勇者様、結婚の申し出相手をお間違えです!

餡子

勇者様、結婚の申し出相手をお間違えです!

 

 長い間、人間を苦しめてきた魔王が勇者一行に討ち倒された。


 そんな朗報はあっという間に国々を駆け巡った。

 王都へと帰還するための道中で、勇者一行が最寄りの町に入る度に大きな歓声と祝福の拍手で歓待される。

 今日訪れた町も、夜が更けても町の中の火が絶やされることはなかった。噴水を囲んだ広場には、賑やかな喝采と笑い声が響き渡っている。

 特に祝いの酒が入っているせいか、誰も彼もが「偉大なる勇者一行に乾杯!」と陽気に騒ぎ立てていた。

 そんな喧騒の中、黒魔道士の証である黒のローブを顔周りに引き寄せると、気配を殺して席を立った。

 しかしすでに周りは出来上がっている状態であったので、私も勇者一行の一人であるのに引き止められることなく、輪から外れられる。

 賑わう場から離れてから、閑散とした路地脇の建物に背をもたせかけた。祝い酒を口にしたので熱く思える息を星空に向かって吐き出す。


(明日にはもう、王都に帰るんだ……)


 明日になったら、5年間掛けた魔王討伐の完遂を王に告げる。

 成人したての15歳から20歳の今日に至るまで、勇者一行の黒魔道士として必死に走り続けた旅が終わるのだ。


 体が夢見心地にふわふわ感じられるのは、お酒のせいばかりじゃないかもしれない。

 胸に落ちるのは役目をやり遂げたことへの安堵。無事に終わる嬉しさ。

 そこに、ほんの僅かに燻るのは淋しさ。


「終わっちゃうんだなぁ……」


 思わず呟いた、その時だった。


「ラーラ。またこんなところにいたのか」


 人気がないと思っていたのに、この5年で聞き慣れてしまった声を掛けられてビクリと肩が震えた。

 反射的に声の方に振り向けば、火の灯りを反射して輝く金髪に、森を写したかのような深い緑の瞳の勇者が立っていた。


「ディルクさま?」


 魔王を撃ち倒した主軸の勇者とはいっても、まだ彼は若い。初めて出会った時は19歳だったから、今年で24歳になっているはず。

 魔王に対峙した時には鋭かった切長の瞳は、今は優しい色を讃えて柔らかく微笑む。背が高くて顔もいいから、そんな顔をされると余計にずるい。

 そうやって微笑まれたら、耐性のない女性は心を鷲掴みにされてしまうだろう。


(いいえ、コレは耐性があっても無理!)


 なぜ天は二物も三物もたった一人に与えてしまったのか。

 誰よりも強い魔法剣士で、思いやりがあって、時々ちょっと意地悪なことも言われて揶揄われたりもしたけれど。よく問題を起こした私を、最後まで見捨てることのなかったお人好し。

 何度、彼に助けられたかわからない。


 おかげで旅を続ける中で、いつしか好きになってしまっていた。


 そんな相手だが、なぜこんな閑散とした場所に一人で来たのだろう。

 勇者一行とはいえ、得体が知れないと思われがちな黒魔道士のせいか遠巻きにされている私と違って、勇者は引っ張りだこのはずなのに。


「勇者様がこんな場所にいて良いのですか」

「あっちではアデリナ姫が飲み比べを始めたから、皆それに夢中なんだ」


 驚く私を見て、ディルクさまは肩をすくめて小さく笑った。

 どうやって抜け出してきたのかと思えば、仲間の聖女でもあるアデリナ姫が主役の座を掻っ攫っていったらしい。

 アデリナ姫は細く清楚な見た目に反して、恐ろしく酒豪なのだ。大樽を飲んでもケロリとしているお方だったりする。彼女にとって、もはや酒は水どころか空気。

 しかし、きっとあの見た目に騙された不埒な男が、

「勇者一行とはいえ、こんな可憐なお姫様は酔いつぶして、あわよくばグヘヘへ……」

 とでも思って勝負をふっかけたに違いない。愚かな。潰されるがよい。

 とはいえ、やはり(見た目だけは)可憐な方ではある。個人的には、なんの不安もないけれど……


(ディルクさまは、姫さまを見ていなくて心配ではないのかな)


 そう思ったのが伝わったのか、「ヨーナスが一緒になって囃し立ててるから大丈夫」と頷かれた。

 ヨーナスは仲間の格闘家だ。年長者でしっかり者のお父さん的な彼がいるなら、問題は起こらないだろう。

 ホッと息を吐くと、今夜はやけに柔らかい眼差しをしたディルクさまも微かに安堵の息を吐いた。


「俺もちょっと飲みすぎたから、ここで休憩させてくれ」


 そう言って隣に並ぶと、同じように建物に背をもたせかけた。星が瞬く夜空を仰いで細く長く息を吐き出している。

 隣で呑気に落ち着かれたけれど、ま、まま待って欲しい。ディルク様の右腕が! ちょっびっとだけ私に当たってるんですけど!?


