第17話 素朴な料理がもたらす幸せ
プチ・ぺシェは斬新なメニューに定評があり、そのすべてのレシピはエマが独自で考案したものだ。
新しいメニューを開発するたびに、エマは、そのお披露目と試食も兼ねたチャリティーランチイベントをカフェで開催してきた。
ユニークな料理が食べられるということで、今では巷で人気のイベントになっていた。イベントの売り上げは、孤児院や貧民学校などに寄付され、社会貢献の活動としても広く認知されていた。
このイベントをいつも楽しみにしているカフェメンバーたちの中で、唯一アルベールだけが、エマの金銭感覚に戦々恐々としていた。エマは、イベントを盛り上げるためなら、利益を度外視してしまうことが度々あったからだ。
今回のチャリティーランチメニューは、オムライス。付け合わせにポテトサラダとコーンポタージュ、さらに好きなドリンクがついてくるお得なセットだった。
オムライスの上にはトマトクリームでハートやスマイルが描かれ、客に楽しい気分を味わってもらいたい、というエマのささやかな願いが込められていた。
イベントを明日に控えたカフェは、午後を臨時休業し、準備に追われていた。
このイベントには、毎回、アルベールの妻で、料理上手なセシル夫人も手伝いに加わってくれた。
エマは、キッチン担当のレオとニコレッタとセシル夫人にオムライスの作り方を指導したり、盛り付けや配膳方法を打ち合わせたりしていた。
一方、ホール担当のソフィアとアルベールとは、客の接待方法について最終確認をしていた。
イベントの告知は、いつも通り新聞記者のクリスが担当していた。
イベント当日、開店時間から老若男女問わず、たくさんの客が詰めかけ、小さなカフェは瞬く間に満席となった。
木製のテーブルと椅子が並ぶ温かみのある空間は、客たちの楽し気な会話と笑い声が響き、オムライスやコンポタージュの食欲をそそる香りが店中に漂っていた。
ホールでは、ソフィアたちがドリンクの注文を取りながらテーブルを回り、客と談笑しながら料理を提供していた。
「オムライスなんて初めて聞いたけど、おいしい!」「トマトクリームのハートがかわいい!」
といった声があちこちから聞こえてきた。
一方、キッチンでは、ニコレッタたちが腕を振るい、トマトクリームで飾られたオムライスを次々と仕上げていた。
プチ・ペシェは、エマの長年の夢が詰まった場所であり、訪れる人々にとってかけがえのない空間となっていた。
閉店間際、混雑を避けて訪れてきたのは、ノアとルカそしてシャルロットだった。
エマは、彼らが貴族であることを理由に特別扱いをすることは決してなく、彼らもまたそれを求めてはいなかった。
「これ、すごくおいしい!卵とライスのバランスが絶妙だ。」
ノアは、オムライスを一口食べて、大絶賛した。
その傍らではルカが、テーブルに運ばれてきたオムライスを不思議そうに眺めていた。
「これがオムライスか。なんだか妙な形をしているな」と半ば警戒しているルカに、
「とにかく食べてみて下さい。絶対おいしいですから」とエマは、少し意地を張るように眉をひそめて言い返した。
「ああ、分かったよ」と、しぶしぶフォークを手に取るルカを見て、シャルロットがくすくす笑って言った。
「ルカ、エマの前ではまるで子供みたいね。」
ルカは、シャルロットを少し睨むように見ると、オムライスを口に運んだ。
「どうですか?」とエマが少し緊張した様子で尋ねると、ルカは一瞬黙り込み、ゆっくりとうなづいた。
「うん、悪くないな。」
「ほら、やっぱり美味しかったでしょう?」とエマが得意げに言うと、ルカは「まずくはない」と意地悪そうに笑いながら、さらにもう一口、運んだ。
その様子にシャルロットは楽しそうに笑って言った。
「本当に仲が良いのね、二人とも。」
「そ、そんなことないです」と思いがけない指摘に、エマは焦りながら慌てて否定しようとしたが、ルカは気に留めず、黙々とオムライスを食べ続けていた。
そして、シャルロットも一口食べると、「トロトロの卵がとってもまろやかで美味しいわ」と満足そうに微笑んだ。
「豪華な料理ももちろんおいしいですけど、こういう素朴な料理にもまた別の魅力があると思うんです」とエマが何気なく言うと、シャルロットは優しくうなづきながら、「本当にそうね」と同意した。
その言葉を聞いたルカは、エマがこれまで自分が出会ってきた女性たちとはまるで違う価値観を持っていることを悟った。エマの言葉や行動が、これまでの人生で味わったことのない新鮮な感覚をルカに与えていたのだった。
エマは贅沢品や豪華な食事にはほとんど関心がなかった。
見栄や虚飾に惑わされないエマの本質的な魅力に触れるたびに、ルカは自然と彼女に引き寄せられていく自分を感じていた。
オムライスは、決して高級料理ではない。特別な食材を使っているわけでもないし、手間もそれほどかからない。
そんな素朴な料理でも、地位や富に関係なく、人々を癒し、楽しませ、幸せにできるのだ。
料理も人もやはり心が大切なんだ、とエマはしみじみと感じていた。
プチ・ペシェを訪れた人々が家族や友人と、時には一人で、カフェのひと時を楽しんでいる様子を見守ることが、エマにとって何よりも幸せだった。
店内を見渡しながら、この幸せがずっと、ずっと続きますように、とエマは心の中で願っていた。
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