ヒロインになるはずの私と、悪役令嬢だったはずのあなた

餡子

ヒロインになるはずの私と、悪役令嬢だったはずのあなた

 

 とうとうこの日がやってきた。

 私が新たに生まれ落ちた、魔法のあるファンタジー感が溢れる中世の洋風な世界で紡がれる物語の、第一歩だ。

 入学式にふさわしく清々しい朝の空気。晴れ渡った青空の下、王立魔法学院の威厳ある大きな門を前にして拳を握りしめる。


(さぁ、勝負よ! 悪役令嬢モーガン!)


 心の中で戦いの火蓋は切って落とされた。

 ここから私、アンジェリカ14歳の明るい未来を懸けた戦いが始まる!



 ヒロインらしく淡いピンクがかった金髪をさらりと靡かせる。私服の上から羽織っている肘丈ショートローブの制服を翻し、凛と背筋を伸ばして校舎までの白い石畳を歩き出した。

 指の先にまで神経を張り巡らせて優雅に。足の踵は軽やかに見えるよう歩く。

 物心ついて、前世を思い出した時から訓練して培ってきた可憐さだ。前世で乙女ゲームオタクだった自分が、徹底的にキャラとの解釈違いを起こさないように日々努力した結果でもある。

 残念ながら天然ものではない養殖だけど、頑張って磨いたヒロイン力を見るがいいわ!


(いけない、これでは悪役っぽい……)


 しかし、私の脳内は見た目の可憐さが覆い隠してくれているはずである。

 卵型の整った顔立ち、未来を夢見て輝く大きなピンクの瞳。この姿は見る者の目を奪うだろう。

 今も私を見て、(おっ、可愛い)みたいな顔をしている男子生徒がいる。よし、幸先は明るい。


(絶対に負けないんだから)


 脳裏に浮かぶのは、前世でプレイした乙女ゲームのチュートリアル。



 私には前世の記憶がある。

 頭が心配されそうなので、誰にも言ったことはない。それに前世の私はソシャゲと読書が趣味の、しがないOLだった。死因は思い出すと現世の精神に問題をきたすのか、よく思い出せない。だが、どこにでもいるオタク女子だったことに間違いはない。

 そんな私が、大好きだった乙女ゲームの世界に生まれ変われたなんて!


 しかも、もしかしてヒロイン!?


 気づいた時には、もちろん大歓喜した。脳内で天使がラッパを吹き鳴らし、タンバリンをサンバのリズムで叩いたほど。

 しかし同時に、責任重大だとも思った。

 だって私は、頑張り屋で優しいヒロインが大好きだったから。

 そんなヒロインの立場に、私? 嘘でしょ……柄じゃない。

 思い至ると顔から血の気が引いた。絶対に解釈違いは出来ない。ゲームのヒロインとかけ離れたヒロインになるのだけは、自分自身が許せない。


 私は理想のアンジェリカに、なる!


 そこからは必死に努力した。

 ヒロインとはいえ、アンジェリカは平民。希少な治癒魔法の才能を見出されて、貴族が主に通う王立魔法学院に入学することになる。物語は、そこがスタート地点。

 そこに至るまでに、自分磨きは怠らなかった。

 ヒロインは一日にしてならず!

 基礎体力は大事だから、日頃からよく動き回った。いつも笑顔はたやさず。すべてのことに真摯に向き合って。誰にでも親切に。困っている人がいれば手を貸すことは厭わない。

 ヒロインらしい自分になる為の努力は苦ではなかった。むしろよりヒロインらしくあらねば、と燃えた。

 そして、時間があれば図書館に通って魔法書を読み漁った。

 独学だけど魔法の勉強はとても楽しかった。治癒魔法以外はマッチ程度の火を起こすくらいしか出来なかったけど、自分で魔法が使えるなんて夢みたい。根はオタクなのだ。楽しくないわけがない。貪るように魔法書を読んでは実践した。

 やっぱり治癒魔法以外はほとんど成功しなかったけど……。



 そんな、ある日のこと。

 街に来ていた貴族が、暴走した馬車で大怪我をしたところに遭遇した。咄嗟に治癒魔法で治したことで、王立魔法学院への入学切符を手に入れたのだ。

 あの時はとにかく必死だったから、そこまで考えてやったことではないものの、よくやったわ私! これでこそヒロインよ!