(近い近い近い!)


 あまりの距離の近さに心臓がバクバクと飛び跳ねる。

 少しでも動いたら、互いの手が触れ合う距離にいるなんて。激しくなった動悸に気づかれてしまいそうで危険すぎる。

 でも体をずらして距離を取ったりしたら、臭いと思っていると勘違いさせてしまうかも!

 そんな失礼な真似はできない。ディルクさまは臭くない。町に着いてから着替えたようだし、むしろ今は微かに石鹸の香りがする。

 幸い私も街に着いてからすぐにお湯を使わせてもらったから、臭くはないはずだけど……


(はっ。このローブを洗ったのはいつ!?)


 急激な焦りが胸に湧き上がる。

 恋する乙女は、時に自意識過剰になったりするものなのだ。どうせディルクさまからは妹くらいにしか思われてないとわかっていても、やはり良い印象は与えておきたい。

 ……これまでにすでに色々やらかしてきたので、手遅れかもしれないけれど。

 それならば余計に「あいつ、ちょっと良い匂いがしたな」くらいの記憶は残しておきたい。

 せめて、なんか少しいい感じの思い出を!


(こんな風に過ごせるのも、今日で最後なんだから)


 思い立つと同時に、指先に魔力を込めた。

 とりあえず、もしかしたら臭いかもしれないのを誤魔化せる物を!

 そう念じれば指先に光が集まり、ポンッと花が1本現れた。

 おお……魔法というより手品のようになってしまった。ディルクさまがいきなり花を取り出した私を見て、驚きに目を瞬かせている。


「ディルクさま。良ければ、これをもらってください」


 しかしせっかく魔力を使って取り寄せた花なので、そっとディルクさまに差し出してみた。

 白い花弁が儚げに揺れる様は1本でも様になる。たくましく野生に生えている花だけど香りが良い。ちょうど咲いている時期でよかった。

 

「これを……俺に?」


 唐突に花を差し出されたディルクさまはややたじろいだ。何度か目をぱちぱちして私を食い入るように見てくる。

 ………。

 よく考えたら、いきなり旅の仲間から脈略もなく花を差し出されたら怪しく感じるに違いない。

 ただ私は自分の匂いを誤魔化したかっただけなのに、見ようによっては恋の告白をするのかと思われる行動なのでは……


(しまった! 告白したいわけじゃないのに!)



 だってディルクさまは、聖女であるアデリナ姫をお好きなのだから。



 仲間のアデリナ姫はディルクさまより二つ年上になるけれど、よく二人で身を寄せ合って密やかに話している姿を見かけた。アデリナ姫はディルクさまには遠慮は見せず、ディルクさまもそんな姫さまを鷹揚に受け止めていた。

 なんてお似合いの二人だろうと、ずっと思っていた。

 自分がディルクさまに恋をしていると自覚しても尚、そんな二人の間に割って入りたいとは思えなかったくらいに。


 それにアデリナ姫のことは、私も大好きなのだ。

 驚異的な魔力量と黒魔法の天才児とは言われていても孤児であった私に対して、アデリナ姫はいつも優しく親切に様々なことを教えてくれた。

 微力な魔力の調節の仕方から、魔法を使わずに暴漢をぶちのめす方法まで。

 それ以外にも、可愛い化粧の仕方なんかも教えてくれたりした。頼れるお姉様的な方なのだ。

 それに可愛らしいだけじゃなくて、優しくて、芯が強い人でもあった。

 旅を続ける中で、アデリナ姫は危険を顧みずに勇者であるディルクさまと並んで戦い、大怪我を負われたことがあった。

 そんな時ですら、彼女は後悔なんて見せなかった。


『愛する方を守るために戦えるだけで、わたくしは幸せなのだわ』


 そう言って、とても綺麗に笑った。

 ああ、かなわないな……と、そのときに思ったのだ。

 

