07 これまでいっぱい心配をかけたんだろうな
世界の仕組みが違っても、使える知識はある。
例えば、数字の学問については全般的に流用できる。というか、数字そのものも昔の異世界召喚者が持ち込んだアラビア数字がこの世界でも普及しているから、アーサーも特に困ることなく受け入れられている。
「アーサーの世界は面白いなぁ。その科学ってやつはこっちでも通用すると思うよ」
「といっても、魔力があるから色々と物理法則が違うような気がしてるけど」
「あぁ、もちろん物理法則そのものは魔力も踏まえて考え直す必要があると思うけどね」
錬金術の中でも特に魔法薬学の分野なんて、アーサーの知識がそのまま流用できることは少なそうだった。そもそも魔法のない世界の薬学だからね。
「でも、科学の思考プロセスはすごく洗練されてると思うんだよ。物事を観察して、仮説を立てて、立証して、普遍的な概念を定義しながら論理的に物事を説明しようとする――すごく良いアプローチだと思う」
「錬金術も似たような感じじゃない?」
「近いことはしてるけど、アーサーの世界ほど徹底してないんだよね。特に、昔の偉い人が言ったことは正しいっていう前提で物事が進んだりもするから」
上手くやらないと、宗教家なんかも小うるさい口を挟んでくるし、政治にも左右される。論理的に正しいことを「正しい」と主張して許されるのは、アーサーの世界の人たちの思考の根底に「科学」が根付いているからだと思う。
「そうだなぁ。アーサーにはひとまず、うちの研究所のアドバイザーに就任してもらおうかなと思うんだ。色々な研究室を巡りながら、思いついたことを語ってくれるだけでいいから」
「別にいいけど……正直、そんな大したことは言えないと思うよ? たぶん」
「別に高尚なことを言おうとしなくていいよ。世界が違えば常識が違うわけだし、これまでにない視点から意見をもらえるのは、みんなにとって良い刺激になると思うんだよね」
そうして、私はアーサーを連れて研究所を案内し始めた。
◇ ◇ ◇
まずやってきたのは、ガルディスの所だ。
彼は美容関係の魔法薬を専門に研究していて、うちの稼ぎ頭と言ってもいい。彼の作る魔法薬は、特に貴族女性たちからの人気が高いのだ。今は「肌が十歳若返る美容液」の開発を頑張っている。
研究室につくと、ガルディスは非常に不機嫌そうな表情で私たちを迎え入れた。
「……貴方がアーサーね」
「ガルディスさんですね。よろしくお願いします」
「ふん。あのね、最初に言っておくけれど」
そうしてガルディスは、アーサーにぐっと顔を寄せる。
「あたしがナターシャちゃんの下について研究をしているのは、彼女の心意気に感動したからよ。優しい人たちが命を落とすことのない世界。それを一緒に実現したいの。だからあたしは、美容の分野を極め、この研究所の運営資金を稼ぐことにしたのよ」
「はい、僕もそう聞いてます」
「だからね。どこの馬の骨かも分からない男が、アドバイザーだなんて地位を与えられて、偉そうにあれこれ指示をするのに付き合ってやるつもりはないわけ」
そうして、ガルディスはアーサーに背を向ける。
まぁ、そうなるかぁ。
「えぇ、分かりました。僕も偉そうにアドバイスをするつもりはありません。逆に、ガルディスさんの研究内容を教えてもらいたいと思っているくらいで」
「ふん。あたしの研究に興味があるというの?」
「はい。実は僕は異世界から来たので、こちらの世界での美容関係の技術がどのようなものか興味深いと思ってるんですよ。あぁ、僕が召喚されてきたことは秘密でお願いしますね」
そんな風にして、アーサーはガルディスに色々と質問し始めた。
ガルディスは男らしいガッシリとした体格をしているけれど、心は乙女である。一方のアーサーは体はなよっとしているけれど心は男なので、そういった部分でも何か通じるものがあったようだ。
アーサーなら大丈夫だろうと特に心配していなかったけど、やっぱり私の思った通り、ガルディスはそう時間もかからずアーサーと仲良くなっていた。
「面白いなぁ……あっちの世界では、美容液、クリーム、乳液なんかは色々な種類があったんだよ。僕は専門じゃないから詳しくは分からないけど、日々のスキンケアには手間暇がかなりかかるらしくて。それに、魔法的な効果もなかったし」