 この頃には私の最終目標は王宮魔法士になることだったけど、入学が決まったことで学院でイケメンとの恋も最高に楽しみにしていた。

 ……。

 悪い!?

 何も攻略対象全員にちやほやされたい、なんて言わない。これはゲームじゃなくて現実なのだから、好きになる人は一人だけでいい。

 夢のような恋をしてみたいだけ。たとえ学院在学中だけであっても。

 平民が貴族と結婚できるとまでは、さすがに思っていない。たとえばメインヒーローは王子だけど、未来の王妃なんて恐れ多すぎるし、無理だとわかりきってる。

 だからほんの一時、甘い夢を見せてもらえたらいいの。せっかくヒロイン力を磨いてきたのだし!

 しかし、そんな私にも不安材料はあった。乙女ゲームの定番、ライバルの存在である。


 その名も悪役令嬢、モーガン。


 事あるごとにヒロインの恋路を邪魔して立ちはだかる、黒髪縦ロールときつい紫の目が目印の侯爵令嬢モーガン。


(ゲームでは、本っ当に邪魔されまくったのよね)


 思い出すだけで脳内で歯噛みしたくなる。

 前世の私はやり込みタイプだった。ゲームは全部のキャラを攻略したいし、スチルもすべて集めたい。レベルはマックスまで上げる。裏ルートもきっちり回収派である。

 だが、ちょっとでも攻略対象の好感度が足りなければ、モーガンには徹底して邪魔をされた苦い記憶が蘇る。

 ここぞという時に、デートイベントに割り込まれたり。ミニゲームイベントでは、負けると憐れみの目を向けられたり。

 「アンジェリカさんはよくやってらしたわ」と憐れんで言われる度にギリギリした。悪役らしく高笑いされないことが余計に腹立たしい。

 何度セーブデータからやり直し、ミニゲームに挑み、周回しては素材を集め、せっせと攻略対象とのレベル上げに勤しんだことか。

 そんな悪役令嬢モーガンは、ヒロインと同学年設定。この学院に現れるはずである。

 ゲームと違ってセーブできない今、全てが一発勝負。


(負けるわけにはいかないっ)


 別に逆ハー狙いなわけでもない。誰かたった一人との恋を貫けたらいいの。

 改めて自分に言い聞かせたとき、鼻先を白い花びらが掠めていった。ゲームのオープニング通りだ。


(ここで道を逸れなきゃ!)


 校舎まであと少しというところで、花びらに誘われるように道を脇に逸れる。

 これはゲームの最初のイベント狙い。もちろん遅刻しないよう、時間も早めに出てきている。完璧だ。

 少し歩けば、学院設立時からあるという古く大きな木の元に辿り着く。ハラハラと舞う白い花びらが雪のように美しい。

 そこで出会うのは。


「えっ。誰!?」


 思わず声に出ていた。

 いや、だって、ほんとに誰!?


(王子様じゃないんだけど!)


 木の下に佇んでいる人は、見知らぬ人だった。

 ここで最初に出会うのはメインヒーローである王子だったはず。王子は敷居が高すぎるので王子狙いではなかったけど、ちょっとはご尊顔を拝見したい……そんな下心でやってきたのに。

 声に驚いて振り返った人は、まだ幼さが残る柔らかい頬の顔立ち。私と同じ新入生かも。

 背の半ばほどの長い黒髪は後ろで三つ編みに纏められていて、振り返った顔は視界が悪そうなほど前髪が長い。

 目が遮られているから、暗い印象になってしまっている。だいたい、目に悪そうよ。大丈夫? とはいえ、初対面で言えることでもない。

 ローブの下の服は貴公子然とした立派な誂えの服装だけど……本当に、誰?

 まさか、私はゲームのタイトルを勘違いしていた!?


「君は……」


 愕然とする私を見て、澄んだ綺麗な声が聞こえてきた。女の子みたいな。

 ここで今更だけど、相手が貴族なことを思い出した。慌てて見よう見真似のカーテシーをする。


「アンジェリカと申します。この度、こちらの学院へ入学させていただくことになりました」

「うん。知ってる」


 降ってきた綺麗な声は、ちょっと笑みを含んでいた。

 なぜ私を知ってるの!?

