第25話 季節は穏やかに
アランと共に家に帰ってきた後、貧血気味の紗由は、数日間布団に横になって休んでいた。しず子には事件のことを話せなかったので、風邪をひいたと説明してある。
それからしばらくして、すっかり体調も良くなったので少しずつ家事を再開していた。
十月に入った最初の土曜日、加賀見が家を訪ねてきた。今日はいつも通り、前髪をしっかりと後ろに撫でつけているので、その鋭い視線がはっきりと見える。
応接室の隣にあるサンルームに彼を通したアランは席の一つに腰かけた。日本茶を人数分用意した紗由も同席すすることになった。
「新聞等ですでにご存じかもしれませんが、今回の事件、
窓から入ってくる日差しに目を細めながら加賀見は切り出す。
「はい。そう書いてありましたね」
紗由は頷いた。
華族が犯罪に関わっていたという事実は世間に大きな衝撃を与えた。それこそ、犯人が吸血鬼などという噂があっという間に消えてしまったくらいには。
「藤堂は、ディルクの作った薬に依存し、体調をひどく崩していたんですよ。このままでは死ぬとブラックウッド先生が脅したことも効果があって、治療できるなら罪を償うと言ってきたのです」
「脅したなんて人聞きの悪いことを言わないでください」
彼はにっこりと笑って加賀見に言い返したが、笑顔の裏にそこはかとなく圧力のようなものを感じるのは気のせいだろうか。
「俺が血の衝動を抑えるために服用していた薬――父が調合してくれた薬は吸血鬼の血にも対抗できると思ったんだ。案の定、藤堂は明らかに精神も安定してきているよ」
アランの説明を聞いて、彼女は安堵の色を浮かべ頷いた。
「正直、彼がどこまで責任を取るかは微妙なところです。ただ、これで藤堂家は社会的な失墜が免れない状況でしょうな」
加賀見は長いため息をついた。連日の捜査での疲労が残っているのだろう。
「新聞には載っていないことを一点。別邸から助け出されたあなたの従姉は先日無事に帝都大学病院を退院されたそうです」
「千代子さんも攫われていたんですか?」
紗由は驚いて目を丸くする。
「部下があなたと間違えて攫うよう朔太郎に命じたらしいですが、ディルクに脅されて紗由さんの居場所を教えたそうです。あなたが攫われた理由、何か心当たりはありますか?」
加賀見は一息つくと、湯呑に手を伸ばし、静かに茶を啜りながら紗由を見つめてきた。
「ディルクは……私の血が特別だと言っていました。アラン先生のおっしゃる『特別な存在』とは違う、命脈、とかなんとか……」
「それは吸血鬼の力を増幅させる血液のことだ。細胞を活性、再生化させ、治癒の力をもっているという。滅多に存在しないと父が言っていたが、まさか君がそうだったなんて……」
アランが少し困惑した顔で呟く。
「吸血鬼なら匂いでわかるらしいが、俺の中では『特別な存在』としての認識の方が大きいから、気づかなかったな。もしわかっていたなら、もっと奴の出方を警戒できたのに」
「先生が私を『特別』 だと思ってくれているだけで嬉しいです」
そう紗由が答えると、アランは自分を責めるような表情をやわらげ、微笑を浮かべた。
「私、小さい頃に両親と同じ車に乗っていて事故に遭っているんです。車は炎上して両親はたぶん即死……だけど、私はかすり傷一つない状態で保護されたんです。もしかして、それも何か命脈というのが関係しているんでしょうか?」
「その可能性は否定できません。我々特務捜査局にも特異体質を持つ者がいます。あなたもその一人かもしれない。紗由さんが訓練を積めば、その力を制御できるかもしれませんがね」
加賀見は少し考えた後に答えた。
「訓練……」
紗由はその言葉に戸惑いを感じた。
「紗由さんをこれ以上危険な目に遭わせるつもりはありません。彼女は普通の生活を送るべきだし、俺が守りますから」
アランは紗由の方に身を少し寄せ、その青い瞳に強い決意を込めて言い放つ。