(だから二人の邪魔になりたいわけじゃない)


 そう改めて思い、慌てて弁解の言葉を紡ぐ。


「これはその、ええと、ディルクさまにはこれまで大変お世話になりましたので……っそう、お礼! 感謝の気持ちです!」


 早口で思いついた言い訳を口にすると、ディルクさまは納得したのか気圧されつつ頷いた。差し出した花に手を伸ばして、思ったよりもそっと受け取ってくれる。

 まるで、宝物に触れるみたいに。


「ありがとう」


 少年のように屈託ない笑顔は、私の好きな表情のひとつ。


「い、いえ……本当にささやかですけど」


 アデリナ姫との恋を応援してはいるものの、それでもそんな顔を向けられたら胸に秘めた恋心にギュッと胸を締め付けられる。

 こんな時間が、ずっとずっと続いてくれたらいいのに。


「ラーラは、いろんなことをしでかす天才だったもんな」

「……申し訳ないと思ってます」


 しかしながら笑顔で言われた言葉にすぐに凹む羽目になった。


「旅を始めて1週間目にして、裸を見られた側の俺が吹き飛ばされかけたり」

「あの時は本当に悪かったです!」


 彼が川で水浴びしている姿に遭遇してしまった際、全裸に驚いて猛突風を浴びせたことを掘り返されて謝るしかない。

 しかも脱いで置かれていた服まで全部飛ばしてしまい、大慌てで彼の服を必死に探してかき集めたのは苦い思い出だ。


「魔族が潜んでいた領事館に密かに入るつもりが、建物をまるごとぶっ飛ばされたり」

「あ、あああの時の賠償金は明日頂く予定の報奨金で払います!」

「いや、いいよ。俺もあの時は壁を壊したからな」


 あまりの申し訳なさに涙目になりかけた私に苦笑して、ディルクさまはさらりと断った。

 思えばあの時も本当に悪いことをした。

 魔族の妖気にひっぱられて魔力が暴走したせいとはいえ、領事館を瓦礫の山に変えてしまったのだ。

 さすがに勇者一行とはいえ多額の賠償金を払う羽目になり、その時ディルクさまは「俺も壊したから」と半額も払っくれた。

 彼が壊したのは人が一人通れるだけの壁で、対して私は建物を全壊させたというのに。

 明らかに賠償比率がおかしい。

 彼がお人好しすぎて、いつかダメな女に引っかかってボロ雑巾のように搾り取られてしまうのでは、と不安になったのはこの時だ。


(それ以来、ダメな女に引っかからないようにって、様子を窺うようになって……)


 そうやって、ディルクさまのことを気にしてよく見ていれば。

 足場の悪い場所では、いつもさりげなく手を差し出された。体力が尽きそうな時には、口の中に貴重な飴を放り込んでくれる。よく口では揶揄われてばかりいたけれど、それは私の気持ちを解す特効薬のようだった。

 いつだってさりげなく、私が負い目を感じないほどの自然さで、実は守られているのだと気づいた。

 そうやって彼の人となりを知って、惹かれていってしまった。

 ……ちなみに彼のそばにいるダメな女の筆頭は、私だった気がする。

 思い返して凹んでいた私の頬に、不意にディルクさまの指が触れた。


「!?」


 ぎょっとして目を瞠った私を見下ろして、ディルクさまがやけに優しい目をしている気がした。

 まるで大事に大事に思われている、みたいな。

 でも次の瞬間には、ディルクさまの指が私の頬の肉をやんわり摘んだ。ギュッと口角を持ち上げるように引っ張られる。


「なにひゅるんですか!」

「大変なことは本当に色々あったけど……楽しかったな」


 食ってかかる私を軽くいなすと、ディルクさまは悪びれもせず屈託なく笑った。


「楽しかった……」


 囁くように言われた最後の言葉を自分でも繰り返してみた。

 じわりと温かいものが胸の奥に落ちてきて、指の先にまで染み渡っていくみたい。

 大変なことが9割で、でも確かにそこには楽しいと感じる日々も混じっていた。

 叱られたり、呆れられたり、困らせたりもしたけれど、役に立てたことも勿論あったし……そう、悪いことばかりじゃなかった。楽しい時も確かにあった。

 大変だったけど、楽しかったと、思ってもいいんだ。


(ディルクさまは、そう思ってくれるんだ)