 驚いて顔を上げれば、相手の口元は柔らかく微笑んでいた。けして馬鹿にしているわけではない。なぜか嬉しげな笑みで驚く。


「平民で入学したという、珍しい治癒魔法を使える子でしょう?」

「あっ、はい。そうです」

「よく図書館で魔法書をたくさん読んでいたよね」

「どうしてそれを!?」


 貴族ばかりの学院に入学できる平民はほんの一握り。平民でも富豪の子ばかりだ。私のように、街の警備隊員である父と機織りが上手な母、という一般庶民はまずいない。

 魔法の才能だけを見出されての入学となれば、周りの興味を引く対象であることはわかっていた。目立つだろうことも覚悟してきた。

 でも、図書館通いをしていたことまで知られていたのはさすがに驚く。

 目の前の子は微かに小首を傾げる。さらりと前髪が揺れ、葡萄色の瞳が僅かに覗いた。


「図書館でよく見かけていたから。風魔法と水魔法と光の屈折を利用した遠隔映像投影に関する研究文を読んでいたのは、君でしょう?」

「ええ、そうです。なぜ、それを……」

「本の貸し出し人欄から。それと、君が借りていく姿を見かけて……みんなが夢物語だという魔法を真剣に考えてる人が私以外にいるなんて、嬉しかったんだ。遠くの人と映像付きで話せたら、やっぱり便利だよね。ぜひ実用化させたいと思っていて」


 目の前の人は急に早口になると、畳み掛けるように話しかけてきた。

 こ、これは……馴染みのあるオタク特有の現象! 同志の気配!

 しかも話す内容は、スマホを知る私からするととても興味深いことだった。思わず大きく頷く。


「他にも、時間を置かずに文字を瞬時にやりとりできたら便利だと思わない!?」


 前世のSNSみたいに! とは口に出せないけど。

 前世のスマホや、誰かと萌え語れるツールが魔法で出来ればいいのに、と私も考えていた。

 生憎と私にそういった魔法の才能はないみたいだけど、同じ魔法オタクに出会えたことで熱く答えてしまった。気づけばお互いの距離は近づいていて、手を伸ばせば握手できそうに縮まっている。

 というか、お互いに手を握り合いそうになっていた。

 そこで目の前の人は我に返ったようだった。慌てて手を後ろに回して、恥ずかしそうに笑う。


「ごめんね。熱くなりすぎたみたい」

「いいえ、こちらこそ……っ」

「自己紹介もまだだったね。私はモーガン。モーガン・リンメル。リンメル侯爵家の末子だよ」

「モーガン……?」


 まあ、どこかで聞いた名前。侯爵家の末っ子のモーガン。

 ……。

 それって、悪役令嬢モーガン!?

 黒髪縦ロールが目印のモーガン!? 確かに黒髪だけど三つ編みだし、しかしよく見れば目は紫。声は可愛いけど、なぜか男の格好をしているあなたが……

 モーガン!?


(どうして、そんなことに!?)


 動揺して固まる私を見て、悪役令嬢だったはずのモーガンははにかんで笑う。ちょっと可愛い。


「もし良かったら、仲良くしてほしいな」


 躊躇いがちにモーガンが手を差し出してくる。長い前髪の合間から僅かに綺麗な紫の瞳を覗かせて、紛れもない好意を滲ませながら。

 出会ったばかりでなぜ男装してるのか聞けないけど、こそばゆさを感じさせる反応は可愛かった。

 そして何より感じる、私の同類と思わせる魔法オタク臭。

 友達に、なりたい……っ。

 気づけば、「喜んで!」とモーガンの手を両手で強く握っている自分がいた。




 ***


 かくして、半年も経つ頃には私とモーガンは親友になっていた。



 入学当初は平民ということでからかわれたりしていたところを、同じクラスのモーガンはいつも庇ってくれた。よく気にかけてくれて、困った時にはさりげなく手を貸してくれる。それを恩に着せたりもしない。


「アンジェが頑張り屋なことは、皆すぐにわかるよ」


 そう言って励ましてくれた時には、ちょっと泣きそうになった。


 悪役令嬢だったはずのモーガンは、実際にはとても優しい人だった。


 今では私も必死に勉強して成果を出していき、周りの反応も他の人達と変わらないものになってきた。むしろ平民なのに貴族のトップクラスについてきていることで、好意的ですらある。