「それが不思議よねぇ。魔法の存在しない世界にもスキンケア用品があるっていうのが意外だったわ」
「美を求める心に、魔法の有無は関係ないってことなんだろうなぁ。もちろん、魔法ほど劇的ではなくともしっかり効果はあったよ。驚くほど年齢が読めない女性なんかもたまに見かけたからね」
そうして、話の内容はチキュウ世界のスキンケアへと移っていく。
「肌の状態を最適に保つ……という意味だと、パックやマスクのような商品もあったなぁ」
「何それ。どういうもの?」
ガルディスはいつの間にか手にメモ用紙を持っていて、アーサーの言葉をしっかりと記録に残している。うんうん、きっとこうなると思ってたよ。
「アーサーちゃんのおかげで画期的な商品を開発できると思うわ。ふふふ……私はスキンケアが専門だけれど、化粧品や香水なんかを専門にしている者もいるの。私から話を通しておくわ」
「ありがとう、助かるよ。僕の知識でも、何か参考になることがあれば嬉しいからね」
「えぇ。それにしても、ちょっと安心したわ……ナターシャちゃんのこと、よろしく頼むわね」
そうして、ガルディスの研究室から出る。
アーサーの良いところは、誰とでもすぐ仲良くなれるところだなぁと思う。あんまり自覚していないみたいだけど、けっこう稀有な才能だと思うよ。
◇ ◇ ◇
「――なるほど。異世界の石鹸にはそんなに種類があるのか」
「うん。固形石鹸だけじゃなくて液状のものも多かったよ。顔を洗うもの、手を洗うもの、体を洗うもの、髪を洗うものなんかもそれぞれ商品が分かれていた。もちろん、洗濯用や皿洗い用の洗剤もあって……あぁ、こっちでは魔道具で済ませるんだっけ」
「いや、それは貴族家だけだな。庶民は洗濯や皿洗いにも石鹸を使っているが……なるほどな」
アーサーの言葉に唸っているのは、石鹸作りを専門にしているジョバンニだ。
彼には現在、東神教に売りつける桜の石鹸を作ってもらっているんだけど、アーサーとの会話はは彼に何かしらのインスピレーションを与えたらしい。
「アーサーの案はいいな。桜の匂いのする洗濯用石鹸を使えば、服に桜の匂いを付けることができる」
「洗髪用の液体石鹸なんかも良いんじゃないかな」
「うむ。いくつか試作して、東神教の枢機卿にサンプルを送ってみるとしよう。上手くやれば、相当な金を引っ張って来られるぞ。くくく……」
ジョバンニはすごく悪い顔で笑っている。
まぁ、彼はけっこうな悪人面をしてるけど、中身はものすごくまともな人間だからね。今はなんかこう、悪の組織の大幹部が悪巧みしてますっていう絵面になっちゃってるけど。
「桜以外の香り付き石鹸を、貴族向けに販売するのも良いかもしれないね」
「ふむ。異世界ではどのような香りがあった?」
「たくさんあったよ。桜みたいな樹木の香りもあったし、薔薇のような花の香り、柑橘類の香り、ハーブの香り、シナモンなんかのスパイスの香り……思い出せないだけで、他にも色々あったと思う」
アーサーの言葉を聞いて、ジョバンニの黒い笑みが深まる。
「なるほどな。俺はずいぶんと固定観念に囚われていたようだ。アーサーのおかげで道が開けそうだな」
「参考になったなら良かったよ」
「あぁ。ナターシャ様に男ができたと聞いた時はどうなるかと思ったが、お前なら安心だ。これからもナターシャ様をよろしく頼むぞ、アーサー」
そうして、私たちはジョバンニの研究室を後にする。
改めて話をすると、なんだかみんな私の保護者みたいな感じでアーサーに「頼むぞ」ってしてるんだよね。いや、今に始まったことではないんだけどさぁ。昔からみんなには各分野の錬金術を教わっていたから、まぁ先生みたいなものだし、これまでいっぱい心配をかけたんだろうなとは思うけど。
「なんかちょっと照れくさいよねぇ」
「ナターシャはみんなに大事にされてるんだね」
「それはありがたいことだけど」
なんかこう、むず痒い気持ちになるよね。
そんな風にして、私はその後もアーサーを様々な研究室へと連れ回した。いろいろあったけど、最終的にはだいたいみんなアーサーを認めてくれたと思う。とりあえず良かったな。
◇ ◇ ◇
フィリップ皇太子からの再度手紙が届いたのは、私とアーサーの婚約発表をしてから、一ヶ月ほどが過ぎた頃だった。
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