第4章 全ての終わりと始まり

第19話

 楊明ようめいさんの看病を続けること数週間。すっかり木々の葉は落ち、日の出る時間も短くなり。


「すっかり寒くなりましたね」

「ああ、そうだな」


 楊明さんの部屋もばちで暖めているけど、やはり寒い。流石は山あいの郡だ。私は毛布を何枚か重ねる。


「……ぎょく蘭殿らんどの?」

「はい?」


 楊明さんは少し驚いたような顔をしたが……すぐに微笑んだ。そして私の頭を優しく撫でると、言った。


「……ありがとう」


 ああ、もう! 反則だ! その笑顔は……!

 思わず顔が赤くなるのを感じる。

 お陰様かげさまで毛布の役目がなくなる……この人、意地悪。


「そうだ、玉蘭殿。謝りたいことがある」


 謝りたいこと? 思い当たる節がなく、首を傾げる。


「あちらの山の方で雪が降っていて、玉蘭殿が所望した鉱物事典がなかなか到着しないんだ」

「え、そうなんですか?」

「ああ。雪が降る前に届くと思っていたんだが……すまない」


 楊明さんは頭を下げた。私は慌てて首を振る。


「そんな! 謝らないで下さい!」


 鉱物事典が手に入らないのは残念だけど、そもそもこれは私のままだ。

 それに……この雪の中、わざわざ取りに行かなくても、また今度で構わないし!


「……そうか」


 楊明さんはホッとしたように笑った。そして彼は少し間を置いてから言った。


「玉蘭殿に何と言われるか、怖かったからな」

 楊明さんが「怖い」なんて単語を口にするなんて……珍しい。


 というか、山と雪と低気温って、最悪の組み合わせだ。

 無理に取りに行った方が危ない。


「楊明様、無理しないで下さい。私は大丈夫ですから」

「しかし……」


 楊明さんは何か言いかけたが……途中でやめた。そしてまた少し間を置いて言った。

「……玉蘭殿は優しいな」

「いえ、そんな……」


 その笑顔は反則だ! もうっ! 本当にこの人は……! 思わず顔を赤くする私に、彼はさらに追い打ちをかけた。


「……それに可愛いな」

 あ、ダメだ。私……死ぬかも。いや死なないけど! でも心臓もたない! もたないから!!


「玉蘭殿、顔が赤いぞ?」

「誰のせいですかっ」


 思わず叫ぶと、楊明さんは面白そうに笑った。

 ……もう! この人って人は……!


「玉蘭殿がそこまで言うのなら、鉱物事典はまたの機会にしようか」

「……はい!」


 私は笑顔でうなずいた。そして彼はさらに続ける。


「では代わりに……」

「代わり?」


 私が首を傾げると、楊明さんは少し照れたように笑った。その笑顔も反則だ! 本当に……もうっ!


「玉蘭殿の一日を、俺にくれないか?」

「え……」


 私の……一日?


「嫌か?」

 楊明さんは少し寂しそうな顔をした。私は慌てて首を振る。

「いえ! 全然!」


 むしろ大歓迎です!! と心の中で叫ぶ。でも、それを口に出す勇気はなくて。代わりに言った言葉は……。


「……楽しみに待ってます」


 ああもうっ! 私って本当に馬鹿だ! もっと可愛いことを言え馬鹿野郎!

 でも何で急に……あ、前、街の視察も太守の仕事だって言ってた。それを兼ねてってこと?

 ……でも、バレない?


 * * *


 ということで本日、豪速で着替えて着飾ってもらった。

 え、そんなすぐ実行するん?


「玉蘭殿、準備はいいか?」

「はい」


 私は楊明さんの言葉に頷くと、そっと手を取った。すると彼は驚いたように私を見る。


「……どうした?珍しいな」

「えっと……その……」


 ああもう! 何で言えないのよ私の馬鹿野郎!! でもここは勇気を出して……!

「今日は一日一緒にいられるんですよね? だから手を繋いでいたくて……ダメですか?」


 あああああああ恥ずかしいっ!! 顔が熱いいいいっ!!! 思わず俯くと、楊明さんが笑った気配がした。


「ダメなわけがなかろう?」

「え……」


 顔を上げると、楊明さんは微笑んでいた。


「玉蘭殿から手を繋いでくれるなど……嬉しい」


 そして私の手を握る手に少し力が入る。その仕草が愛しくて……胸がきゅっと締め付けられるような感覚を覚える。

 ああもう! 私って本当に馬鹿だ!! 何でこんな簡単なことが言えなかったの!? でも……でもっ……!


「あ、あの!」


 私は勇気を出して言った。すると彼は首を傾げる。


「……どうした? 何か言いたいこと──」


「わ、私も!楊明様と一緒にいられるのが嬉しいです!!」


 私が叫ぶように言うと、楊明さんは一瞬目を丸くして……そして笑った。その笑顔は反則だ! 本当にもうっ……!


