第2話(永香)
酷い失恋の痛手を癒すのに、大学時代の友人を訪ねた。奴は心底うっとおしそうな顔つきで帰れと言う。
構ってほしいこちらの気持ちと裏腹に、奴は冷たかった。酔った勢いでつらつら他愛ない恋の想いを語ると、半分眠ったような表情でうなずく。
どうせ恋など人生の一部だろと聞いても、『さあ』。この世に俺を好く女の一人や二人やいるだろうと聞いても、『うん』。
頭のいい奴のことだ、言いたいことは百も二百もあるはずなのに。人が床に突っ伏していても何も言わない。馬鹿だと罵れと言ったら、月が綺麗だと笑う。
泣いているかと聞かれたので、少し鼻にかかった声を試しに出した。短い沈黙に顔を上げると、心配そうに覗きこみかけた奴の黒い目が合った。
ハッとして視線を逸らし、気づくと元の神経質そうな眉根にもどっている。明日も早いのだからとっとと帰れと呟く。
綺麗な女だった。歌う横顔が窓辺の月を見上げる奴の姿に似ていた。
婚約発表より前に、彼女に体当たりを仕掛けた話はしなかった。『誰かの替わりは嫌よ』と振られたのだ。水曜だけの女ではなくて、大事な人がいるのでしょう、と。誰の、と聞かずとも自分だけは知っていた。
ずっと好きだったのだ。
そんなに綺麗なのか、と近づいた。ああ、とため息のような声を出した。歌姫の官能的な音に似ていた。女なんて一人じゃないと言ったので、すでに俺の一部だったと言った。
奴は激しく顔を歪め、人を椅子に無理矢理座らせ、酒の入ったグラスを持たす。それ以上何も言わなかった。
震える指先に煙草の煙りが絡み付いていた。酔ったふりをして腕を掴み、唇の端に素早く口づける。奴は愕然として身を引き、自分が泣きそうな眼差しで呻いた。
綺麗な月だ。飲み込んでいいか、と。歌姫と違いしっかりした手首を握り直し、その根元にキスを落とした。
落ちた煙草の灰がきらめき、もう他には何もできなかった。奴は手を握らせたまま沈黙を守り、フィルターが焦げるまでずっと立っていた。
朝焼けに幻のような一夜の月が消えるまで、手の届かぬ美しい人を口説いて、俺は負けた。
翌日の酒はさらに増えていたことを、たっぷり欠けた月だけには告白しておこう。
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