第27話
翌朝。
後宮の北側の一室。他の部屋よりは少し
扉を叩くと、中から「は〜い」という、のんびりとした声が聞こえてきた。
「おはよ〜って、
出てきたのは
「おはよう、小鈴」
「あ、うん、おはよ〜。どうしたの?」
もちろん理由なく訪れたわけではない。というのも私は、昨日から悩んでいることがあるのだ。
「そ、相談があって……」
「まさか恋愛相談? 聞くよ聞くよ〜」
流石は現実で恋している小鈴だ。というのは彼女は、この宮廷に務める若い
私が彼女に相談しようと思ったのも、そういう背景があるから。
「で、ど〜したの? 告白の内容に困ってる……とか?」
「!?」
のんびりとした口調は変わらず、何と当ててきた。
……もしかして、
「告白って、成功か失敗かで人生の運命決めちゃうから、ど〜しても悩むよねぇ〜」
それはそうだ。もし私の告白が失敗したら……その未来は、想像しがたい。
いつも以上に慎重になっていたのは、そういう恐れだろうな。
「告白するのって〜、本当に勇気がいるよね」
馬小鈴はどこか遠くをながめながら、いつもより少し静かな口調で語り始めた。
「でも〜でも〜あの人のことをずっと気にかけていたら、気持ちが収まらないでしょう? だから〜思い切って気持ちを伝えてみるのがいいと思うの〜」
思い切って、気持ちを伝えてみる。
まだ上手く収拾がついていない。これが「恋」なのかも判断ができない。本当に「好き」なのか、気持ちを疑うこともあるけど……。
「私は、恋してるのかな」
「うんうん、してるよ! だってぇ〜、バレバレだもん〜」
バレバレなんだ……少し恥ずかしいけど、自分の気持ちを疑わないで済むなら、いいのかもしれない。
私の気持ちは、恋なんだ。多分。
他の人といるときは感じない、奇妙だけど、ちっとも嫌じゃない胸のときめき……。
「ただ、この後宮の中じゃ、簡単には自分の心を打ち明けられないのが大変よね〜」
そっか……後宮は、愛憎渦巻く裏世界だからね……。
純粋な心というのが少ない地で、この想いを打ち明けるのは気が引けた。
まして……ここで一番偉い人に……。
「でも、機会は必ずくるはず! 楊太守様の様子をよく見守って〜、うまい機会を見つけましょ〜」
……機会はくるのかな……。
分からないけど、きたら嬉しい。
様子を見守って、うまい機会を見つける。なるほど、
「そして、告白する時は、あの人のことも考えながら、素直に自分の気持ちを伝えるのがいいの〜。押し付けがましくならないように、相手の気持ちを尊重することが大切〜」
そうだよね……絆は、一方が力で植え付けるものじゃない。
複数人の同意を得て、うまいこと作り上げるもの。
互いの意思が何より大事……そうだよね、当たり前。
「うまくいかなくても、落ち込まないでね〜。自分の気持ちを素直に伝えられただけでも、とてもすばらしいこと〜」
……失敗しても落ち込まない。気持ちは強く。
素直に伝えられた自分を褒める。絶対忘れないようにしておこう。
「それでも、これからもお互いの関係を大切にしていきましょ〜」
あ、そうだね。変に気まずくしたら、余計関係が悪化するに決まっている。
くよくよせず、へこたれず。
関係を失ってはいけないから。
「私も一緒に頑張るから、玉蘭の幸せが叶いますように〜」
「ふふっ、ありがとう……」
「きっと素敵な思い出が作れるわよ。がんばって!」
最後に小鈴は、ぎゅっと抱きついてきた。
意外に強くて「ちょっと力が強い」と言いかけたけど、小鈴は「私なりの愛情表現だよ〜」と言ってくれた。
ありがとう、小鈴。
やっぱり、持つべきものは友なんだね。
* * *
自分の部屋に戻って、素直に気持ちを伝える練習をする。
でも、でも。
「す、……」
言おうとすると、上手く言えない。
喉の奥で言葉がつっかえるのだ。
何だろう、言葉が口から出ようとするのを、喉が押さえている感覚に近い。
「だ、ダメだ……」
い、いや、
そう体に
い、いい加減云うことを聞いてよ、私の体……!!
