第24回 沼底に咲いた白い花 お題:白い天使と堕天使
ふわふわ、ふよふよ。まるでそんな擬音が形になったように、真っ白な雲の絨毯は私の足を包み込みます。柔らかい雲の絨毯はどこまでも続き、私達天使の足場となっています。
空を見上げれば、そこには雲一つない青。それもそのはずです。ここは雲の上なのですから。
そしてやんわりと照らすお日様が、とても心地良いです。
そう、ここは天界。天国。見渡せば、あちこちで子供達がその白いワンピースと羽を揺らして遊んでいる、私達の故郷。下っ端天使である私は、今日も元気に空を舞います。
しばらく他の天使達を眺めながら飛んでいると、目の前に大きな雲のお城が見えてきました。そこは神様と、大天使様のお城です。失礼がないようにしなくてはいけません。私は大きな入口の前に立っていた、門番さんに話掛けました。
「こんにちは。私、今日天命予定の……」
「こんにちは、お嬢さん。話は聞いているよ。偉いね、君は。さ、入りたまえ」
「いえいえ、ありがとうございます」
私が頭を下げると、大きな扉がゴゴゴと凄まじい音を立てて開きます。このお城に来るのは初めてではないのですが、それでもやっぱりその壮大さに驚かされます。
さて、門番さんに案内されて、私は教会のような場所に案内されます。石造りの柱。神様を模した像。雲の絨毯の上にひかれた赤いカーペット。周りに置かれた木製の椅子。私はそれらに目を惹かれながら、奥の机の前に立っていた大天使様の元に跪きました。
「天命を授かりに来ました、大天使様」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ」
そう言って笑みを浮かべた大天使様は、その四本の羽で私の身体を包んでくれました。
「貴女も親友が行方不明になって、さぞ辛かったでしょう。さぞ悲しかったでしょう。それだと言うのに、貴方は自ら彼女を探そうと地上に降りる決意をした。その心意気は、とても素晴らしいものです」
「そんなこと……」
「いいのですよ、泣いても。天界を離れることも辛いでしょう。貴女の思いの丈を、私に聞かせてください」
私は大天使様のお言葉に、思わずわんわんと声を上げて泣いてしまいました。居なくなってしまった親友。ずっと昔から一緒に遊んで、暮らして、仕事していた私の友達。どこかお調子者で、笑顔が眩しい親友。彼女が居なくなってから私は、一人になってしまいました。
どれだけ天界を探しても見つかりません。大天使様もその行方を知ることができませんでした。そこで大天使様が神様に教えを乞い、ようやく地上に居ると判明したのです。
私達天使は、人々が神様を必要としなくなってから、地上に降りることは滅多に少なくなりました。大天使様でさえも、地上は危険だと言います。だから私は、たまらなくたまらなく不安で、だけどそれでも、私の一番の友達を探したいと思ったのです。
「落ち着きましたか?」
「はい。ごめんなさい……」
「いいのですよ。あなたのその純白さは、きっと報われるでしょう」
大天使様は私の背中を撫で、そして立たせてくれました。
「さぁ、お行きなさい。貴女と、そして親友が帰ってくることを、私は願います」
大天使様がパン、と手のひらを合わせると同時に、私の目の前の雲には穴が開きました。覗いてみると、そこは地上。私の友達がいるであろう場所。人々の地。
「我らが神のお告げにより、ある程度の居場所は掴めています。真っすぐ落ちて探せば、きっと会うことができるでしょう」
「お心遣いに感謝いたします」
私は意を決して、パチンと自分の頬を叩きます。そして思いっきり、地上への穴に飛び込みました。
◆
空から光が降ってきた。雲の隙間から差し込む光芒に紛れて、真っ白な、純白の光が。
きっと他の人には、光芒も、光も見えていなかっただろう。ゴミのように人が溢れる交差点で、あたし以外に空を見上げた人間はいなかった。
あたしは目的地を変えて、光が落ちた方へと向かった。その間ずっと、顔の引きつりが止まらなかった。声を上げて笑いたくて仕方がなかった。
信じてた。
───あの子が降りてきた。
◇
私の親友は当然のように、まるでそれが自然体のように、路地裏で壁に背中を預けて虚空を見つめていました。
