第12話

「また派手にやったようだな」


 カフェで店主に言われて、エマは不満そうに眉を寄せた。店主が読んでいる新聞の一面に『技術庁の機能一時停止』などという見出しの記事が載っているのが、エマの視界に入った。


「なんで私だって決めつけるんだ」

「帝都に行っていたんだろう。あと家族が増えたようだな」

「……なんで知ってるんだよ」


 家での話などしたことはない。なのに、この店主はどこから情報を仕入れているのか何でも知っている。アイヴスという弟が増えたことも、レオンが直したフロイトが家事を請け負っていることも知っている。


「久しぶりに来たな! 勝負だコラァ!」


 そう言ってやってきたグリムが、エマの前にコーヒーカップを置いた。


「まだ注文してないけど」

「どうせそいつを頼むんだからいいだろ」


 グリムがふんぞり返る。エマがカップを持ち上げて口につける。一口飲む間、グリムはずっとエマを見つめていた。カップを置く。


「及第点」

「合格ってことだな!? ルークやったぞ!」

「おめでとうございます」


 ルークがカチャカチャと拍手をした。帝都に行く前と比べたら少しはマシになったとエマは思う。それまでに店主が何杯のコーヒーを飲まされたのかは知らないが。


「そういえば、廃棄所に壊れたオートマタがいるらしい」


 店主が突然そう言った。廃棄所とは、クリソプレイズの郊外にあるスクラップ置き場のことで、ようするにゴミ捨て場だった。


「廃棄所に壊れたオートマタがいるのは別におかしくないんじゃないの」

「それ見たのおれ」


 グリムが言う。


「ここの仕事の他に近所の工房のゴミ捨ての仕事を始めたんだけど、壊れたオートマタを見つけてよ。別におかしくはないんだが、どこか似てるんだよな」

「何に?」

「あんたに会う前のおれに」


 エマが目を細める。それはつまり、帝都で行われていた研究の試作品ということだ。どうして捨てられているのかはわからないが、確認する必要があるとエマは思う。

 コーヒーを飲み干してからカフェを出る。廃棄所は郊外にあるので、しばらく歩かなければならない。昼間に屋根の上を走り回るのは目立つからだ。

 一時間ほどかけて廃棄所にやってくる。そのオートマタはすぐに見つかった。廃棄物を背にして座り込み、歌を歌っていた。


「陽気なオートマタだな……」

「こんにちは! 良いお天気ですね!」


 エマに気付いたオートマタが元気よく言った。どうしてこんなところにいるのかはすぐに理解する。人肌に似せたコーティングは剥がれて鋼が見えており、片目と両膝より下がなかった。どうみてもスクラップ。誰かが拾って捨てたのだろう。


「随分ぼろぼろだな。どこで壊したんだ?」

「わかりません。記憶装置に欠陥があります。私の記憶は一日で消えるのです」

「元から?」

「恐らく故障です」


 そうしてオートマタはまた陽気に歌い出した。


「どうして歌を歌う? その歌はなんだ?」

「わかりません。歌うべきだと思うから歌っています。この歌も何かわかりません。記憶装置とは別のところに記録されています」


 エマは少し考えて、オートマタにもう一度声をかける。


「おまえを修理しようと思う。構わないな?」


 オートマタの右目がぎょっと開いた。


「修理にはお金がかかります! 私はお金がありません!」

「いいよ、実質無料だから」


 そう言って、エマはオートマタを担いだ。いくつか部位が欠損しているが、重さもグリムと近かった。足を戻せば恐らく同じくらいの背になるだろう。エマが担ぎ上げたオートマタは、また陽気に歌を歌う。


「おい、レオン!」


 怪我の療養でしばし休業中のレオンの工房に、エマがオートマタを連れて入る。工具の手入れをしていたレオンが思わず手にしていたスパナを落とした。


「え……? また知らないオートマタ拾って来たの?」

「うん」

「うん、じゃないんだけどなあ!」


 聞く耳を持たず、エマは作業台の上にオートマタを乗せた。ようやくオートマタは歌うのをやめる。


「こんにちは! 無料で修理してもらえると聞きました! ありがとうございます!」


 レオンがエマを睨みつけた。エマが目を逸らす。


「それにしても、欠損もともかく、ボディの劣化が激しいな」

「記憶が一日しか持たないんだって。中も見てやってくれ」

「しょうがねえな……フロイトに手伝わせるから呼んできてくれ」


 エマが工房から住居の方へと移動した。食器を洗っていたフロイトに声をかけ、本を読んでいたアイヴスと共に三人で工房へと戻って来る。レオンの指示でフロイトが作業に入る。すっかり助手だな、と思いながらエマとアイヴスは工房の片隅で作業を見守ることにした。フロイトがオートマタが無くした目と足を作っている間に、レオンはオートマタの電源を落として頭部を開けていた。記憶装置が劣化していたらしく、修理をするという。


