第3話 ボクがこの子と先約なんだよね
「え?」
声が、聞こえた。それと同時に……ふわっと、花の香りがした。
私の名前を呼ぶその声は、どこか懐かしくて……名前を呼ばれるだけで、心臓が激しく動き出す。
それだけじゃない。肩に回された腕の体温が……寄せられた顔の近さが……私の体を、熱くさせる。
「手ぇ振ってんのに、全然返してくれないじゃん」
「え……ぁ……」
「悪いけど、ボクがこの子と先約なんだよね」
すぐ顔を動かせば……そこには、うらやましいなんて気持ちも消えてしまうほどに整った顔があった。
顔が隣にあるせいで、声を出しただけでそれが耳をくすぐってくる。ちゃんとした女の子の……でも、当時より声が低くなっているせいかどこか男の子のようにも聞こえる声。
私の肩を組む、ハルキが……にやりと笑顔を浮かべて、そこにいた。
「……っ」
少しでも視線を動かすと、そこにはハルキの顔がある。顔が動かせない。
ハルキの存在を認識しただけで、トクン、と心臓が高鳴るのがわかる。
あぁ、近い。やだ、こんな顔近いなんて。
私、ちゃんと、顔洗ったよね。歯、磨いたよね。あぁ、息くさくないかな。ガム噛んでおけばよかった。
「えっと……
「ちゃんなんて、なんかくすぐったいな」
突然現れたハルキの存在に、チャラ男は一瞬目を見開いたけど……すぐに、にこやかな笑みを浮かべた。
そして、私たちのときと同じように、ハルキの本名を口にした。
このチャラ男、記憶力がいいのだろうか。とてもそうは見えないけど。
「えー、かわいい名前じゃん。ねえねえ、晴樹ちゃんも連絡先教えてよ」
さらに、チャラ男はハルキ相手に臆することもなく、ぐいぐいと迫る。
他の誰も、晴樹と楽しそうに会話はしていても連絡先を聞こうとまではしなかったのに。しかも、いきなり名前呼びだ。
周囲の人たちは、それを緊張した様子で見守っていた。
「ごめんねー、ボク携帯持ってなくてさ」
「え? いやいや、それはないっしょー。高校生の必需品でしょ」
「はは、悪いけど本当に」
ハルキはようやく私から少しだけ離れて、お手上げのポーズをした。
携帯を持っていない……それが本当なのかそれとも嘘なのか。確かめるすべはない。
でも、ハルキの堂々とした姿は、とても嘘をついているとは思えない。
「だから、連絡先の交換とかそういうんはなしで。それと、この子に用があるから借りてくよ」
「あ、ちょっ……」
肩をすくめたハルキは、その手で私の手を取る。また、心臓が跳ねた。
そのまま駆け出す。私は強制的に立ち上がらされて、足が動き出す。そして、教室の外へと引っ張り出される形になる。
ホームルームまで、もう少しなのに。
教室から出て……でも、入学したばかりで右も左もわかるはずもない。
だから、教室から出て曲がり角を曲がった先……階段の踊り場で、足を止める。
「はぁ、あっはは。いやあ、ああいうナンパホントにあるんだね」
「……」
足を止めたハルキは、笑っていた。でも、私の意識は、そこにはなくて。
私の手を繋いでいる、ハルキの手に向いていた。私より、大きくて、あたたかくて……
でも、柔らかくて。ちゃんと、女の子だとわかる手だ。
女の子、女の子だ。それがわかっているのに、どうして私の体はこんなにも熱いのか。
「な、ナンパ……だったの? さっきの」
なにかしゃべらないと。そう考えていた私の口からは、ようやく言葉が出たけど。
なんだそりゃ、と言いたくなるような内容だった。今言いたいのは、そんなことじゃないだろう。
もっと言いたいことが、聞きたいことがあるのに。
でもハルキは、変に思うこともなく「ああ」と笑っていた。
「いきなり女の子の連絡先を聞くなんて、それは間違いなくナンパだ。
ってばっちゃが言ってたからね」
そう言って笑うハルキの顔は……あの頃と、なにも変わらない。
成長してる、大きくなってるのに……歯を見せて笑う無邪気な笑顔は、あの頃のままだ。
そして、私と向かい合って……しっかりと私の目を見た。
そんなに見つめられると……
「なんか慌ただしくて……でも、ようやくちゃんと話せるや。
久しぶり、カレン」
「あ、う、うん……久しぶり、ハルキ……」
そのまっすぐな目を、直視できない。
でも、あからさまに目をそらす勇気もなくて……結果として、あちこちに目が動いてしまう。
あぁ、変な子だと思われてないだろうか。
「いやあ、さっきはびっくりしたよ。まさかカレンと再会できるなんて、思ってなかったから」
先ほどの出来事を思い出して、ハルキは笑う。
それは、私だって同じだ。まさか、高校に入学して真っ先にハルキと再会できるなんて、思っていなかった。そもそも、この町にいることすら驚きだ。
……入学式の前……クラス分けの掲示板の前に、新入生たちは集まっていた。私も、その一人だ。
自分のクラスを確認して、体育館に向かおうとしていたところ……見つけたのだ。
それはなんの確証もない。ただ、後ろ姿だけ。最後に会ったのは十年も前。
でも、わかった。"彼"が……いや、"彼"だと思っていた人物が、そこにいたことに。
『は、ハルキ……!?』
気付けば私は、その人物の手を取って、名前を呼んでいた。
もしこれが、全くの別人だったら……私は完全な不審者だ。入学前から不審者確定だ。
いや、知り合い相手でも、いきなり手を取るのはいいのかどうか微妙なラインだ。
そう考えたのは、手を取った後だ。でも、その心配はすぐに消えてしまった。
『……あれ、もしかしてカレン、か?』
だって、手を取った人物は……振り向いたのは、間違いなく私の求めていた人物だったから。
なんでこんなところにいるのだとか、私のことを覚えていたのだとか、そんな疑問は全部吹き飛んでいた。それほどに、ハルキとの再会は嬉しい事実だった。
……ただ、どうしても吹き飛ばせずこびりついた、予想外のことがあったのもまた事実なわけで。
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