第15話 売春宿の惨劇
その日のブラッドムーンは、まるで街の哀しみを映し出すかのように、美しい緋色に輝いていた。
その妖しげな光は、今夜の現場となる売春宿に冷たく降り注ぎ、その古びた建物は、繁華街の外れにひっそりと佇んでいた。
入り口には、小さなランプがぶら下がっており、暗闇を照らすその淡い光は、陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
アジールメンバーたちは、悪徳者たちを掃討するために、いつものように闇に紛れて息をひそめていた。
そして深夜0時、エマがアブサンに変貌した。エマの中で渦巻く哀しみと怒りが、その夜も制御不能の狂気となってその姿を現したのだ。
香水とたばこの匂いが充満する薄暗い売春宿の事務所に押し入ると、アブサンは一瞬のためらいもなく、オーナーをはじめ金をむさぼる者たちを、その鋭利な刃で次々に惨殺していった。
しかし、この夜、アブサンの刃は、悪徳者だけを狙ったわけではなかった。その暴走する凶器は、その場にたまたま居合わせた罪なき娼婦たちにも、無差別に襲いかかったのだ。
哀れな叫び声が響き渡る中、逃げ場を失った彼女たちは絶望の中、次々と命を奪われていった。
声を上げる間もなく命を落とした者、恐怖に震えながらも逃げ惑う者、その光景はまさに地獄絵そのものだった。
女性たちの泣き叫ぶ声に、ただならぬ気配を察したアジールのメンバーたちは、すぐさま現場に突入した。目の前に広がるあまりに悲惨な光景を目の当たりにし、ニコレッタは思わず叫んだ。
「なんてこと!娼婦たちまで殺されているわ!」
床に転がる娼婦たちの体は、生気を失い、冷たくなり始めている。助けを求めるように弱々しく呻く女性がいたが、その声は次第に力を失っていった。彼女は、先日エマがレストランで見かけた娼婦の一人だった。
メンバーたちは、目の前で繰り広げられる惨劇に言葉を失い、エマの暴走を止めるべく焦りと恐怖に駆られた。
「みんな落ち着け!まずはアブサンを確保することが最優先だ」とアルベールが冷静に指示を出したが、その声には深い苦悩がにじんでいた。
メンバーたちは、いつもの手順ですばやくアブサンを捕獲したが、その作業はいつも以上に辛く、重苦しいものとなった。
アブサンの無慈悲な刃は、悪徳者のみでなく、罪なき弱者にも向けられ、もはやアブサンは無差別に命を奪う猛獣へと変わり果ててしまったのだった。
誰もが心のどこかで、いつかこうなることを予感していた。しかし、その予感が現実となった今、皆無言の恐怖に支配されていた。
罪なき犠牲者を出してまでも掃討活動を続けるべきなのか、アジールの活動は重大な分岐点を迎えていた。
アブサンの殺傷力は日に日に増しておりし、ますます制御が難しくなっていることは、今夜の出来事で明らかだった。
ソフィアが首輪をかけた後、アブサンが気絶をするまでにいつもより時間がかかったため、彼女は手を引っかかれ負傷したのが、その証拠だった。
現場に長居するのは危険だと判断し、メンバーたちは確保したアブサンを連れて、急いでプチ・ペシェへと急いだ。
カフェに着くと、アブサンは地下室の檻に入れられ、ソフィアは手の傷に応急措置を施した。ソフィアの傷が軽傷で済んだことは幸いだった。
その後、メンバーたちは自然と事務所に集まった。張り詰めた空気の中で、誰からともなく、今後のアジールの活動についての不安や葛藤がぽつりぽつりと語られ始めた。
その声には焦りや迷いがにじみ出ていて、メンバーの心に渦巻く複雑な感情が伝わってきた。
アブサンの暴走が続く中で、このまま活動を続けていいのか、それとも別の道を模索すべきなのか。メンバーたちの頭には、いくつもの答えのない問いが重くのしかかっていた。
「アブサンはもう誰にも止められないわ。これ以上犠牲者が出る前に何とかしないと。
ソフィアの声には、焦りがにじんでいた。
「やっぱりエマの意思を尊重するのが一番だと思います」と冷静に答えたレオだったが、その目には深い悩みが浮かんでいた。
「今、一番苦しんでいるのはエマだ」と、アルベールはエマをいたわった。
「エマは、私たちの恨みを晴らそうとして、身を削って闘ってくれている。私たちが協力しなくてどうするの?」とニコレッタは、体の内から搾り出すような声で訴えた。
「何かを成し遂げるには、多少の犠牲は避けられないのかもしれない」と、レオが言いにくそうにつぶやいたその言葉が、メンバー全員の胸に重くのしかかった。
エマの心は、アブサンの狂気に次第に蝕まれていった。その歯止めの利かない暴力がいつかエマ自身を飲み込んでしまうのではないか。いやもうすでにエマは飲み込まれてしまったのではないか、という恐怖と絶望が悪夢のようにメンバーたちを襲っていた。
その恐れを抱えていたのはアジールメンバーだけではなかった。
自分を失っていく不安、大切な人を傷つけてしまう恐怖に怯えていたのでは、誰でもないエマ自身だった。アブサンとエマ、その2つの人格を分ける境界線はもはや曖昧になってしまっていたのだった。
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