「そこで見てても、今日明日じゃ直らないぞ」


 レオンが振り向かずにエマとアイヴスに言った。


「そう。じゃあ戻ろうかアイヴス」

「はーい」


 リビングに戻り、エマはコーヒーを淹れる。アイヴスは本を読むのを再開した。


「最近は何を読んでるんだ?」


 アイヴスは勉強――情報のインプットのために本を読んでいることが多い。今も分厚い本を読んでいた。レオンが帝都の方から取り寄せた本だ。


「哲学の本だよ」

「哲学?」

「人間とは何か、とか」


 エマがキッチンで振り返る。アイヴスは本に目を向けたままだった。


「……なんて書いてあるんだ?」

「火をつけることとお湯が沸くことに因果関係はない」


 お湯が沸くケトルに目を戻す。よくわからず、エマはアイヴスに目を戻した。


「『火をつけるからお湯が沸く』んじゃなくて、『火をつけるという出来事の後に、お湯が沸くという出来事が続く』ということだね」

「はあ……それが人間とは何かに繋がるのか?」

「九十九回お湯が沸いても、百回目にはお湯は沸かないかもしれないってこと」


 エマは眉を寄せた。やはりよくわからない。


「因果関係ってやつなんだけど、これは人間の『思い込み』であって、つまり『経験』に由来すると考えた。これは想像力に基づくもので、二つの出来事がつながって生じる恒常的連接だけが、因果関係を捉えるすべてである」

「ええと、アイヴス? つまり?」

「普通のオートマタは因果関係なんてわからないから、やっぱり機械なのかもしれないねって」


 やっと着地点が見えてきて、エマはほっと息を吐く。ケトルのお湯が沸いたので、コーヒーのドリップをする。


「この人は面白いね。人間は今までの経験が束になったような存在であって、そこに新しい経験が加わることで、束の形が変化していくって言ってる。人間は経験の集合体なんだって」

「なるほどな、ちょっとわかるかもしれない」

「別の人は、人は生まれた時点で『白紙』であって、そこに色々な経験が書きこまれることによって進化していくのだと主張している。同じことを言ってるね」


 うんうんと頷きながらエマはコーヒーを淹れ終わり、アイヴスの向かいの席に腰を下ろした。


「つまり人間とは、『経験』を積み重ね、『学習』し、『進化』していく生き物だと言えるのかもしれない」


 アイヴスはそう言った。


「なるほど」

「それってオートマタと何か違うところはあるのかな」


 エマが手を止める。アイヴスと目が合った。


「『情報』を『インプット』して『アップデート』していくことはオートマタにもできる。じゃあ、人間とオートマタの違いって何なんだろう」

「……」

「フィリップは……あっ、フィリップ殿下のことね。殿下はインプットされた『情報』が生前のフィリップのものだったから、きっと拒否したんだと思う。自分は死んだと認識をしていたからね。それってすごく人間らしい反応だよね」