 モーガンとは魔法の話が合うこともあり、毎日のように一緒にいる。

 おかげで、他の攻略対象との好感度アップが全く出来ていなかったりする……。

 その点では、モーガンは正しく悪役令嬢の役割を果たしている。私は負けっぱなし。でも仕方ない。


(他の子と仲良く話してると、モーガンがしょんぼりするんだよね)


 モーガンは前髪を重く下ろしているからか、魔法大好き人間だからか、魔力も飛び抜けて高いからか、それとも今も毎日男装しているからか……あまり友達がいない。

 だから私が誰かに誘われると、肩を落とす。

 遠慮がちに「アンジェと一緒にいたいな」なんて申し訳なさそうにねだられたら、「喜んで!」以外の返事なんて出来ない。

 私にだけ甘えてくる姿を見れば、可愛い以外に言葉はない。頼られれば嬉しくもある。今では一番の友達だ。

 そんな関係を築いているけれど、私は未だにモーガンが男装をしてくる理由は訊けていない。


 たとえばもしモーガンも、乙女ゲームの記憶を持つ転生者だったら?


 そう考えたこともある。

 私の前世の趣味は読書でもあった。特に恋愛小説が好き。

 その中で、「乙女ゲームの悪役令嬢に生まれ変わってしまった転生者が、断罪回避に立ち回る」小説が流行っていた。

 それに則るならば、物語が始まる前に攻略対象達を籠絡して、逆ハーレムを築いた方がはやい。

 単純に攻略対象を攻略するのが面倒で、いっそ関わらないよう男装という斜め上の対策に至ったの?

 しかし、転生者にしては発想が前世の文明の利器を知っている風ではない。

 私がスマホやSNSのようなものが出来たら便利だと言えば、SNSに至っては初めて聞いたように目を輝かせて食いついてきた。

 話していても、転生者らしい片鱗はない。

 もし転生者だとしても。私から「転生者なの?」なんて聞いて同類だったら、私が天然ではなく養殖型ヒロインだとバレてしまう。

 そんなことは出来ない。やはりヒロインには生まれながらにヒロインでいてほしいという、これは私の意地。


(やっぱりお家の事情なのかな)


 モーガンの家は五人家族で、上に二人お兄さんがいると聞いた。

 女の子が生まれたら蝶よ花よと育てられそうだけど、上の二人に似て男勝りに育ってしまったのかもしれない。

 どちらにしろ、貴族令嬢が男装して過ごしているなんて、よほどの事情があるに違いない。周りの生徒達もモーガンが男装していることに触れない。きっと触れてはいけないことなのね。

 例えば実はお家が貧乏で、お兄さん達のお下がりの服を着ているとか……。家庭の事情はなかなか言えないよね。

 だからモーガンが話してくれるまで、待つことにしている。

 ちなみにいつも三つ編みなのは、髪の癖が強すぎるから抑える為みたい。解いたら縦ロールになるのかしら……いえ、そこは触れないでおこう。

 今となっては、男装していてちょっと変わっているけど、モーガンは大事な友達。



 そんな大事な友達が、来週、誕生日を迎える。



 その日の為にいま私は教室を出たところで、平民だが豪商の息子とこっそり話していた。

 尚、彼は攻略対象の一人でもあった。


「アンジェリカ、君が言っていた条件の店があったよ。この坂を降りたところのパン屋がある通りを進んで、右手側の水色の扉が目印の店だ」

「ありがとう、ジェームス。これでモーガンにプレゼントをしてあげられそう!」

「アンジェリカは本当にモーガンが好きだな」

「うん! もちろん」

「教えたお礼に、僕とデートしてくれたりはしないの?」


 ジェームスは芝居がかった態度で、長身を屈めてこちらを覗き込みながら茶化してくる。

 しかし、彼は皆にこの調子である。


「ジェームスにはデートの順番待ちをしてる子がたくさんいるでしょ」


 柔らかそうな栗色の髪は気だるげに流されていて、ちょっと軽い感じの男の子だけど、女の子には優しい。そして情報が早い。

 今の私の彼に対する感想は、それだけ。自分でも思ったより、あっさりとしている。他の攻略対象に対しても、執着はなかったりする。

 だってモーガンの方が、時々かっこよくて可愛かったりするのだもの。

 前世で女性だけで構成された劇団が大人気だった気持ちが、今ならわかる。もしモーガンが舞台に上がるならペンライトを振って、自家製の推しうちわも作る自信もある。ヒロインらしくないから、脳内だけでだけど。

