5.ねびととのふ(ガディナ)

ラエル領に出掛ける当日。


出発前に、陛下にご挨拶にと、執務室に伺った。顔を出すと、騎士のアリョンシャがいて、


「たった今、王妃様のお見送りに、と、西門広場の方に行かれました。」


と言った。アリョンシャは箱詰めにした紙束を、部下と二人で抱えていた。


私は、陛下の後を追ったが、真っ直ぐ来たはずなのに、陛下には会わなかった。西の庭に通じる小広間には、シスカーシアとグラナドがいて、クロイテスと話していた。三人は私を見送りに来てくれたようだ。


私は、陛下が先に見えなかったか、と尋ねた。三人とも、見ていないようだ。


自室に寄ったのでは、とクロイテスが言った。私は、その場でお待ちしても良かったが、私を見送りに、ということもあり、自室まで陛下をお迎えに上がる事にした。


陛下は、途中の回廊にいた。ここは半年前に、西に一棟建て増しをした時、王宮の中心部と新しい建物をつなぐため、改築した部分だった。回廊の壁は、新しい歴史を描いたステンドグラスで飾られていた。


陛下は、ステンドグラスの中の唯一の絵画、若き日に共に戦った仲間たちの集合図を見ていた。陛下のお気に入りの画家ダレルの大作だ。同様の絵画ははたくさんあり、ダレルだけでなく、様々な画家が描いていたが、これは少し変わっていた。


みな、正装ではなく、実際に旅をしている時の、あっさりした服装をしていた。大衆食堂のような場所で、様々な料理と、飲み物で満たされたカップやグラスの乗った、簡素なテーブルを囲んでいる。絵の中心には、向かって右にディニィ、左に陛下が座っている。


ディニィ側には、近い方からヴェンロイド師、ディニィの護衛ラール、狩人族のキーリが並んでいた。陛下の側には、騎士ネレディウス、少女の気功士サヤン、年の離れた兄のユッシがいる。


ユッシは、目一杯ビールの入った大きなジョッキを右手に、左手は、串に刺さった肉を持っている、顔は少しサヤンの方をを向いていた。サヤンは、すこし中立ちになり、菓子の乗った皿を、ヴェンロイド師に薦めている。ヴェンロイド師は、サヤンを見ながら、皿を受け取ろうとしたのか、軽く手を出していた。


キーリとラールは、ワイングラスを手に取っていた。ラールには赤、キーリには白だ。キーリは、左手にグラス、右手はラールの肩に、たしなめるように添えてあった。ラールは、ワインを飲むところのようだが、ディニィを見ており、口はつけていない。ディニィは、ラールに向かって、目の前の魚料理の皿を指し示している。「酒ばかりでなく、料理もね。」と言っているようだった。


陛下は、ほぼ正面向きで、目の前の氷菓子の器をとろうとしていた。器は二つあり、一つは空だ。陛下が取ろうとしていたのは、空でないほう、まだ手付かずの器だ。それは、隣のネレディウスが、陛下の方に、そっと押し出している。


ヴェンロイド師をこの位置にするのは、かなり揉めた、と聞いている。こういうものは、身分と役割、相関関係によって、立ち位置が決まる。立場的には、この旅の後、魔法院長から宰相になり、王の弟でもあった彼が、国王夫妻に近い位置に来るのは当然だ。以前描かれた「勇者集合図」も、大半はこういう並びになっている。


だが、これは、グラナドが産まれた後の物だ。新しい物は、大抵は、ネレディウスとヴェンロイド師の位置を入れ換えて描かれたが、これは「伝統的」な並びを選んで描かれた。


並ばないと不自然だが、並ぶと邪推を呼ぶ。ダレルは、各自の視線を工夫して、巧みに仕上げている。


私は、陛下があえてこうしたのは、ディニィとヴェンロイド師の間に、自分が入るのを避けたのだ、と思っていた。


陛下は、グラナドにはなるべく早く真実を語り(他の子供なら時期尚早だが、グラナドは聡い子だった。)、その上で彼に、実の両親を尊敬して欲しい、と考え、計画していた。普通であれば、妻と弟に同時に裏切られたのだから、子供に罪はないと考えても、二人の事は許せない、と思うのが当然だ。


陛下と同じ目にあった、貴族の男性を知っているが、死んだ妻の肖像画を全部焼いて、弟の遺体を一族の墓所から「追放」した。ただ、そうして産まれた「息子」は、自分の次男として、長男と一緒に、分け隔てなく育てた。だが、妻と弟に関しては、終生とても頑なだった。自分にも他人にも厳しいモラルの人だったので、尚更だったのだろう。


彼の場合は、陛下と異なり、彼の家より身分は高いが、資産の無い(故に仲の悪い)貴族が、公の場で露骨な当て付けを言ったり、野心家の身内が、長男の出生にも異議を唱えて家督を譲れ、と迫ったりしたので、余計に頑なさに拍車をかけた、とも言える。


陛下の寛大さは、ディニィが妻である前に、若き日を共に戦った仲間である事による、と思っていた。その仲間の中には、ヴェンロイド師も含まれる。私には今一つ分からない感情だが、同胞、戦友に対して、殿方がよく抱く感情なのだと思っていた。ディニィへの愛情だけでは、説明のつかない部分を、そこに求めていた。