「もちろん、無理にとは言いません。ただ、そういうお力があるのでしたら、そのままにしておくはもったいないと思っただけで」
加賀見は苦笑して肩をすくめる。
「ちなみに、ブラックウッド先生に関しては、監視対象と、上層部の判断です」
「先生は犯人ではないってわかったはずです!」
紗由はムッとした。
「ええ、ですが、人ならざるものを排除するのが我々特務捜査局の仕事ですから。『はい、ご自由にどうぞ』とは言えないのです。処分としないだけ感謝していただきたいものです」
加賀見の説明に紗由は立腹したままだった。
(アラン先生がいなかったら、勝てなかったかもしれないのに)
国民が人間ではない存在を恐れる気持ちもわからないでもないが、なんだか納得がいかない。
「そういえば、篠田家も散々な様子でしたな。藤堂家からのさらなる援助を見越し多額の投を行ったが
叔父だけではなく、叔母の浪費癖も以前からひどかった。遅かれ早かれ、あの生活を続けていれば立ちいかなくなることは、考えればすぐにわかったはずだ。
こういうのを自業自得というのだろうか、あるいは因果応報か。
「では、今日はこの辺で失礼します。また何かあれば、ご連絡しますね」
話が一区切りついたところで、加賀見が立ち上がり、紗由たちに向けてわずかに口角を上げた。
玄関で加賀見を見送った後、紗由は、ふと自分の体を見つめた。
自分が『特異体質』だなんて、今でも信じられない。もし本当にそんな力があるなら、アランが危険にさらされたあの時に、もっと早く助けられたのではないだろうか――そう思うと、無力感が胸に広がった。
「何か考えているの?」
サンルームに戻ってきて、湯呑を片付けているとアランが静かに声をかけてくる。
「もし私に、その……癒しの力とやらがあるなら、アラン先生があんなに躊躇っていた血を吸ったりしなくて済んだかもしれないのにと思ったんです」
紗由はしょんぼりと目を伏せた。
「君は十分頑張ったよ。結果的に俺は助かったんだから、気にしなくていい」
アランはそう言って微笑した。
「それに、何があってもそばを離れないと言ってくれて、嬉しかった。ずっと呪われた血なんじゃないかと思ってきたけど、これがなかったら紗由さんを助けられなかったんだし、俺も自分のすべてを受け入れて生きていこうと思う」
アランは清々しい笑みを浮かべる。
彼の言葉に、少しだけ心が軽くなった。
「紗由さん……、急で申し訳なんだけど、明日俺の家……桐野家の本邸に一緒に行かないか?」
本当に突然、真面目な顔をしてアランが言うものだから、一瞬返答に遅れてしまう。
「本邸に……?」
驚いて彼を見つめた。
「両親に、将来の相手は君しかいないと伝えてあるし、家族も君に会いたがっている」
アランはそう言って、私を元気づけるように微笑む。
「私に会いたがっている……?」
少し遠慮がちに呟いた。
いつのまに話したのだろう。将来の相手がなんの後ろ盾もない自分でいいのだろうか。
(たしかにアランのそばにいるとは約束したけれど、それはつまり、世間でいう所の結婚という形になるわけで――)
紗由は急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にして俯いた。
「大丈夫だよ。君なら絶対に好意的に思ってもらえる」
「で、でも……ええと……うぅ……はい、楽しみにしています」
心の準備ができなくて、もだもだと言葉を濁していたが、ここで断るのもなんだかおかしい気がして、紗由は小さく頷く。
「では、明日」
アランは嬉しそうに目を細めて、私の肩を優しく抱き寄せた。
窓の外には、少しずつ色づき始めた庭木が揺れている。
季節が穏やかに移り変わっていくように、自分たちの未来も少しずつ進んでいくのだと、そんな予感が紗由の胸に広がった。
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