 そんなことを考えていたら、不意に目の前ににゅっとモーガンが生えてきた。

 びっくりした。さっきまで教卓でプリントを集めていたはずなのに。


「そうだよ、ジェームス。でも、いろんな子にいい顔するのは感心しない」

「またうるさいヒーローが来たな」


 間に立ったモーガンを見て、ジェームスは苦虫を噛み潰した顔をする。きっとモーガンは私がジェームスにからかわれていると思って、心配して来てくれたんだろう。

 それにしても、令嬢に向かってヒーローとは失礼な。

 そう思って口を開き掛けたけど、私より早く「アンジェが絡まれてたら、当然来るよ」とモーガンは涼しい顔だ。気にした様子はない。

 モーガンはやっぱり上のお兄さん達に憧れているのかな。ヒーロー扱いされたら嬉しいのかもしれない。本人がそれでいいのなら、いいんだけど。


「そんなことばかりしてると、肝心な時に振られるよ」


 モーガンに苦言を呈されて、ジェームスは「はいはい」と生返事をしながら踵を返した。その背に「情報ありがとう!」ともう一度伝えれば、ひらりと手を振られた。

 すぐにモーガンが私を振り返り、「情報?」と首を傾げる。


「ジェームスには行きたいお店の場所を教えてもらっていただけなの。心配させてごめんね」

「どこに行きたいの。一緒に行ってもいい?」


 モーガンは寂しがり屋でもある。本当は内緒で買いに行きたかったけど、そんな捨てられた犬みたいな態度をされたら仕方ない。


「うん、一緒に行こう。でもモーガンにはつまらないお店だったらごめんね」

「アンジェと一緒ならどこでも楽しいよ」


 微かに口元を綻ばせてそんな嬉しいことを言われたら、男装しているせいもあってちょっとドキッとさせられる。相手はモーガンなのに照れてしまう。

 しかし、それよりモーガンの声が気になった。


「声の掠れ、なかなか治らないね。大丈夫?」


 ここ最近、モーガンの澄んだ綺麗な声が掠れてしまっているのだ。

 私は治癒魔法が得意だけど、残念ながらまだ目に見える傷しか治せない。力になれないことが心苦しい。


「痛いわけじゃないから大丈夫。そのうち落ち着くよ」


 モーガンは掠れた声のまま楽観的に言ってのける。元の声を思うと痛々しい。本当にすぐ治ればいいんだけど。

 ふと思い出して、ポケットを探った。確か昨日、先生の書類整理を手伝ったお礼にもらった飴がある。

 差し出しながら「早く治るといいね」と言えば、モーガンは嬉しそうに受け取りながら頷いた。




 ***


 モーガンと出かける約束した週末は、すぐに到来した。


 昼少し前の約束で、家を出たら空は雲行きが怪しかった。雨が降りそうで残念。傘を片手に、学院の正門でモーガンと落ち合う。

 現れたモーガンはいつもの制服のローブを着ていないだけで、やはり今日も貴公子の装いである。徹底している。

 並べば入学当初は私と同じくらいだった背が、気づけば少し伸びていたみたい。凛と伸ばされた背はすらりとして、男装もよく似合っている。おかげで違和感がまったくない。

 私はちょっとだけ背伸びをしたワンピース。秋深さを思わせるエンジ色の服装はシックに見えるので、今から行く店でも浮くことはないはず。


「どこに行くの?」

「可愛いアクセサリーを取り扱ってるお店なの。貴族相手には使えない屑石を使ってるけど、質は良くて私でも手が届きそうな物が揃ってるんだって」

「似合うのがあるといいね」


 モーガンは微笑ましげに言うと、私の手を引いて歩道側に私を寄せた。

 こういうこと、さりげなくするから下手な紳士よりドキッとさせられたりするのだ。

 男装の麗人が友人だと悩ましい。見た目だけでなく中身まで紳士だなんて。おかげで他の男の子が目に入らなくなってしまう。けど、嫌じゃないから困る。

 近頃の悩みはそれである。


(もうこのまま友情ルートを突き進んで、一緒に王宮魔法士を目指すのもいい気がしてきちゃう)


