09 調子を狂わされてばかりだ

 冒険者浴場のスタッフを探すのは、それほど大変ではなかった。

 というのも、冒険者って他に仕事がなくて仕方なくやってる人が大半だからね。それぞれの来歴や素行なんかで篩にかければ、事務員、掃除夫、散髪要員なんかもあっという間に揃えることができた。


 怪我をして冒険者を引退した強面の男が、立ち並ぶ現役冒険者たちを誘導する。


「おら、一列に並べ。割り込むんじゃねえ。散髪が終わった奴から、あっちで髭剃り、その後は爪切りだ。洗浄魔道具で体を綺麗にして、それから湯に入れ。変な騒ぎを起こして、姫様のご厚意を無碍にするなよ」


 ひとまず最初の散髪は無料にしたけど、さすがに全ての冒険者を一斉に対応するのは無理だから、一週間ほどに分散させて対応することになった。

 その後は、毎日風呂に入っていればスタンプが溜まり、だいたい一ヶ月ごとに散髪サービスを受けることができる。浴場の疲労回復効果もあって、今のところ冒険者たちはほぼ毎日風呂に入りに来てくるようになっていた。なかなかの盛況っぷりだ。


 そんな様子を遠目に眺めていると、アーサーが私に笑いかける。


「市民の間でもずいぶん噂になってるみたいだよ」

「そうなの?」

「うん。不潔だった冒険者たちが急に身なりが良くなったから、みんな驚いてるみたいだ」


 それは確かに、みんなそう思うかもしれない。

 風呂屋には装備用の洗浄魔道具を誰でも使えるように設置してある。だから、入るときと出る時とでは汚れも臭いもまるで別人になってるんだよね。疲労も抜けて、心なしか冒険者たちの言動も柔らかくなったようだし。


「僕が聞いた話だと、いくつかの業種から風呂屋を作ってくれって声が上がっているみたいだ。領兵、娼婦、鍛冶師、陶工……」

「そのあたりはお父様に任せるけど」

「そうだね。ただ、風呂屋が増えていくと……たぶん石鹸の需要も増えるんじゃないかと思って」


 あー、なるほど。

 冒険者たちが体を洗う際は洗浄魔道具を使っているけど、一般向けの風呂屋を作る際は石鹸で体を洗いたいって人も出てくるだろうね。だとすると。


「香り付き石鹸の増産……専用の工房を作ろうかな」

「まだ需要があるかどうか分からないけど」

「ううん、違うよ。需要は有無で語るものじゃなくて、どうやって作るかを考えるものだよ。貴族向けの高級石鹸の他に、市民向けの廉価版の石鹸を作るの。品質を保ちながら、安価な原材料を選んで、内容量を減らして、数を多く作る――と同時に、思わず買いたくなるような付加価値を付けられるとベストなんだけど」


 東神教における「桜の香り」のようなものだ。

 あれは教義と相まって現物以上の価値が付与されているけど、何か似たような価値を作れないかなぁと思うんだよね。そうだなぁ、今すぐには思いつかないけど。


 そうして色々と考えていると、アーサーがポツリと呟く。


「衛生についての考え方がちゃんと広まらないと、薬だけ作っていても病気は無くせないかもね」

「それは……そうかもね。清潔にするだけでこれだけ病気を減らせるなら、新薬よりもよほど大きな効果があると思うよ。でも……人の考え方や生き方を変えるのって、すごく難しいことだと思う」


 みんなの生活を強制的に上書きしようなんて、それこそ初代聖女様であろうと出来ないだろう。


「だけどナターシャは、冒険者を風呂に入れることに成功した。この都市の人たちには、だんだんと風呂文化が浸透していくと思う。こういう一手を打てるのが、君のすごいところだと思うよ」


 急に褒められても困るんだけどなぁ。どちらかというと今回の件は、風呂の健康効果をしっかりと証明したアーサーの活躍が大部分だったと思うし。

 そうして、私たちは色々と話をしながら魔法薬研究所に帰っていった。


  ◇   ◇   ◇


 研究所に帰る頃には、もうすっかり日は沈んでいた。私は所長としての仕事を色々と済ませてから、自分の研究を始める。


 私が作りたいのは「万能治癒薬」というもので、魔法毒の効果を打ち消しながら傷を癒やす傷薬だ。そういう薬があれば、きっと姉さんは命を落とさずに済んだだろうから。

 一応、効果としては理想に近い薬が出来上がっているんだけどね。でも私の目指しているのは、傷を負った時に「誰でも」「気軽に」この薬を使えることだから。


「今のままだと材料が高価すぎるんだよね」


 はぁ、とため息をつく。そもそも、このような高価な薬を購入するくらいなら、毒の種類を診断して適切な魔法薬を投与し、しっかり治した後に傷薬を使った方が安上がりだし確実だ。

 だけど、魔法毒に対する警戒を怠って、何の気無しに傷口を塞いでしまい、亡くなる人というのは後を絶たない。私の理想としては、誰もが気軽に持ち歩けて、なんの気なしに使ってもらえる魔法薬……なんだけど。


「素材がレア過ぎて量も作れないし、値段も高すぎてそもそも買い手がつかない。有効期限も短いし……普及させるには微妙なんだよねぇ」


 同等の効果を持たせつつ、より安価に製造できる代替素材なんかも探してるんだけど。正直、見通しは明るくない。

 研究所のみんなは優しいから口にはしないけど、心の中で「安価な万能薬を作るなんて無理だ」と思っていることだろう。容易に想像できる。私だって客観的には、別のことにリソースを割いたほうが良いというのは理解しているのだ。それでも研究を続けているのは……単純に、私の意地でしかない。


 せめて、月光草の代替が見つかればいいのに。

 満月の夜、森の奥の瘴気の濃い場所でしか咲かない花は、この薬の肝であり、一握りの冒険者しか採取してこられない高価な魔法薬素材である。


 そうして試作魔法薬の調合をしていると、部屋の入り口に人の気配がする。


「……アーサー?」

「もう夜も遅いのに、研究室の窓が明るかったから心配になって。根を詰めすぎてない?」

「うん……自覚はしてる。でも」


――何もしていないと、落ち着かないのだ。


 いつだって脳裏に浮かぶのは、あの日の冷え固まった姉さんの顔だった。私のために、瘴気の濃い森へ出かけていって、命を落とした。薬さえあれば、姉さんがあんな目に遭うことはなかったのに。薬さえあれば。


「分かったよ、ナターシャ。僕がお茶を淹れるよ。ハーブティーでいいかな」

「止めないの?」

「止まらないのが分かりきってるのに?」


 そう言って、アーサーは魔道具のケトルで湯を沸かし始める。


「でも、ほどほどのところで切り上げないとね。睡眠不足は思考を鈍らせる。長い目で見れば、体調を万全に整えながら無理せず研究を続けたほうが、望んだ成果は出るんじゃないかと思うよ」

「ズルい言い方。はぁ……分かったよ。そのお茶を飲んだら今日はもう休むことにする」

「それは良かった。これでも僕は君の夫になるんだからね。妻には長生きしてもらわないと困る」


 可愛い顔をして、こういうことをサラッと言ってくるんだから。

 そうして、私はアーサーと一緒にハーブティーを飲んで、気持ちを切り替えた。うん。失敗ばかりで少し落ち込んでたけど、焦ったって良い結果が出るわけじゃないからね。もう少し落ち着いてやっていかないとなぁ。


――どうもアーサーには、調子を狂わされてばかりだ。

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