其の四 黒猫のいたずら(アラン視点)

 紗由は以前にも増してよく笑うようになったとアランは思う。


 今日も美鈴の家に招かれ、『ハロウィンパーティー』をしたのだと教えてくれた。内容を聞くと、本来の趣旨とは少しずれているような気もするが、楽しい時間を過ごせたならそれでいい。


 夕食の後、アランが居室でまだ読み切れていなかった新聞に目を通していると、背後から、ちりんと軽やかな音が聞こえた。


 気配で紗由だとわかるが、どうやら柔らかな足音を立てないように気をつけているらしい。それでも小さな鈴の音でこちらに近づいているのは明白なのだが、ここは気づかないふりをしていた方がいいのだろうか。


 アランはテーブルに広げた新聞の文字を目で追いながらも、意識だけは紗由の方に向く。


「アラン先生、これ、美鈴さんが考えた衣装なんですけど、ぜひ先生にも披露してあげてと言われて……」

 いつも以上に控えめな声が、隣に立つ彼女の口から紡がれる。


 たしか仮装をしたと言っていたなと目線を上げれば、普段との差が大きすぎて思わず息を呑む。


 黒と紫の膝丈ドレスで、胸元や裾にちりばめられた小さな鈴が愛らしく輝いていた。黒絹の長い靴下がしなやかな脚を包み、頭には小さな猫耳の髪飾りがちょこんと載っている。


 普段の紗由の大人しさとはまるで別人のようで、その倒錯的な魅力に、一瞬心臓が止まりかけた。


「さ、紗由……っ?」

 アランは慌てて口元を手で覆い、目を逸らす。だが、ちらりと視線を戻してしまい、彼女の可愛らしさに耐え切れず、さらに顔が赤くなる。


「え、待って……無理」

 独り言のように呟くが、それはあまりにも小さな声だったので、紗由にははっきり聞こえなかったらしい。


「え、えっと……お菓子をくれないと……いたずらしちゃいますよ?」

 紗由は一生懸命怖がらせようとしているのか、両手を広げ、指を爪のように曲げて、眉をきゅっと上げる。


 当たり前に可愛すぎて卒倒しそうになるのをぎりぎりで耐えた。


(むしろいたずらしてくださいなんて不埒なことを考えた俺を許してくれ)


 必死で冷静さを保とうとするアランの隣に、紗由がちょこんと座る。動くたびに鈴が鳴るのがいちいちかわいい。


「……なんて、先生がお菓子ないのに無理なことを言ってすみません。これ、よかったら一緒に食べませんか? ハロウィンの夜にお菓子を食べないと魔物の世界に連れていかれてしまうんだそうですよ。だからお菓子を持っていない人には、食べさせて守ってあげてって美鈴さんが言ってました」

 紗由は小箱の蓋を開けた。そこにはチョコレートが入っている。


「……紗由が、俺に食べさせてくれるの?」


「はい!」

 彼女は大真面目だ。


 美鈴が嘘だとわかっていて紗由に教えたのか、そもそも美鈴自身がハロウィンのことを勘違いしているのかわからないが――。


 どちらかというとアランはの者だ。それなのに紗由はアランを守ってくれるという。


 あまりにも純粋で健気で愛しくて、締めつけられるような恋情が胸を焦がす。

 アランは紗由の手を優しく握り、彼女との幸せな未来を強く願った。



 ――それと、俺の理性が紙切れみたいに吹き飛ばなかったことを、誰か褒めてほしい。




 ――了――

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帝都紅婚姻譚~ひとりぼっちの私が彼の最愛になるまで~ 宮永レン @miyanagaren

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