 たぶん私は、彼のこういうところを好きになったのかもしれない。



「そういえばラーラは、王様から報酬にお金を貰う気なんだな」


 不意にディルクさまが明日の話を持ち出した。

 王都に着いてからの話は特にしていなかったけれど、明日になれば仲間達は本来いるべき場所に帰っていくのだろう。

 一人で育ててくれた母を12歳で亡くした孤児の私は、特に帰るべき場所もない。

 成人まで世話になった孤児院には寄付をする予定だけど、帰る場所とは言い難い。そもそもこれまでは生きて帰れるとは思っていなくて、先のことを考えるだけの余裕はなかった。

 今もまだ夢見心地な気分は抜けていなくて、恥ずかしながら先の予定は何も考えつけていなかった。

 となれば、やはりお金を貰っておくのが一番手堅いと思ったのだ。


「やはりお金が一番ありがたいので」

「そうだな。でもラーラが多額の金を持ってると心配になるな。見た目が小さいから、侮って狙う奴が出てきそうだ」


 心配そうに眉を顰めてディルクさまが言う通り、私は小柄だ。

 痩せているせいか青い目はやたら大きく見え、地味で大人しそうに見える癖のない黒髪は肩で揃えているからか、大人だと思われずに侮られることも多い。


「私の財産を狙う相手をぶちのめすくらいは出来ますよ! これでも私だって勇者一行ですから!」


 ぐっと拳を握れば、ディルクさまが残念なものを見る目で私を見下ろした。


「俺が心配してるのは、相手が死なないかどうかだ」

「やめてください、そんな縁起でもない……そこまではやらない、です。たぶん。きっと」

「ラーラだからなぁ」

「さすがに殺戮犯にはならないかと!」

「投獄される姿は見たくないからな?」


 苦笑いされて背筋がヒヤリとする。我ながらやりかねないので、気をつけたいと思う。


(今度から止めてくれるディルクさまはいないのだから)


 ひとりで、がんばらないと。

 そう考えたら、チクリと胸が痛んだ。そんな感情からは目を逸らして、気づかなかったフリをする。


「ディルクさまは、何を頂くか決めているのですか?」


 気を取り直して問い掛ければ、ディルクさまは嬉しそうに笑んだ。


「ああ。ずっと何にするか決めてあったんだ」


 その時ふと、予感が胸を過った。


(きっと王様に、アデリナ姫さまとの婚姻を申し出るんだろうな)


 ディルクさまは魔法剣士として名高い方だけど、元々は男爵家出身でいらっしゃる。聖女と謳われる大国の姫を娶るには、やや位が心許ない。

 だけでこれまで共に支え合い、戦い抜いた勇者と聖女だ。

 王様は歓迎されるだろうし、これ以上に似合う二人もいないだろう。


「……そうなんですね」


 眉尻を下げてしまった私を見て、ディルクさまが大きな手でくしゃりと私の頭を撫でた。

 いつも子供扱いされているみたいで少し不満で、反面甘やかされているみたいでくすぐったく思っていた。


(きっとディルクさまは、私を手のかかる妹のように思ってくださってるのだろうけど)


 こうして向けられる優しさに、気づけば私だけが恋という名の感情に溺れてしまっていた。


(だけどこんな風に過ごせるのは、もう今日で最後)


 だから、今だけ。


(今だけでいいから)


 たった二人だけの時間を噛み締める。

 隣に並んで、同じ温度の中で、あなたの存在を感じていたい。

 鼓動が落ち着かないのは、好きな人が隣にいるせい。彼がいる片側だけが緊張してしまって、やけに力が入っている気がする。

 そんな緊張感すら切なくて、それでも心地よい。

 こうして二人並んでたわいもない話を語り合った夜を、この恋の最後の想い出として胸に沈めよう。

 きっと明日には、笑顔で大好きな二人を祝福できるように。




   ***


 王都に着くなり、全身が震えそうなほどの大きな歓声が身を包んだ。

 城へと続く道の周囲に人々が所狭しと立ち並ぶ。歩く先々に花びらを振り撒かれた。魔族との戦いで疲弊したのか、5年前に出立した時よりは町は寂れてしまっていたけれど、迎え入れてくれた人たちの顔は前よりずっと希望に満ちて明るい。