 たわいもない会話をしながら街を歩けば、すぐに店に辿り着いた。

 二階建てのお店の看板は目立たないけど、水色の扉で女性向けの可愛らしい造り。昼食より先に買い物を済ませてしまおうと、雨が降り出す前に店に入った。

 小さな店内だったが、思ったより客はいる。同じ学院で見かけたことのある少女達の姿もあってホッとした。あちらは貴族とはいえ、アクセサリーが並ぶ棚を覗き込む同年代の姿は心強い。


「私も少し見て回っていいかな?」

「もちろん!」


 そしてどうやら男装していても、モーガンも女の子らしい気持ちはあったみたい。興味深そうに視線を巡らせていたので、願ったり叶ったりで頷いた。

 店内で別れてすぐ、髪留めコーナーに向かう。

 今日は前髪を止めるピンを買いにきた。もちろん、モーガンにプレゼントする為に。

 密かに治癒魔法の勉強がてら診療所の手伝いをして貯めた給金なら、モーガンでも使いやすいシンプルなピンくらいは買えるはず。

 髪留めコーナーに陣取り、じっくりと商品を見る。

 これは派手、こちらは形がいまいち、あちらは素敵だけど財布事情が許さない。吟味していると、葡萄色の小さな小さな石がひとつ嵌め込まれたピンを見つけた。

 形はシンプルで、これなら男装のモーガンでも似合いそう。

 即座にお金を払い、包んでもらおうとしたけどすぐに使ってほしくて、そのまま受け取った。カバンに入れたところで、モーガンも私のところに戻ってきた。


「モーガン、もう良かったの?」

「うん」


 モーガンも気に入ったものが買えたらしく、機嫌が良さそうに見える。良かった。

 店を出て早々に、モーガンが話しかけてきた。


「アンジェ。これを貰ってくれる?」


 その手に差し出されているのは、優しいピンク色の紅水晶のブローチだった。

 尚、石は大きい。とても大きい。先日モーガンにあげた飴玉くらいのサイズ。はっきり言って、高そう。多分これは店の二階の高級品コーナーのお品!

 思わずギョッと驚いて、目を瞬かせてしまう。


「そんなにすごい物もらえないよ!」


 誕生日でも躊躇する。私の誕生日はまだ先の春だし。

 慄いて遠慮する私を見て、前髪の合間から覗く紫の瞳がちょっと悲しそうに見える。

 でもそんな顔しても絆されないんだから!


「実は、これで実験に付き合ってほしくて……」

「実験に」

「私も色違いを買ったのだけど、対になっているから遠隔地で水晶を使った光の屈折を利用して、お互いの姿を見ることができる魔法の研究がしたくて」


 同じ形の紫水晶のブローチも見せてくれる。早口で言われた内容は、実にモーガンらしい提案だった。

 なるほど。そういうことなら借り受けるのは問題ない。万が一、紛失した場合の弁済を考えると胃は痛いけど……。


「わかった。じゃあ、借りるね」

「貸すんじゃなくて、貰ってほしい。実験に付き合ってもらう対価でもあるし、それに……アンジェとお揃いにしたい」


 恥じらいながら、そんな可愛いことを言われたら! しかもまだ声が掠れていて哀れさも滲ませているせいで、受け取らないわけにはいかないでしょう!? 


「ありがとう。嬉しい。すごく。大事にする」


 おそるおそる手を伸ばし、ブローチを受け取った。曇り空の下でもカットが美しくて煌めいている。

 こんなに綺麗なものをもらえるなんて、ドキドキしてしまう。制服のローブに付けて毎日使いたい。

 なにより、モーガンに贈られたことが嬉しい、なんて。私は男装姿に惑わされてしまってるんだろうか。

 それでも嬉しくて堪らずに微笑んだ私を見て、モーガンの唇も安堵を滲ませて微笑む。モーガンも嬉しそうなことがくすぐったい。


「こんなに素敵なブローチの後で、恥ずかしいんだけど。私もモーガンにあげたいものがあるの」


 カバンを探り、先程買ったばかりのピンを取り出した。


「付けてもいい?」


 確認すれば、戸惑いながらも頷かれた。手を伸ばして、モーガンの長い前髪を横にまとめてピンで留めてあげる。


「すっごく似合う」


 前髪に隠されていた顔はスッと伸びた鼻梁に、吊り上がり気味の葡萄色の瞳が鮮やかだ。特に瞳は神秘的で、思わず見惚れた。

 これを隠すなんて、全人類に対する損失よ。

 以前、モーガンが前髪を長く伸ばしているのは、目つきが鋭くて睨んで見えることを気にしているからだと聞いた。確かにきつい印象だけど、露わになった顔立ちは涼やかで、誰が見ても美しい。


「全然、睨んでなんて見えない。モーガンは世界一綺麗だよ!」


 いつまでも前髪で視界を遮っていたら、視力も心配だしね!