「玉蘭殿」

「はい!」


 私は思わず背筋を伸ばす。すると彼は言った。


「……ありがとう」


 ああもう! 本当にこの人は!!


 ただ気になったのが、楊明さんが護衛なしで街中をほっつき回るのはどうか、ということだ。

 私が会ったときも、何人か護衛をつけていたし……。

 でも、楊明さんは「問題ない」と言い切る。

 ……まあ、私が口出すようなことじゃないよね。


 そして私たちは街中を歩き始める。私は楊明さんの隣を歩く。すると彼は言った。


「玉蘭殿は何か見たいものはあるか?」

「え? 私ですか?」


 思わず聞き返してしまったが、楊明さんは当然のような顔で頷いた。ああもう! その笑顔も反則だ!!


「えっと……」


 私は少し考え込んだが、特に所望なし。美味しい匂いや綺麗な品々など、五感を刺激する商品が並ぶが……興味はあるけど、手が出せなかった。


「特にありません……」

「そうか」


 楊明さんはそう言うと、少し考え込んだ。そしてすぐに口を開く。


「では、少し付き合ってもらえないか?」

「……え? どこにですか?」


 私が首を傾げると、彼は悪戯いたずらっぽく笑った。反則! もうっ……! でも……そんな表情も素敵です!ありがとうございます!!


「それは着いてからのお楽しみだ」


 * * *


 そんな訳でやって来たのは、とある店だった。

 ここは確か……装飾品を売っている店らしい。買う側に立つのは初めてだ……。


「玉蘭殿、何か欲しいものはあるか?」

「え? 私ですか?」


 思わず聞き返してしまったが、楊明さんは当然のような顔で頷いた。


「えっと……」


 私は店内を見回した。綺麗なかんざしおびめなどが所狭しと並んでいる。どれも綺麗で可愛いけど……。


「……特にありません」


 私がそう答えると、彼は少し考え込んだ。少しした後、棚の簪を取って、私の髪に差し込む。


「え……」

「うん、似合うな」

 そして彼は微笑んだ。も……心臓に悪いんだよ、あなたの笑顔って!!


「……あ、あの!」

「ん?」


 私は思わず叫んだが……その後の言葉が続かない。

 ああもう! 私って本当に馬鹿だ!! 何で言えないの!? 楊明さんに簪を選んで欲しいって!!

 すると楊明さんは首を傾げた。そして少し考えるような仕草をした後、言った。


「じゃあ、金を払うから待ってろ」


 え……。

 私は思わず目を見開いたが、楊明さんは特に気にした様子もなく店の人を呼び止めると、簪を何本か買った。そしてそのうちの一つを私に差し出した。


 それは銀細工の簪だった。飾りの部分には雪の結晶のような模様がほどこされていて……とても綺麗だった。その美しさに見惚れていると、彼は言った。


「つけていくか?」

 勢いで頷いた自分がいる。


 * * *


「お帰りなさ〜い」


 久々に見る朱色の門の近くで、私たちを出迎えるように立っていたのは、宦官と思わしき男性だった。


えん、主人に対し何なんだ。その態度」


 へえ、この人が呉淵って人か。こちらはこちらで気さくそうな、いい人そうだけど……。


「玉蘭殿は、俺とマトモに会うのは初めてだっけ」

「その割に馴れ馴れしすぎだ呉淵。もう少しマシにしてくれ」

「はいはい」


 そして呉淵さんは楊明さんを見て、にやりと笑った。


「それにしても……玉蘭殿の簪姿、素敵ですね〜」

「……おい」


 楊明さんは少し不機嫌そう。


「そんな怖い顔しないでくださいよ〜」

「うるさい」


 な、仲が良いんだか悪いんだか……でも、ケンカするほど仲が良いというし、犬猿の仲ではないんだろうな。

 二人はしばらく談笑? した。少しして腕を引かれたので、私も歩き出す。


「今日はありがとう」

「いえ、過労もだいぶよくなりましたね」


 ああ、と楊明さんは頷く。彼が部屋に入っていくのを見て、私も部屋に入ろうと思ったのだが。


「あれ?」

 開かない。鍵を閉めている?

 と、背後から、クスクスという笑い声が聞こえてきた。しんよう……いつもの意地悪娘だ。女官にょかんも居んじゃん。


「全く、みじめですこと」

 腹立つ。やめろよ、本当に。


「鍵を開けてあげましょうか?」


 は? と一瞬言いそうになる。あの秦芙蓉が、そんな提案を? 何かの間違いにしか思えないが……でもどの道、彼女の言葉に従うしかない。


「お願いします」

 私が頭を下げると、彼女は満足げに笑った。そして鍵を開ける。

「どうぞお入りくださいませ」


 ああ……本当にくつじょくてきだ。

 でもまあ、秦芙蓉が親切なわけがないし……何か企んでいるに違いないけど、今は従うしかないか。

 私は渋々部屋に入った。すると秦芙蓉は、あろうことか我が物顔で私の部屋に入ってきたのだ。


「何!?」

「話がありますのでね」

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