「勇者様万歳!」


 あちらこちらから喝采が投げかけられる。

 その中をゆっくり歩いて城へと辿り着けば、すぐさま王様への謁見の場は設けられた。


「よくぞ無事に帰ってきてくれた」


 厳かな声で労う威厳に満ちた王様の目も、娘であるアデリナ姫を見つめればわずかに涙が滲んだようだ。

 王様の隣に座るアデリナ姫の弟である王太子も、感極まった表情で今にもアデリナ姫に駆け寄りたそうな素振りを見せた。

 それに気づいて堪らなくなったのか、アデリナ姫は名を呼びかけて王太子に駆け寄った。


「マルクス!」


 ちなみに、両手を広げて待ち構えていた王様は素通りである。

 感動の再会に強く抱き合う姉弟を見つめて、王様は微笑ましさの中にちょっと寂しさを滲ませていた。行き場をなくした空っぽの手が他人事ながら切ない。


(アデリナ姫さまは、いつもご家族をとても愛していらしたから……)


 特に1歳年下の王太子である弟君のことをとても可愛がっておられた。目を輝かせて幸せそうな表情でよく語られていた姿を思い出す。


(よかった)


 幸せな光景に思わず貰い泣きしてしまいそう。

 見入っていた私たちに気づいたのか、王様が気を取り直して咳払いをした。慌ててそちらに視線を向ければ、鷹揚に構え直した王様が勇者であるディルクさまにまず声を掛ける。


「勇者ディルクよ。貴殿の働きには人間を代表して感謝を述べよう。本当によくやってくれた。ありがとう」

「有り難きお言葉にございます」

「ついては、貴殿らにせめてもの感謝の気持ちとして褒美をとらせよう。望むものを言うがよい」

「では、お言葉に甘えまして」


 深々と頭を下げていたディルクさまが、ゆっくりと顔を上げた。


(……覚悟してきたはずなのに)


 続けられるであろう言葉に、心臓が痛いほどバクバクと鳴り響く。


(きっとディルクさまは、アデリナ姫さまを求められる)


 胸の痛みに耐えるために、無意識に爪先が皮膚に食い込むほど強く拳を握った。


「俺は、愛しい人と健やかに暮らせる家と土地を所望させていただきたく存じます」


 ディルクさまの口から零れ落ちた言葉は、思っていたよりささやかな切り出し方だった。


(でも、帰る家があるというのは大事なことよね)


 そこで、アデリナ姫と末長く幸せに暮らすおつもりなのだろう。

 王様は柔らかく微笑むと、しっかりと頷いた。


「貴殿の望むように用意しよう。家と土地、暮らしていくために必要な資金も用意させると約束しよう」

「ありがとうございます。それとこのような場で申し訳ありませんが、先にひとつ言わせていただきたいことがございます」


 緊張を孕んだ声で、ディルクさまが一度下げていた顔を上げた。

 強い意志を滲ませた表情に、鼓動が一際強くドクリと跳ねる。


 きっと今度こそ、そこでアデリナ姫と暮らしたいと告げるに違いない。


 現実を見つめる勇気が萎んで、ギュッときつく目を閉じた。

 そのすぐ後で、衣擦れの音がして不意に自分の前に影が落ちた気がした。


「……?」


 怪訝に思い、そっと瞼を持ち上げた。やはり、跪いている私の上に影が落ちている。

 何事だろう。ゆっくり顔を上げるのと、なぜか私の前に立っていたディルクさまが片膝をついたのは同時だった。


「ディルクさま?」


 お互いの目線の高さが合い、真摯な色を讃えた緑の瞳が私を見つめる。


「ラーラ。どうか俺と一緒に暮らしてほしい」

「えっ!?」


 唐突な申し出に、思わず喉から素っ頓狂な声が飛び出した。


「ま、待ってください! ディルクさま、申し出る相手をお間違えです!」


 なんということだろう。

 こんな大事な場面で、緊張のせいなのか、まさかディルクさまが結婚を申し込む相手を間違えるなんて!


「ディルクさまがお好きなのは、アデリナ姫さまではありませんか!」

「えっ?」

「えっ!?」

「ええっ!?」


 思わずまだ王太子マルクス殿下に引っ付いていらしたアデリナ姫を指差して叫んだ。すると、ディルクさまも王太子も、アデリナ姫も驚愕の声を上げる。

 王太子の反応はわからなくはないけれど、ディルクさまとアデリナ姫まで驚くのはなぜ!?

 二人とも、相思相愛な感じだったではないの!