 満面の笑顔で伝えれば、モーガンは照れつつも困惑しているのか眉尻を下げた。


「きれい……」

「うん! とびっきりの美人だよ!」

「……アンジェの方が世界一かわいいよ」


 モーガンは狼狽しつつ、そんな賛辞を言ってくれた。それに関しては、ヒロインとして頑張って肌の手入れも欠かしてないからね! ちょっとは自信あるよ!

 そんな会話をしていた時だった。

 急に周囲から、カンッ!カンッ!カンッ!と鐘を激しく打ち鳴らす不吉な音が響き渡った。


「!」


 モーガンも私も息を呑む。

 これは、火事の知らせだ。

 鐘の音は危険を訴えて、ひたすら鳴り続ける。慌てて首を巡らせれば、道の先に黒く細い煙がたなびいて見えた。あちらはレストラン街だ。道幅も狭く、小さな店が密集している。ちょうど昼時なこともあり、厨房で火が上がったのかもしれない。

 あんな場所で火事が起きているなら、大惨事になる。


「ごめん! 私、行くね!」


 咄嗟に染みついたヒロインの習性で、気づけば火事の方へ体が向いていた。私の治癒魔法は外傷にしか効かないけど、あまり癒し手はいないので現場は助かるはず。

 怖くないと言ったら嘘になる。けれどここで立ち竦んだら、私の目指したアンジェリカじゃない!

 逃げてくる人が走ってくる方向へ駆け出そうとしたら、不意に驚くほど力強く腕を引かれた。振り返れば、私の腕を掴んで厳しい顔をしたモーガンと目が合う。

 止められるんだろうか。まだ学生なんだから、危なくない場所に避難するのが普通だもの。

 でも!


「アンジェは止めても行くだろうから、後ろをついて来て! 多少は私の魔法も役に立つはずだ!」


 言うなり、モーガンは私の前を駆け出した。

 逃げてくる人達を露払いしながら逆走して、最短で火事の現場へと向かっていってくれる。その背を追いかけて走る途中、ポツポツと雨が降り出して頬を叩いた。

 鬱陶しいけど、この雨は僥倖かもしれない。水魔法が得意なモーガンには、この水はきっと大きな助けになる。

 現場にたどり着くと、道が狭いせいで場は騒然としていた。警備隊が駆けつけているけど、魔法士の数が圧倒的に足らない。


「すぐに消し止めるから、アンジェは安全な場所で怪我人の救助を!」


 モーガンは鋭い声でそう言い置くと、すぐに手に水魔法の陣を張りながら、火事の現場へと駆け込んでいった。その姿に、不安と心配が溢れ出してぎゅっと胸が痛くなる。

 もう周りには黒い煙が充満していて視界も悪い。焦げ臭い匂いと怒号が響いていた。一瞬、体が竦みそうになりかけた。

 だけど私はヒロイン、アンジェリカ! 

 大好きなアンジェリカなら、ここで怯んだりするもんか!


