第4話
クリソプレイズに日常が戻って数日。エマは職人街から離れた路地を歩いていた。人がすれ違うこともできない程の細い道は、自由に街を拡張していった名残だ。路地に這うパイプからは熱い蒸気が漏れて、視界を覆う。そんな蒸気の壁を通り過ぎた先に、エマの行きつけのカフェがある。
ドアを開けても何も鳴らない。カウンターの向こうで新聞を読んでいる店主がちらりとエマを見て、視線を新聞に戻した。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
オートマタが注文を取りにやってくる。小型のキャタピラを足代わりにし、鋼の体の中に小さな記憶装置しかない、典型的な旧式オートマタだ。
「いつもの」
「エマさんのいつものオーダー。ブレンドコーヒーにミルクのみ。承りました」
オートマタは会釈して立ち去った。カウンターの椅子を引いて、勝手に座る。店主はそれでもエマに目を向けなかった。
「聞いたぞ。技師の誘拐事件を解決したと」
店主が目を向けないままそう言った。エマが肩を竦める。
「相変わらずの情報通だな」
「おまえさんがやることが派手なだけだ」
この店主も元々は技師だったが、技師よりもカフェを営む方が向いていると言って突如引退し、工房を売り払い、この誰も来ない辺鄙な場所でカフェを経営するようになったと聞いた。趣味とはいえ、売上はほぼないと言っていい。エマは自分以外の客が来ているのを見たことがないし、レオンにこの場所を教えたこともない。三年前にこのカフェを見つけた時も閑古鳥が鳴いていたが、それは今も変わらない。
「ブレンドコーヒーにミルクのみ。お待たせしました」
「ああ、ありがとう」
オートマタがコーヒーを持ってきたので、エマは受け取る。オートマタは会釈して下がった。
「帝都で十年前からある研究が行われているらしいが、知ってるか?」
エマがコーヒーを一口飲んで問う。
「研究?」
「アンソメクス計画だとさ」
店主の眼鏡の奥の瞳がようやくエマに向いた。
「アンソメクス……アントロポスとメカニクスの造語か? なるほど、人造人間計画」
「知ってるんだろ」
エマが確信をもって問う。店主はまた視線を逸らし、新聞のページをめくった。
「女王陛下からの命だ。『技師よ、人間を作れ』と」
「なんでそんな命を?」
「おまえさん、両親から何も聞いてないのか」
エマがむっとする。両親が何をしに帝都に行ったのか聞いていないことも、両親が帝都に行ってから連絡一つ寄越していないことをこの男は知っている。
「詳しいことは伏せられているが、その計画であちこちの技師が帝都に呼び寄せられているのは確かだ。隣国も多少は警戒しているようだが」
「今回の技師誘拐事件の主犯が、その試作品のオートマタを連れていた。その辺のオートマタより人間らしくはあったと思う」
店主が再びエマを見る。
「足りなかったのは?」
店主が問う。エマが目を伏せる。
「……なんだろうな。死にたくない、と言うのは人間らしかったと思うけど」
「じゃあ私が教えてやることは何もない」
店主が新聞に視線を戻す。エマは不満そうに顔を顰めた。
「……その試作品だがな、国内のあちこちに流れている」
カップを持ち上げたエマの手が止まる。店主は目を向けない。
「近隣の街で暴走オートマタが人々を困らせているらしい。移動しているようだから、今日にでもクリソプレイズに来るだろう」
「暴走オートマタ? そんなのいつものことだろ……そいつがその試作品だって確証あるのか?」
店主が新聞をめくる。
「なんでも、『死にたくない』と口走っているらしい」
「……」
それは、つい先日聞いたばかりの言葉だ。その情報が確かなら、その暴走オートマタも試作品の可能性はある。そして、この店主が誤情報を口にすることはないとエマは知っている。
「ありがとよ。その暴走オートマタと会ってみる」
