 アリーシャ様は、ふにゃりと気の抜けた顔で笑う人だった。

 騎士見習いとなった私の仕事は、アリーシャ様の身辺警護となった。皮肉にも、かつての夢が叶ったような形だ。心が沈む。しかし、家族を失い、生まれ育った村落を失った私には、そうやって生きていく他に選択肢はなかったのだ。


「ブルーは優秀な護衛だねぇ」

「勿体ないお言葉です」

「例えるならそう、暴風を難なく耐える一本の木。雨や風がどんなに強く吹きつけても、まっすぐに立っていられる子だね。すごくカッコいいと思う」


 いつだって考えの足りない私のことを、そんな風に褒めてくれるのは、アリーシャ様だけだった。


「いかにも女騎士って感じで、凛々しくていいなぁ。私は魔力だけは貴族並みだけど、どうしても荒事とかは向いていないんだよね。情けないことに」

「私は……そんな……」

「私の隣では、堂々と胸を張っててよ。ブルーは何も悪いことはしていないんだから。村のことも話に聞いてるよ。置かれた状況で、最善を尽くしたじゃない。だから……落ち込むのは分かるけど、もう自分を責めないでいいんだよ」


 アリーシャ様は、私の太陽だった。

 私はアリーシャ様をお守りするため、剣の鍛錬をさらに積んで、大人の男性騎士すら打ち負かすほどに成長していた。だが、それがいけなかったのだろう……そのうち隣国との戦争が始まると、私は戦場に連れて行かれることになってしまった。


 戦場でそれなりの活躍をし、ライラック辺境領に帰ってくると……アリーシャ様は、私のいないうちに命を落としていた。妹のナターシャ様のことはずっと知っていたが、実際に言葉を交わしたのはこの時が初めてだった。


「――姉さんのような優しい人たちが、命を落とすことのない世界を作りたいの。ねぇ、ブルー。私を守ってくれる?」


 そんな風にして、私はナターシャ様の専属護衛の任に就いたのである。


  ◇   ◇   ◇


 しかし、私はどうにも失敗ばかりだ。

 研究所に魔物が入り込んだと勘違いして、生育している魔物を殺して出入り禁止になったり。帝都では、皇太子の護衛と延々とにらみ合いをすることになったり。まぁ、それでナターシャ様を守れた時もあったけれど、どうも私は立ち回りが下手で、いつも迷惑ばかりかけてしまう。


「あぁ。アーサー様に懐かしい感情を覚えたが……彼はアリーシャ様に似ているのか」


 柔らかい雰囲気で、みんなの懐にスッと入って。

 こんなにダメな私のことも、いっぱい褒めてくれて。だから私は、警戒心が一瞬で消え去ってしまったんだろう。アーサー様とナターシャ様が微笑み合っている様子を見ていると……まるで、アリーシャ様が蘇ったような、そんな気持ちになるから。


 顔を上げれば、横たわる三人の姿が目に入る。

 ナターシャ様、アーサー様、そしてフィリップ元皇太子。三人はその身に魔法毒を取り込んで、無効化している。その血液から魔法薬師が魔力血清を抽出して、治療担当の者へと手渡す。あぁ、主君が命をかけているというのに、騎士の私はなんて無力なんだろう。


『落ち込むのは分かるけど、自分を責めないで』


 アリーシャ様の言葉が、都合よく脳裏に響く。

 でも、そうだな。今は自分自身に対する失望も無力感も、心の隅に置いておくだけにしよう。いずれにしろ、私は私にできる方法で、ナターシャ様をお守りするしかないのだから。


 それは、突然のことだった。

 外からのしのしと慌ただしい足音が聞こえてくる。三人の採血をしている簡易天幕に入ってきたのは、比較的軽症だった騎士だ。


「貴様ら、何をしている! 皇太子殿下の体に魔法毒を入れるとは、なんたる不敬な――」


 私は間髪入れずその騎士を殴り、腕を極めて地面に押さえつけた。


「ぎ……貴様ぁ、何を」

「自分だけだと思うなっ!」

「な……」


 私は全力で彼を押さえつけたまま、ただ感情のままに吠える。

 私はナターシャ様のように賢くない。マルゲリータのように口も回らない。だから、こうやって思いの丈を吠えることしか出来ないのだ。


「私だって、ナターシャ様やアーサー様が苦しむお姿など見たくないっ! 今すぐにだって、こんなことやめさせて、いつものように仲睦まじいお二人を遠くから見守っていたい! 代われるものなら代わってさしあげたい! その気持ちは、貴殿と同じだァ!」

「ぐっ……お、折れ……腕……」

「だがなぁ! 主君が決死の思いで腹を括っているのだ。それを守るのが騎士としての役目ではないのか! 貴殿の主であるフィリップ殿は、貴殿ら配下の命を救うためにああして自らの身を魔法薬師に預けているのだぞ!」


 そうして私がギチギチと拘束を強めると、騎士は腹の底から絞り出すような声を出した。気持ちは分かるよ。主君の危機というのは、騎士にとって耐え難い苦痛だから。叫びたいだろう。暴れ出したくもなるだろう。


「――主君が命がけで仕事をしている。騎士ならば、邪魔をする他にやることがあるだろう」


 私がそう言うと、彼は「分かった、分かった」と苦しそうに言うので、拘束を解いてやった。一応警戒はしていたが、どうやらそれ以上暴れるつもりはないらしい。さすがは帝都のエリート騎士、切り替えが早い。


「わ……悪かった。俺は何をすればいい」

「私には分からんから、クレマンという老魔法薬師にでも聞くがいい。力仕事でもなんでも、役に立てることはあるだろう」

「……うむ。そうしよう」


 そうして騎士が出ていったので、私も部屋の隅に再び腰を下ろした。


 目を閉じて、心を落ち着ける。

 私はやはり、頭を動かすのが苦手だ。だから今は、ナターシャ様とアーサー様をお守りすることだけを考えて、私なりにここで踏ん張ろうと思っている。何人たりとも、二人の邪魔はさせない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る