素直になれる、それだけでも大きな進展なんだから……!!
というのを、仕事場でも繰り返していた。
「素直になる、素直になる、
はたから見たら、仕事中にどんな独り言を呟いているんだ、と白い目で見られても変ではない。
恐らく理解者は、
まあ、自業自得と言うべきか。何度か
「うっ……」
こればかりは、告白のことに気を取られて上の空だった私が悪い。自覚はある。
今は作業に集中しなくっちゃ……!
「ふうっ……」
深呼吸をして、目の前の品々を今一度ながめた。
* * *
はぁ……はぁ……やっと仕事終わった……。
すっかり傾いたお
「──の」
疲れた……やっぱり公私混同はダメだわ……。
しっかりしないと……という意味で頬をはたいた。
「──らんどの」
ん? 何か……声が聞こえた? 今。
いや、気のせいか……だよね。気のせいだよね。
「玉蘭殿……!」
「!」
え、えっ……よ、楊明さん!?
まさかそこにいて名前を呼ばれるとは思わず、ビクッと肩をすくめた。
ぜ、全然気が付かなかった……。
「大丈夫か? 三回呼んだのに全然気づかなかったぞ」
「す、すみません……」
思わず目線を下げて謝る。
すると楊明さんは途端に
ち……近い……。
「浮かない顔だな。どうした? 何かあったんだ?」
「っ……」
ダメだ。この人の前ではその内容を言えない。
だって……な、内容が内容だから……。
「何かあったら、俺に教えてほしい」
「……っ」
言えない。そのことに罪悪感が
現段階では、私と楊明さんは、従業者と雇用主の関係。何一つ、特別な関係なんかじゃない。
ただ、触れ合う機会が妙に多かっただけ……。
そう思うと、胸がズキンと痛くなって、つらくなる。
もっと、踏み込みたい。そう思ってしまう。
その言葉が、出ない。
「……急に話は変わるが、来てくれるか?」
突然立ち上がった楊明さんに倣って、思わず立ち上がる。
来てくれるか? って……えっと?
「……は、はい……?」
* * *
そう言って来たのは、懐かしの商談の間だった。
そう、私が石峰郷の商品を納品したときの、あの商談の間だ。
「えっと……な、何が……」
「これだな」
そう言って渡されたのは、藍色の表紙の、少し立派に作られた本だった。
題名は「多銭的鉱物百科全書」。
……ってあれ? ていうことは?
「多銭郡の鉱物事典……」
結構前にお願いしたやつだよね……確か積雪で、配達が遅れていたとか。
そっか。雪が解けたから、楽々運べて届いたんだね。
「もとは少し前に届いたんだが、まだ玉蘭殿が復帰してなかったからな……」
はい、そうです。毒を食らって寝たきりでした。
今年の冬は少し大変な目に
「わぁ……! ありがとうございますっ」
こんな素敵なものを本当に手配して下さるなんて……夢かと疑ってしまう。
思わず口角が緩むのを、押さえきれなかった。
「………」
あれ? 何も……言わない?
それどころか、きまり悪そうに目をそらした。
「楊明……様……?」
まあ、かくいう私も、彼を直視することができないんですがね。
「玉蘭殿は……」
「?」
私は……?
「……いや、何でもない」
「話して下さらないのですか?」
「………」
人目を気にしてか、楊明さんは部屋の扉をしめて、内側から鍵をかけた。
ガチャリ、という鍵の音が部屋に響く。
「どうしたんですか、急に?」
そう問いかけると楊明さんは、今自分が座っている長イスの横を、何度か小さく叩いた。
これは……「来い」ってことだよね。
いや、距離近っ……何で先に気づかなかったの私……。
少し考えれば普通に分かった展開じゃない、こんなの……!!
「玉蘭殿、今日ずっと上の空な気がする」
「………」
言い当てられて、言葉に詰まった。
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