コーヒーを飲み干すと、エマは小銭をカウンターに置いて立ち上がった。ありがとうございました、とオートマタが会釈した。
その夜のこと。エマはいつものようにガスマスクと煤けた外套を身につけて、屋根から屋根へと跳び回っていた。ガス灯が道路を照らしているが、それは街の中だけの話だ。郊外に行くにつれてガス灯は数を減らし、暗闇になる。その代わり、街の中心部よりはスモッグが薄く、月の明るさで視野はほぼ同程度だ。
「……あれか」
エマが呟く。郊外から街の中へと近付いてくる音があった。暴走オートマタと思しき機械は、周囲を破壊しながら移動しているらしい。金属音が響く。あまり街中に入れるのも憚られる。エマは屋根を蹴って、破壊音の前に立った。
「止まれ」
破壊音が止まった。土煙が晴れていくと、男の姿をしたオートマタがそこに立っていた。レオンと然程変わらない身長に、ざんばらな黒髪。肌もコーティングされている。『人間』の試作品。確かにそうだと思った。
「……止まれ、と言ったのはおまえか」
低い声でオートマタが問う。
「そうだが、聞こえなかったのか?」
エマが答える。オートマタが一歩足を踏み出した。
「止まれと、おれに、命令をするのか。命令を――命令を!!」
赤い目がエマを真っ直ぐに捉える。
「おおおおおォォォオオオ!! 命令! そうだ、おれは人間に作られた! だが! 人間の命令なんぞで動くのは御免だと! おれは! アアアアアアァァァアア!!」
関節から蒸気が噴き出した。爆発的な加速でエマとの間合いを詰めたオートマタは、エマの顔面に向かって拳を振り下ろした。エマが両腕で防ぐ。ガキンと大きな金属音が鳴った。互いに距離を取る。オートマタが怪訝な顔をしていた。
「おまえ、人間じゃないのか。オートマタか?」
「サイボーグってやつだよ」
「サイボーグ? ……ああ、半分人間で半分機械」
オートマタはいったん攻撃をやめたらしく、腕を下ろした。噴き出していた蒸気は量を減らした。
「じゃあ、教えてくれよ機械のセンパイ。――おれは、何だ?」
エマがマスクの下で眉を寄せた。
「オートマタだろ。おまえも機械だよ」
「わかってんだよ、そんなことはよォ!!」
叫びと共に蒸気が勢いよく噴出した。オートマタは自分の胸に手を当てる。
「じゃあ、なんだこれは!? この、機械には存在しないはずの回路は!?」
「機械に存在しない回路……?」
エマが怪訝な声をあげる。
「そうだ! こいつが未完成のせいで、おれは失敗作だと言われた! この世に勝手に生み出しておきながら、おまえはいらないと言われた! そんな身勝手な話があるか!?」
「それで、スクラップになる前に逃げ出したのか」
「だって、そうだろ!? この回路のせいで、おれは死にたくないんだ! 機械のくせに『死ぬ』ってなんだ!? ふざけてるぜこの回路!!」
「……」
「おれは人間になれと言われて作られた! なのに人間じゃないと言われた! じゃあおれは何なんだ!? 機械なのか!? 人間なのか!? どちらでもないのか!?」
このオートマタは困惑しているのだと、エマは思った。その困惑が、怒りに繋がっている。自分を作って捨てた、理不尽な人間への怒りだ。『死』への恐怖は以前出会った試作品であるレプレも持っていた。それはこのオートマタも同じだ。まず『生』を定義し、そして『死』を定義している。そこまでしか、うまくいかなかったのだろう。結局制御することができず捨てる結果になったが、オートマタは『死』に恐怖して逃げ出した。
「……機械なのか、人間なのか、と。そう言ったな」
エマは地面を蹴ると同時に、足裏の蒸気で加速した。オートマタの反応より早く、背後を取った。
「機械だよ。おまえも、私もな」
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