「アデリナ……やはり、頼りない僕なんかよりも、勇者の方が……」


 全員が驚愕に目を瞠っていたが、真っ先に我に返って顔を青ざめさせたのはマルクス殿下だった。

 一体なぜアデリナ姫の弟君が悲壮な顔になるのか。そんなにお姉ちゃんっ子だったのだろうか。この機会にそろそろ姉離れされた方が……

 などと焦っていたら、アデリナ姫が慌てて首を横に振った。


「今も昔も、わたくしが愛しているのはマルクスだけよ! はじめて会った時から、あなただけが好き!」

「アデリナ……!」

「ええっ!?」


 思いもよらなかった禁断の愛の告白を聞いてしまい、思わず姉弟の父である王様を見てしまった。

 対する王様は思わずといった感じに目頭を指先で抑えている。しかし、その様は感極まったかのよう……

 まさか感動しているというの!? 絶望してるわけではなくて?


「ラーラ。アデリナ姫は聖女認定された7歳の時に王家に引き取られた養女だから、マルクス殿下とは血の繋がりはないよ」


 混乱しまくって固まる私を見て、察したのかディルクさまがそっと教えてくれた。


(そんなの聞いてない!)


 アデリナ姫は私より6歳年上なので、養女になった時は私は1歳だったことになる。覚えているわけがない。当時は騒がれたことだから誰もが知る事実と思われたのか、それ以後はあえて話題に上ることもなく、私は知らないままでここまで来てしまったようだ。

 抱き合うアデリナ姫とマルクス殿下を改めて見てからディルクさまに視線を戻すと、そういう関係なのだと深々と頷かれた。


「でもっ! アデリナ姫さまは前に一度、ディルクさまと並んで戦って大怪我を負われた際、愛する人を守れて幸せだっていってらしたじゃありませんか!」


 それってつまり、ディルクさまを守れて嬉しかったということなのでは!?

 目を白黒させながら疑問を口にすれば、アデリナ姫は不思議そうに小首を傾げた。


「わたくしの力で愛する人の国を守れたのですもの。何かおかしなことを言ったかしら?」


 つまりアデリナ姫は、

『愛する方(であるマルクス殿下と、その人が生きる世界)を守るために戦えるだけで、わたくしは幸せなのだわ』

 ということだったのですか?


(まぎらわしい!)


 なんであんなタイミングですごく勘違いしそうなことを言ってしまわれたのですか!

 ギギギ……と油切れのブリキ人形のごとき動きでディルクさまを見上げた。


「ディルクさまは、アデリナ姫さまのお気持ちを知ってらしたのですか……?」

「アデリナ姫がマルクス殿下を溺愛されていたのは有名だったからな」


 ディルクさまの向こうで仲間の格闘家であるヨーナスも困った顔をして頷いている。

 つまり知らなかったのは、私だけ?

 確かにアデリナ姫の弟愛はいつも熱いと感じてはいたけれど、家族愛だとばかり思っていたのに。


「だけどディルクさまとアデリナ姫さまは、いつもとても仲睦まじくされていたでしょう?」


 二人で肩を寄せ合い、とても親しげに話していらしたのに。

 あれはどういうことだったのか。やはり多少はいい雰囲気になったこともあったんじゃ……!


「それは……」


 胡乱な目を向けるとディルクさまが僅かにたじろいだ。決まり悪げに口を濁す。

 怪しい態度を見せるディルクさまに痺れを切らしたのか、アデリナ姫の方が「それはね」と語りだした。


「ディルクがことあるごとに、『ラーラが可愛くて困る』と惚気るのを聞いてあげていたのよ」

「……。はい?」


 まったく予想もしなかったことを言われて、間抜けにもぽかんと口を開けてしまった。


「ほら、私たちは明日もわからない身だったでしょう? ディルクはずっと想いを告げたら重荷になるからって黙っていたのだけど、時々我慢できなくなって誰かに語りたくて仕方なくなるのよ。それを聞いてあげていたの。ヨーナスはそういうことには鈍いし……」

「アデリナ姫!」

「怒らないで、ディルク。もうここまで来たら知られてもかまわないでしょう」


 耳を赤く染めて遮ったディルクさまを見て、アデリナ姫が仕方ないわねと言いたげに肩を竦めた。

 

「だからラーラ、わたくしとディルクの間にはそういう関係は一切ないわ」


 言い切ったアデリナ姫は隣に並んでいるマルクス殿下の片手をぎゅっと握り、幸せに蕩けそうな顔で見上げた。対するマルクス殿下もとても愛しげな目で見つめ返している。

 愛しているのはこの人なのだと、一目で理解できる表情。

 こうして見れば、ディルクさまに向けていた顔とはあきらかに違う。

 ……ということは、本当に?