その右手には、煙草。頭にあるはずの光輪は姿も形もなく、右翼ももがれたかのように欠けています。服装もまるで人間のようで、傷だらけのズボンに、大きく肌を露出させた下着のような服。太陽のような橙色だった髪は白く染まり、目元には大きな隈が浮かんでいました。
私は彼女を見た時、あまりの変わりように、ただ息を飲むことしかできませんでした。
彼女は浮いていた私に気が付くと、優しく笑みを浮かべて「久しぶり」と口にしました。その声だけは変わっていなくて、私はただただ困惑しながら地上に足を付けました。
「なに、してるの」
上手く声が出せません。どうしても震えてしまいます。目の前にいる彼女は、本当に私の親友なのでしょうか? 私の質問に、彼女はコミカルに両手を広げ、そして自身の身体を指差しました。
「地上で、人間として暮らしてる」
「人間として……? どうして……?」
「楽しいよ、欲に溺れるのは。天界が如何につまんなかったかが、よくわかった」
彼女は壁に寄りかかることを止め、煙草を吸いながら私に近づいてきました。
「ゲーム、動画、アニメ、スポーツ、金、パチンコ、ギャンブル、煙草、クスリ、XXX。気持ち良いことだらけだよ、地上は。食べ物も美味しい」
「……! どうして、羽は!」
「あー、人間には見えないみたいなんだよね。これ。いらないから半分捨てちゃった」
ずっと探していた声。待ち焦がれていた声。そんな懐かしささえ感じる声だと言うのに、その声を発する、目の前の彼女の身体は……もはや私の知るものではありませんでした。私は恐ろしくて、彼女の歩みに、後退りをしてしまいました。
「ねぇ、どうして離れるの? あたしを探しに来たんじゃないの?」
「……!」
その言葉に、私の身体は止まります。そうです。私は彼女を探しに来たのです。彼女がどうなってあろうと、私は彼女を天界に連れ戻さなければなりません。私は自分に喝を入れました。
「んふ。あたし、あんたのそういうところ……大っ嫌い」
ですが彼女は、背筋が凍るほどの、蛇のような笑みを浮かべながら、私を強く抱きしめました。
「純白で、清純で、純粋で、誰にでも笑顔で、裏表がなくて、礼儀正しくて、誰にでも愛されていて、あたしみたいな屑に諭されて奮起しちゃうところが……ずっと好きで、ずっと気に食わなかったの」
私の耳元で、甘い息がかかるほどの距離で、彼女は呪詛を囁きます。
「羨ましかった。妬ましかった。苦しかった。悔しかった。私だけを見て欲しかった。あなたに向けられた笑顔を奪ってやりたかった。どうしてわたしじゃないのって何度も呪った。そしてそんな自分自身に嫌気が差して、絶望した。自分が醜く思えて仕方なかった。だというのに、あなたは曇りのない笑顔をわたしに向けるの。ねぇ、わかる? わたしの気持ちが。想いが。だからわたしは……あたしは、地上に堕ちたの」
彼女はそうして、私から身を離します。私の頭は真っ白で、どうすることもできませんでした。ずっと一緒に暮らしていた彼女が、そんな感情を抱いていたなんて、気が付かなかった。彼女がこうなってしまったのは、私のせいなのでしょうか?
「んふ、泣いてるの? どこまでも、あんたは純白だね」
気が付けば私は、彼女の指摘通り涙を流していました。ぽつぽつと溢れる水滴は、悲しみではなく、悔しさの表れでした。自分に対する、悔しさ。彼女に対する悔しさ。私の胸の中を、泥のようなうねりが満たしていきます。まるで溺れそうなほどに。
ですが私は、それでも彼女を諦めたくはなかったのです。
私は彼女を見据え、意を決して口を開きました。
「どうすれば、私と一緒に帰ってくれるの?」
私の問いに、彼女は「待っていた」と言わんばかりに、妖艶な笑みを浮かべます。
「あたしと一緒に、地獄の底まで堕ちてくれたなら」
そう言って彼女は、有無を言わさず私を押し倒しました。
「気持ちいいこと、いっぱいしようよ」
彼女の身体が、私に重なります。
その時見えた故郷の空は、まるで焼けたような赤色でした。
それが私の、天使としての、最後の記憶です。
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