 アイヴスは本を持ちあげて、天井に向けた。


「ぼくは別に人間になりたいわけじゃないけど、パパとママの成功作として、『人間らしさ』とは何かを考えていきたいと思うよ」

「……そうか」


 エマの声が少し沈んでいたことにアイヴスが気付き、本を元の位置に戻した。


「ぼくから見たら、そうやって自分の存在について悩むエマちゃんはすっごく人間らしいと思うけどな」

「……」


 エマが何に悩んでいるのかは、アイヴスにも気付かれている。エマは無言でコーヒーを飲んだ。


 翌々日。オートマタの修理が終わった。工房に向かうと、陽気に歌うオートマタが椅子に座っていた。


「おはようございます!」

「おはよう。調子はどうだ?」

「ばっちりです! 視界良好、足もあります! 最高!」


 そう言ってオートマタはまた歌を歌う。エマがレオンを見る。


「記憶装置も直したから、今後は経験したもの学習したものは全部残る」

「そうか、よかったな」


 オートマタに向かって言うと、オートマタはにっこりと笑った。


「さて、それでは私は行きます。ありがとうございました!」


 オートマタが急にそんなことを言い出して、エマたちは目を丸くした。


「待て待て、どこに行くんだ?」


 レオンが慌てて問う。


「どこへでも! 私は行かねばならないのです!」


 ぺこりと頭を下げて、オートマタは工房を出て行った。エマがため息をついて、その後を追った。


「自分のことは、何も覚えていないのです」


 エマと並んで歩きながらオートマタは言った。


「ただ、私は私が何者なのか知る必要はないと思っています」

「どうして?」


 エマが問う。


「自分で意味を見つける方がずっと楽しいからです」

「楽しい、か……おまえは楽しいことに強く感心を持っているんだな」

「おかしいですか?」

「いや、いいんじゃない?」


 エマが言うと、そうですか、とオートマタは笑みを浮かべた。


「私は自分が機械なのか人間なのか、よくわかりません。人間であれ、と作られたような気がします」


 オートマタが言う。そして、急に立ち止まった。


「でも、何が機械で、何が人間なのか、私には記録がありません。情報がありません。よかったら、何かアドバイスをくれませんか?」

「ええ……私がか?」


 困ったように眉を寄せ、エマはしばし考えた。オートマタはエマが答えるのをじっと待っていた。


「……おまえが機械なのか人間なのか、それを悩むこと自体が人間らしいことだとは、思う」

「はい」

「人間らしい機械っていうのは、存在してもいいみたいだし……おまえも人間らしい機械ってことでもいいんじゃないか、とも思う」

「はい」


 エマは頭を掻いた。アイヴスとの会話を思い出して、クラウスとの会話を思い出して、エマは言葉を続ける。


「機械か人間か、そんなの本当はどうでもよくて……おまえが、おまえ自身であること……いろんなことを経験して、おまえ個人であり続けること……その経験で今後何をしたいのか、それを考えながら歩んでいくことが、『生きる』ってことなのかもしれない……」


 わからないけど、とエマは小さく続ける。オートマタは嬉しそうに頷いた。


「なるほど、それはとても良い考えです。エマさんもそうやって生きているんですね」

「……」


 そうだ。機械の体でも、今のエマはその体で生きている。何を経験し、何を学び、何をしていくのか、それを考えながら生きている。機械か人間か、そんなの本当はどうでもよい。思わず呟いたその言葉が、自分の今の考えなのかもしれないとそう思った。


「ありがとうございました! とても参考になりました!」

「そう……それはよかった」


 エマは曖昧に笑う。オートマタは笑みを浮かべながら、少し腰を折ってエマに視線を合わせた。


「最後に一つだけ」

「まだあるのか?」

「あなたは言いました。私は私個人である必要がある。――なので、名前をつけてくれませんか?」

「名前?」

「型番と実験番号はありますが、もう覚えていません。私には個人を識別する名前がないのです」


 なるほど、と思う。確かに、個人であれと言ったのは自分だし、名前がないのも不便だろうとエマは思う。


「名前か……難題だな……」


 考える。カフェの店主であればいろんな知識があるから、こういう時に良い名前が出て来ると思うのだが。


「じゃあ……リヒト」


 そう言うと同時、オートマタが急に両手を挙げて跳び上がった。


「な、なんだ!?」

「リヒト! 今日から私はリヒトです! やったー! 皆さん聞いてください! 私はリヒトです!」


 リヒトは名前を気に入ったようだった。散々街中で大喜びしたのち、リヒトはまた真っ直ぐに立つ。


「では、私は行きます。エマさん、お元気で」

「ああ、おまえもな」

「リヒトです!」

「……リヒトもな」

「はい!」


 リヒトはにっこりと笑顔を見せて、そうしてエマに大きく手を振りながら大通りを歩いて行った。エマはその場で、リヒトの背が見えなくなるまで見送った。

 エマが工房に戻る。レオンが鼻歌を歌いながら片づけをしていた。聞き覚えのあるメロディだった。リヒトが歌っていた歌だ。その時、エマは唐突に記憶がよみがえる感覚があった。


「それ……小さい頃に私やおまえが歌ってた歌か」

「そうだっけ?」


 レオンが言う。そうして何も気にしていない様子で、レオンは片付けを続ける。

 小さい頃の記憶がある。人間だった頃の記憶を思い出す。なんだか、自分が『人間』であってもいいと言われているようで、エマは顔をくしゃりと歪めた。

 人間とは、『経験』を積み重ね、『学習』し、『進化』していく生き物だ、とアイヴスは言った。それはオートマタと何が違うのだろうと。自分は人間なのか、機械なのか。本当はそんなことどうでもよくて。エマは、小さい頃から連続した『自分自身』であることの証明が欲しかったのかもしれないと思った。それこそ、幼い頃の『経験』の積み重ねで自分ができているのだと、本当はどこかでそう信じたかったのかもしれない。


「レオン」

「なんだ?」

「ただいま」


 レオンが手を止めて振り返る。エマの表情を見て驚いた顔をしてから、レオンも優しく微笑んだ。


「おかえり、エマ」

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メカニック・トロイメライ 羽山涼 @hyma3ryo

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