陛下は、微笑みながら、絵を見ていた。日溜まりに柔らかく、だが、どこか寂しげな笑顔で。


帰らぬ日々を思い返す時、人はそのような顔をする。


絵の中のネレディウスは、同じく絵の中の陛下に、微笑んでいる。外の陛下は、それを見ている。


私は、声をかけることが出来なかった。だが、シスカーシアとグラナドが、私の背後から表れ、グラナドが、陛下に声をかけた。


陛下は、すぐに脇を見たが、グラナドだけでなく、私とシスカーシアがいることに、驚いたようだった。


シスカーシアが、そろそろですよ、と言った。


「ああ、すまない。もうじき、梅の見頃だな、と思って。」


絵は屋内で、窓はなく、花はテーブルの花瓶に、白百合と紅花が無造作に差してあるだけだった。他は、手前にキャベツの皿があるが、それが花のように見えなくもない。


だが、背景の壁には、様々な花をあしらった、タペストリーがが飾られていた。藤は二種類、高い木の山藤と、藤棚に絡んだ、長い藤。華やかな紅垂れ桜に、コーデラの花である、ピンクのツルバラ。そして、白い梅。梅は、ちょうどネレディウスの背景になっていた。


タペストリーは、あくまでも背景のため、色彩は押さえてあるので、一見すると、花の種類までは、分からない。私も、そこに梅があるとは、今、初めて気が付いた。


「今年は、遅くて、一月は伸びる、という話ですよ。」


と、私は言った。


「そうですね。西の庭のも、まだ蕾が固いようです。この分だと、ちょうど、王妃様が、お戻りになる頃が、見頃のようですね。」


シスカーシアが笑顔で私を見た。私は、慌てて笑った。グラナドが、私に、


「梅の遅い年は、春風邪が重い、って。」


と、幼い声をかけた。私が返事をする前に、陛下が、


「ラリサルでラエルの医師団と合流する予定だったね。まず間違いはないと思うが、気を付けて。」


と言った。


私は、いつもの笑顔の陛下に、いつもと違う事を、お聞きしたかった。私には、「権利」の与えられた事だった。でも、心情的にはどうだろう。たとえ、ここに、私と陛下の二人きりしか居なかったとしても。


グラナドが、


「あれ?」


と不思議そうに見上げてくる。私は、何でもない、これから出発だから、緊張して、と言いながら、陛下にもお答えするつもりで、顔を向けた。


ネレディウスが、こちらを見ている。彼は、絵の陛下を見ているはずだが、正面から僅かに斜めに立つと、彼が正面を見ているように見えた。


昔、夏のパーティーの席、ダンスの合間の休憩中。ネレディウスが、氷菓子を陛下に差し出しながら、こんな表情をしていた。火魔法使いの陛下は、暑いのは苦手で、氷菓子で体を冷やしているのだ、と思っていた。実際、陛下は氷菓子は好きだった。私も魔法は火なので、陛下ほどではないが、熱いものは苦手だった。だが、もろに氷の菓子は庶民的な物とされていたので、あまり食べた事ははないし、それほど好きでも無かった。


陛下は、出されるたびに、とても嬉しそうに食べていた。正直、そこまで美味しいとは思えなかったが、好物に理屈はないし、不思議に思った事はなかった。


“お前、暑くないのかよ。これ、美味いよ。”


“僕は、水魔法だからね。それに…”


ネレディウスは、微笑んでいた。


“僕は、お前が食べる所を、見るのが、好きだから。”


陛下は、俺はリスか何かかよ、と言い返して、笑っていた。


会話は囁くようで、近くにいても、私と話していたグループの貴族には、聞こえなかったようで、みな、気の早い秋の流行について、予測を楽しむ会話を弾ませていた。


この事は他愛もなく、今まで、忘れていた。絵のネレディウスを見るまでは。


絵は、彼らの日常、在りし日の昔の姿、そして、今も、陛下の中には、依然存在する姿だ。ダレルの筆は、昔の光りを、今に蘇らせていた。


「ちょうどなら、西のお庭もいいですね。」


グラナドは、もう、私が戻った時の宴の話をしていた。陛下は、グラナドを見ながら、笑っていた。


出発の間際、陛下は、真顔で、道中、気を付けて、と再び念を押した。




ラリサルでは、途中、事故で、医師団の到着が、一日遅れた。一日の事だが、先に目的地に向かった。


事故は人的な事情だったらしく、同行した騎士と魔法官は、「帰ったら、陛下に申し上げたほうが。」と、異口同音に言っていた。


実際、一日が二日、二日が三日になり、予定の彼らより、知らせを聞いて、シスカーシアの手配した医師団のほうが、早く付いたくらいだった。


私は、大したことはしていないが、説得に思ったより骨が折れ、かなり疲労を感じていた。


ここには梅はないが、野生の菫が美しく、疲れた心を癒してくれた。




   ※ ※ ※ ※




結局、その年、約束した梅は、見られなかった。咲いてはいたが、私は見る機会は無かった。




目を閉じる時、一通り見渡した後、枕元のサッシャ、ディジーを見た。




バラでも菫でも梅でもない、それが、私が、この世に残した「花」だった。


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勇者達の翌朝・新書 回想(前編) L・ラズライト @hopelast2024

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