「私は治癒魔法が使えます! 道を開けてください! 怪我人は私の元へ!」


 声を張り上げれば、すぐに警備隊が気づいてくれた。警備隊員であるお父さんの姿もある。

 煙を吸った人達をどれだけ助けられるかはわからない。ここまで来たら、全力を尽くすのみ。


「私の娘は治癒師だ! あの子の元へ怪我人を運んでくれ!」


 そこから先は必死すぎて、あまり覚えていない。

 ただ途中で空に稲妻が走って、超局地的な豪雨が滝の如く降り注ぐのは視界の端で見た。とんでもない魔力量だから、きっとモーガンが頑張ったんだ。

 私も運ばれてくる火傷を負った人を片っ端から治していく。煙を吸った人も口を開けさせて、覗き込んで『治れ! 治れ!』と魔力を流し続けた。

 外傷しか治せないはずが、レベルが上がったのか咳き込んで息を吹き返してくれる人を見た時は、安堵で泣きそうになった。

 そうして、がむしゃらに治療を続けてある程度の怪我人が落ち着いた時。

 雨雲が去った空は赤く夕陽が滲んでいた。昼から夕方まで、ずっと治癒魔法を使い続けたことになる。

 でも、まだ私は倒れるわけにはいかなかった。ひと段落したところで、ふらふらの体で立ち上がる。


「モーガン……私の友達は、どこですか! 黒い髪の、貴族の男の子の格好をしてるんです」


 見かけた警備隊に訴えると、功労者であるモーガンはすぐに見つかった。魔力の使いすぎで倒れたので、違う場所に寝かせられていたのだ。


「モーガン! 大丈夫!?」


 急いでモーガンの元に駆けつければ、服は灰で黒く汚れていて、顔色も悪い。外傷がないことは確認したけど、寝かせられた姿に向かって必死な形相で呼びかける。

 すると閉じられていた目がうっすらと開かれた。私を見て、ホッとしたように柔らかく微笑む。

 ばか。自分の方が危ない場所にいたくせに。


「よかった、アンジェ……。ね、私は、かっこよかった?」


 疲れてるくせに自信を滲ませるその表情には、不覚にもドキッと胸が高鳴った。それどころじゃないのに、さっきは綺麗だと思ったモーガンがかっこよく見えてしまう。


「バカ! かっこよかったけど、無茶して! 声、ガラガラじゃない!」


 あんなにも綺麗な声だったのに。嗄れた声はひどい音だった。きっと煙を吸ったのだ。前より格段に悪化してしまっていた。

 私も魔力切れを起こしそうだけど、モーガンの喉に掌を掲げて強く念じる。取得したばかりの体の内側、喉も治す魔法。

 治れ。治れ。元の健康な喉に!

 手のひらに集まった柔らかい熱が、指先からモーガンの喉へと染み込んでいく。


(お願い、モーガンの声を治して!)


 確かに、治った、という手応えを感じた。すっと掌から力が抜ける。

 これできっと、元のモーガンの声に……


「すごいね。声、ちゃんと出る」


 ならなかった。


 声が、低い。

 煙を吸ってガラガラなのは治っているけど、低い。明らかに女の子の澄んだ声じゃない。かっこいい声に聞こえるけど、これは……!

 まさか、治癒魔法を誤った!?

 愕然として動揺のあまり動けない私の前で、モーガンが気怠そうに上半身を起こした。ただモーガンは、自分の声にそれほど驚いてはいないみたい。

 あきらかに男の人みたいな声になってるのに!?


「どうも声変わりまで、治ったみたいだ」

「声変わり!? なんで!?」


 予想もしなかった言葉を反射的に聞き返せば、モーガンは困った顔をした。


「男だからね」


 は? ……え? ええっ!?

 男だから、って。


「モーガン、男の子だったの!?」


 悪役令嬢だから女の子だと、ずっとそう思ってきたのに!?


「もしかして誤解されてるかな、と思ったことはあったけど……どうして男の格好してるのに誤解されたんだろう」


 モーガンがちょっと遠い目をする。ごめんなさい!

 だって、悪役令嬢に何か事情があると思い込んでいたからで……

 でも私が天然物ではない養殖型ヒロインだったみたいに、悪役令嬢が男に生まれていたとしてもおかしくない。ゲームはあくまでゲームであって、その通りの現実になるわけではないのだから。

 道理で、モーガンが男装していることに誰も突っ込まないはずよ。

 だって、男の子だったのだから!


「誤解が解けたところで、言っておきたいんだけど。私としては、そろそろ親友から進んでもらいたいと思ってるんだけど……どうかな?」


 葡萄色の瞳が伺うように私を覗き込んでくる。今までとは違う魅惑的な声に鼓膜が震えた。

 一気にドキドキと心臓が跳ね上がるなんて、私は単純だ。

 だけど、ちょっとだけ待って。まだ頭と心の整理がついてないから!

 でもきっと私は、モーガンが女でも男でも大好き。実際、モーガンがいたから他の男の子なんて目に入らなかったのだから。

 なにより。

 私の気持ちを尊重して、こんな格好いい姿まで見せてくれた人に、心が揺さぶられるのは当然のことで。



 近い内に悪役令嬢だったはずのあなたは、親友兼、恋人に進化しそうです。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

ヒロインになるはずの私と、悪役令嬢だったはずのあなた 餡子 @anfeito

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