第20回 チョココロネを手に入れろ! お題:パン
無性に、ただ無性に、チョココロネを食べたいと、ふと思った。
黒板を写していたペンは止まり、燃えさかるような食欲とチョココロネがグルグルと思考回路を支配し始める。
時刻は四限目、正午前。担当教師が長々と数式の説明をしている数学のこの時間に、急に何故……? 確かに腹は空いているが、何故急にチョココロネを……? そもそも何故チョココロネ……? 俺はどこからともなく訪れたその欲求に、ただただ困惑した。
しかし人間の欲求とは恐ろしいもので、まるで困惑を乗っ取るかのように『チョココロネを食べたい』という思いが強まって収まらなくなる。
食べるのならチョコが見えている頭の方からかな。それともやっぱり細い方からかな。好きなものは最後まで残す派だけど、どうせならあえて頭から食べてみたい。……あれ、チョココロネのパンってどんな食感だったっけ。モチモチしてるんだっけ、サクサクしてるんだっけ。どんな味だったかも朧げだな。最後に食べたのは中学生の頃だったっけか。そうか、僕はチョココロネがどんなものだったのかを確かめてみたいのか。
あぁ、食べたい。ただひたすらにチョココロネを食べたい。
もう数学の授業どころではなくなった僕は静かにペンを置き、顎に手を当てた。
チョココロネって……どこで買えるんだ?
こうなってしまった以上、チョココロネを手に入れ、食すことは確定事項だ。ならば次の段階、入手手段を考えなければならない。だけどそう、チョココロネがどこで売っているのかわからないのだ。パンの一つくらいコンビニにでも売ってそうだが、学校近くのセ◯ンでその姿を見た記憶はない。そう、ないのだ。
そんなことを考えている内に授業終わりの鐘が鳴り、号令をして教師が居なくなると同時に、教室には緩やかな空気が流れた。
「腹減ったな」
「購買行こうぜ」
「今日の購買パンなんだろうな」
購買……! その単語を聞いた瞬間、僕の中で電撃が走った。これだ、と思い、僕は教室を出ようとする二人のクラスメイトに声を掛けた。
「購買って、チョココロネ売ってるか?」
「え? いや、どうだろう」
「普通は売ってないよな」
「そうか……」
「でも日替わりパンがあるから、チョココロネの時もあるんじゃないか」
購買には売っていないとわかり僕は肩を落としたが、我らが高校の購買日替わりパンに希望を見出した。もしかしたら、いや、今日チョココロネを食べたくなったのはこれなのだ! 妙な天啓を受けたような気になって、僕は購買に向かうクラスメイトと同行を決めた。
「でもなんで急にチョココロネ?」
隣を歩くクラスメイトが怪訝な表情をして僕に言う。
「急に、食べたくなった」
「なんで?」
「無性に」
僕が悠然と答えると、クラスメイト達は困惑したように目を合わせた。
「また始まったか?」
「多分」
「こないだはイチゴオレだったよな」
「購買に売ってなかったら長くなるぞこれは」
そんな会話を小耳に挟みつつ、僕たちは購買にたどり着いた。
購買は当然だが、生徒達で溢れかえっていた。まるで戦争だ。誰も彼もがもみくちゃになっている。日替わりパンもその姿を見ることができない。チョココロネなのか? チョココロネじゃないのか? 胸に期待が膨らみ、居ても立ってもいられなくなる。僕が勢いをつけて群衆の中に突っ込もうとした、その時だった。
「あ、日替わりパン見えた」
「え? なんだった?」
背の高いクラスメイトは背伸びをして今日の日替わりパンを確認したらしい。僕は胸を躍らせながら彼の言葉の続きを待った。
「チョコパン」
「……」
まるで階段からずっこけたように、お風呂のお湯が水だったときだったように、期待して温まっていた心が急速に冷めていく。
「どんだけガッカリしてんだよ……」
「チョココロネもチョコパンも変わんねぇだろ……」
「違うんだよ!」
心無いクラスメイトの言葉に僕は跪き、リノリウムの廊下を拳で叩き付ける。
「チョココロネとチョコパンは違うんだよ!!!」
「えぇ……」
まるで異常者を見るような目を向けられたような気がするが、そんなことはどうでもよかった。今はとにかく、チョココロネが食べたかった。
「なぁ、チョココロネってどこで売ってるんだ?」
僕は項垂れながら、クラスメイトに目を向ける。
「え、コンビニにあるんじゃね? 学校近くのセ◯ンとか……」
「セ◯ンは売ってるよな、チョココロネ」
「うん、ほらあるよチョココロネ」
と言ってクラスメイトは俺にスマホの画面を見せてくる。確かにセ◯ンのチョココロネが映っていた。しかし。
「でも……置いてあるの見たことあるか? あのセ◯ンに」
「言われてみれば、ないな」
「店舗によって置いてる商品違うのかな」
そう、クラスメイトも言うように、学校近くのセ◯ンには置いていないのだ。チョココロネ、どこで売っているんだ! しかし深い絶望に包まれようとした時、クラスメイトは「あっ」と何かに気が付いた。
「パン屋行けばいいじゃねぇか」
「それだ!」
まさしく確信。確実に置いてあるという信頼感。深海に訪れた太陽のように、その提案は僕の視界を明るくした。希望に満ち溢れ、力が身体に漲る。
「ありがとう! 行ってくる」
「えっ今から?」
「馬鹿だよアイツ、生粋の」
僕は勢いよく立ち上がり、クラスメイト達に片手を上げた。
そして彼らの呟きに目もくれず、学校を飛び出した。
◇
そこには至高の美があった。
こんがりとした鮮やかな焼色を放つ、クルクルと螺旋が巻かれたパン。その頭からチョコレートがはみ出している。チョココロネだ。チョココロネが大量に並べられている。
駅前のパン屋には、期待通りにチョココロネが置かれていた。僕は躊躇せずトレーに三つほど置いてレジに向かった。お店の人は何故か不思議そうな顔をしていた。
ホカホカの紙袋を抱えて、スキップをしながらパン屋を出る。目指す先は近くの公園。豊かな自然を眺めながら食べたい気分だった。道行く人達は何故か僕を不思議そうな目で見ていた。
歩いて五分もしない内に、公園にたどり着く。僕は端にあったベンチに腰を落とした。昔はこの公園でよく遊んだものだ。中学校時代、小学校時代の記憶が蘇る。眼の前の大木の周りでだるまさんがころんだをして、鬼ごっこをして、滑り台でよくわからない遊びをした。
平日のお昼だというのに、小さな子供達が元気に遊んでいる。僕はそんな光景を眺めながら、チョココロネを手に取った。
久しぶりに口にするその味に、僕は胸の奥から満たされるような幸福に包まれた。
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