(アデリナ姫さまとディルクさまは、恋仲じゃない)


 改めてその事実を頭の中で反芻して、ゆっくりとディルクさまに視線を戻した。

 

「全部アデリナ姫に言われてしまったが、つまりそういうことだったんだ」


 ディルクさまが少し目元を赤く染めて決まり悪そうな顔をしたものの、すぐに表情を改めた。

 真剣な眼差しで私を見据える。

 熱を孕んだ瞳に、トクリと胸が跳ねた。

 一度強く脈打ち出したら、一気に心音が駆け足で全身を巡るかのよう。顔も熱を帯びてくるのを感じる。


「私、ディルクさまに好きになってもらえるようなことをした覚えがありません……」


 むしろいっぱい迷惑をかけてきたのに。

 はっ。まさか!


「出会って1週間目にして私がディルクさまの全裸を見てしまったから、責任を取ってお婿にしろ的な感じですか!?」


 どうしよう。身に覚えがあった。

 男爵家出身の尊い立場の方の裸を見てしまったのだ。

 そういうことなら責任を取るのはやぶさかではないけれど、ディルクさまはそれでいいの!?


「……ここまで鈍いと、いっそもうそれで言いくるめたい気がしてくるな」


 ディルクさまが一瞬苦い表情をしてから、ゆるく首を横に振った。


「最初に意識したのは、ラーラが領事館を吹き飛ばした時だ。あの時から、ラーラを見ると動悸が激しくなった」


 しかし、告白された内容は私の想定より遥かにまずいものだった。


「それは単に、危険人物を野放しにできないという焦りからだったのでは……!」


 ディルクさま、その動悸は恋じゃないと思います。

 そう、恐怖です。

 微妙な気持ちになって顔を顰めた私を見て、ディルクさまが困った顔をして微かに笑った。


「あの後、ラーラは街を出るギリギリまで魔力を全て注ぎ込んで瓦礫の山を片付けていただろう?」

「壊したのは私なので、当然のことです」

「寝る間も惜しんで片付けてる姿を見て、健気だなって思ったんだ」


 いくら賠償金を払ったとはいえ、私だってその程度はします。それすら、やらかしたことの罪滅ぼしにもならないけれど。


「それから心配になってよく見ていれば、ラーラは失敗もよくしたけど、いつだって取り戻そうと頑張っていただろ。俺たちの中で最年少で体も一番小さかったのに、思えば泣き言も聞いたことがなかった」


 それは、泣いてもどうにもならないからで。一度でも挫けたら立ち上がれなくなるのが怖かったからで。

 それぐらいなら顔を上げていた方が、強くあれる気がしたからというだけで。

 そんな強がりを抱えていただけの私を、ディルクさまは優しく見つめた。


「そうやって、いつも必死に頑張ってるから目が離せなくなった。ラーラがどんな時でも顔を上げて、諦めずに進む姿に勇気をもらっていたんだ」


 私はただただ足手纏いにならないように。私もみんなの役に立てるように必死だっただけ。

 それでもそんな自分の頑張りを知っていてくれたのだと知って、嬉しさに胸が掴まれたみたいに苦しくなる。


「そんなラーラだから、好きになったんだ」


 真摯な声で告げられた言葉に、心は一瞬で攫われた。


「!」


 緊張で冷たくなっていた手を、ディルクさまの手がそっと取った。触れ合った指先から熱が伝わってくる。

 私の手より大きくて、乾燥してかさついた硬い手なのに、この手に手を引いてもらう時間がどうしようもなく好きだった。

 いつか離さなければならない手だと、ずっとそう思ってきたけれど。


(私はこのまま、ディルクさまと一緒に歩いていっていいの?)


 思い至ってしまったら、嬉しいのと恥ずかしいのと幸せなのがごちゃまぜになって、目頭が熱くなる。

 だけど今は泣いてしまうなんてもったいない。

 こんな時は、あなたが好きになってくれた私らしく胸を張って。


「ラーラ。俺と結婚してほしい」


 告げられた申し出に、今度こそ迷うことなく笑顔で大きく頷いた。



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